鳩の豆子
ゴールデンウィークが開け、久しぶりの通常営業です。何だかいつも開ける下足箱にも違和感があります。いけません、気持ちを切り替えないと……。
深呼吸して準備室のドアを開けました。すると怖い顔のマーライオン、もとい清原先生が正面に座っていました。久しぶりに見ると結構ビビリます。深呼吸して、そのまま呼吸が止まるかと思いました。
「お、おはようございまず……」
また噛んでしまいました。
「おはよう」
おもむろに言うと、清原先生は立ち上がって窓の外を眺めました。昇降口の辺りには早めに登校してきた生徒が見えます。教え子たちを見守るまなざし。生徒指導に燃える教師ここにあり、という感じです。
「はあ……、もうゴールデンウィーク終わりか。早く夏休みにならんかな」
んん……?
『休み明け 教師も学校 憂鬱だ』
謎の句を残し、清原先生は去っていきました。相変わらず意味不明の多い人です。
「ゴールデンウィーク中、行方不明だったって聞いたけど、何かあったかな?」
内田先生が首を傾げました。
「まあ、ただでさえ休み明けは憂鬱だけどねぇ」
「……あの句は?」
「清原先生、ノスタルジックな気分になると、川柳詠むんだよ。前は浮気がバレたときに詠んでいたねぇ。確か……」
『枕元 名前間違え 妻怒る』
サイテーです。激サイテーです。
「しかし、カミ子先生も色々やらかしたみたいだねぇ」
「え?
「河野工業との合同練習で、車を飛ばして二回転半させたぁって」
「う……」
「豊田先生が呆れてたって聞いたよぉ」
生徒のライン&ツイッターもすごいですが、教員のネットワークもすごいです。どこからどうやって自動車部の失態は内田先生に伝わったのでしょう?
自動車部はあの日から活動をしていません。私も自責の念で、ゴールデンウィーク中ずっと重石を胸に詰まらせているような、スッキリしない気分でした。生徒たちと会うのもあの日以来です。あの子達、落ち込んでいないといいですが……。
と、めげていても仕方ありません。今日からまた授業と部活の日々です。落ち窪んだ気分をシャキッとさせましょう。朝の打ち合わせまでに時間もあるので、シンクの隣にあるコンロに火を入れました。そして新しく持ってきたティーポットとアッサムのリーフ。鈴ちゃん先生のお宅で頂いた紅茶が美味しかったので、茶葉の種類と淹れ方を教えてもらいました。
沸騰直前のお湯をティーポットに注いでいると、体に一本芯が入るような芳醇な香りが広がりました。あとは一分間蒸らすだけ。
「いい匂いだねぇ」
内田先生が自前のマグカップをもって私の横に来ました。
「紅茶です。あと四十秒待ってください」
キッチンタイマーをチェックして言いました。
「いいねえ~、男所帯だとコーヒーばかりだから。紅茶なんて新鮮だよ~」
「ついでにコーヒー豆も買ってきました。あとでコーヒーメーカーに淹れておきます」
コーヒーメーカーは準備室にもともとあったのですが、かなり汚れていたのでキレイに洗っておきました。
というかシンクの周りが汚すぎました。コンロに油はこびりつき、使われない皿やスプーンが調理台を埋め尽くす。洗われないマグカップは内側が真っ黒になっていたり、溜まった生ゴミは黒くなって異臭を放っていました。来た当初は触れるのも嫌でしたが、洗剤と塩素系化合物で何とかステンレスの輝きが確認できるようになるまで磨きました。
「いや~、この一ヶ月できれいになったねぇ。カミ子先生が来る前とは大違いだよぉ~」
内山先生はこう言いますが、この準備室には他にも掃除したい箇所がいくつもあります。そもそも不要なものが溢れかえっているのです。使うのか使わないのかわからないアンプ、無線機、ミニ四駆やプラモデルの部品、鉄板、提灯、たい焼きの金型、昭和の時代に置き去りにされたはずの真空管まで……。そして本当に困ったのは、異動した教員の置き土産でした。教員にとって学校はゴミ捨て場ですか? 歴史があるって、ゴミも多いってことですか?
キッチンタイマーが鳴りました。
「どうぞ」
「女の子がいると、こういうとこ気をまわしてくれるからいいねぇ。紅茶とコーヒーのお金、科の親睦会費から出すよ~」
受け取った紅茶を一口飲んで、内田先生は眉根を寄せました。
「砂糖が欲しいかなぁ」
「アッサムだからコクが深いんですよ。目覚ましにはいいはずです」
ホー、ホー
「私も一杯……」
ホー、ホー
うーん、確かに少し苦味が強いような……。
ホー、ホー
苦味というより、渋味? 鈴ちゃんが淹れたのとは違うような……。
ホー、ホー
「……あの、内田先生」
ホー、ホー
「ん? 何?」
「このホウホウって鳴き声、何ですか? 時々準備室の何処かから聞こえてるみたいで、気になっていたんですが」
「ああ、そこの棚、開けてみな~」
それはシンクの上についている観音開きの小さな棚でした。しかし私では高くて手が届かないのです。すると内田先生が黙って開けてくれました。
そこには小さなクチバシを持った生き物が、丸い目で私を見つめていました。無機質な目に、乳白色の羽毛をしたこの生き物は確か……
「鳩……?」
「はい、お仕舞い」
バタンと扉は閉められました。
「鳩……ですか?」
「うん。鳩の豆子さん」
「え? 何故に? え? 鳩? 何故に?」
「横の換気扇から入ってくるみたいなんだよぉ。しかも棚の後ろに穴開けちゃってねぇ」
それで時々鳩の鳴き声がしてたわけですか……。
「古い実験棟だと色々あるんだぁ。ああ、換気扇回すときは豆子さんがいないか確認してねぇ」
「はぁ……」
南野工業高校の七不思議。ふたつめ、換気扇に棲む鳩の豆子。




