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民明書房刊「秘剣・傘かしげ」

作者: 丸屋嗣也

 遂に見つけた。

 降りしきる雨の中、午之助は傘の柄を強く握った。竹の柄がぎりぎりと悲鳴を上げる。

 裏通りの向こうからやってくるは、かつての怨敵。黒い着流しに大小を手挟むその男もまた、傘を手に廂と廂の間に出来た小さな小道を歩いてくる。すれ違えるか否かの小さな道の真ん中で、午之助は足を止めた。

「済まぬが、どいてくれぬか」

 怨敵が云った。しかし、ざんざと滴り落ちる雨のせいで、その声も途切れ途切れにしか聞こえない。

 誰も見ていない。そして、この雨のせいで何も聞こえない。

 今、しかない。

 馬之助は傘をすぼめて怨敵へと突き向けた。

「な、何をするか!」

 怨敵は悲鳴を上げる。だが、それでも難なくさばくあたりはさすが某家中の剣術指南役の面目躍如といったところか。

 問答無用。馬之助は腰の刀を抜き放った。

「何のための狼藉か! そもそもお前は誰だ」

 誰かなど、どうでもいいことだ。

 馬之助は青く光る刀身を翻し、薙ぎを放つ。光の届かぬ雨の中、青い閃光が走る。

 傘を捨てた怨敵もまた刀を抜き放ち、抜き打ち様に薙ぎに応えた。

 雨の中の鍔迫り合いには音がない。己の骨が軋む音、心の臓の早鐘だけが痛いほどに己の中で大きくなっていく。だが、それこそが喜び、生きているという手触り、己の生の意味を確認する刹那の悦楽。

 鍔で競り合いながら、午之助は口を開いた。

「狼藉に理由などない。ただ、拙者が拙者として生きるため、あなたを斬る」

「訳が分からぬ」

「分からなくてもいい」

 かつて、この男を斬れ、と言われたことがある。主命だ。武士にとって主命は何に替えても名誉なことだ。それも、他人を斬れ、などという命だ。武門の誉れとはそのことを言うのだろう。しかし、その命が果されることはなかった。何も馬之助が二の足を踏んだわけではない。次の日には斬る、という段になって、その命を下した主が死んだ。主亡き主命など何の意味もない。かくして、斬るはずだった男の首は繋がっている。

 主に対して忠心があるかといえば怪しいところだ。元より御目見得が許された身分というわけではない。かつて自分に命を下し、勝手に死んでいった主の顔さえも知らない。その命が反故になろうがなるまいが、そんなことはどうでもよかった。

 午之助は怨敵の剣圧を跳ね返した。怨敵の体が後ろに反る。

 刹那、午之助は必殺の袈裟切りを振るった。

 だが、その瞬間、怨敵は薄く笑った。

 そして――。

 からんからん。

 降りしきる雨の中、乾いた音が確かに聞こえた。そして、遅れてやってくる腕の鈍痛。

 いつの間にか、刀を取り落していた。水たまりの中に刀が沈んでいる。

 何が起こった? 

 そう自問した瞬間、午之助の足から力が抜けた。

 な――。

 地面に崩れる馬之助を見下しながら、怨敵は刀を払った。

「誘いに乗って袈裟切りなど放ってきたが運の尽きだったな」

 そうか。あの一瞬見せた隙は、こちらに打ち込ませるための囮だったか。それにまんまと乗ってしまったということか。その帰結が、刀を取り落し、足を斬られるという大失態というわけだ。

 怨敵は声を低くした。

「悪いが、返り討ちとさせてもらう。禍根は絶たねばならぬ」

 廂から夥しい水がさながら滝のように落ちてくる。地面に落ちる雨水が地面をえぐって泥になっていく。その中で膝をついている馬之助は、ひたすら雨音の洪水の中で己の心音を聞いていた。そして、高まっていく心音は、決して己が生を諦めていなかった。

 理由などない。斬る。

「覚悟」

 怨敵は切っ先を振り上げた。既に勝ちを確信しきっているのか、今度こそ隙だらけだ。

 その隙に、午之助は己の全てを賭けた。

 左手で転がっていた傘を拾い上げて、怨敵の顔に向かって突き出した。その振り出しを使って傘を開いた。そして右手で刀を拾い上げて力の入らない足に力を込めて跳ぶや、突き出した傘越しに突きを放った。

 それは、本能にも似た感覚だった。頭で考えたのではない。体が動いた。

 傘に、雨とは違う飛沫が飛び散る。赤黒いそれは、傘に阻まれて判然としない。

 右手の感触。相手の命に触れた、という確信に満ちたものだった。

 次の瞬間、怨敵は地面に崩れていた。左胸に手を当てて。その手から毀れるようにして溢れる血が、やがて辺りに赤黒い水たまりを作った。だが、それすらも折から降りしきる雨が包んでいく。

 がふっ。

 苦しげに血を吐く怨敵は、不思議そうに空を睨んでいた。ようやくの体で立ち上がって傘を捨てた馬之助と目を合わすと、怨敵は顔を歪ませながらも言葉を重ねた。

「なんだ、今のは」

「今の?」

「傘を使いこちらの虚を誘い、骨と骨の間から突きを放つ。その動きは一つの舞のようであった。恐らくは御流儀の技なのであろう。――知りたい。いったいわしは、いかなる技によって殺されたのだ」

 流儀の技をそうそう簡単にばらしていい物ではない。

 だが、冥途の土産という奴だ。死に際してもなお、剣に生きるこの男を己と重ねぬでもなかった。馬之助は応じた。

「流儀の名は言えぬ。だが、この技には名がある。『秘剣・傘かしげ』だ」

「かさ……かしげ?」

「だが、技というほどのものでもない。返り血を浴びぬよう、標的の前で傘を広げて突きを放つだけのものだ」

「だが」怨敵はにたりと笑って見せた。「このわしが、すっかり虚を突かれた」

「そうか」

 ふふ。小さく笑った怨敵は、次の刹那には物言わぬ屍と化していた。

 死に触れる。それが馬之助にとっての生きる意味。それは死ぬまで変わらない。どこの誰に殺されるまで、ずっと。

 降る雨は、聖人であろうが愚物であろうが極楽の阿弥陀様であろうが地獄の獄卒であろうが区別なく等しく肩を濡らす。

 だが、その摂理に逆らってみたかった。

 また己の傘を拾い上げると、それを怨敵に被せた。

 血払いをして刀を鞘に納めると、全身ずぶぬれのままで馬之助は歩き始めた。

 明日やってくるかもしれぬ、己が死を見つめながら。


ぶっちゃけ、チャンバラが書きたかっただけだったりする。

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