サーキットの娘たち2
電気自動車は音がしません。という科学常識は知っていましたが、本当に静かだとわかったのはエコランに関わってからでした。ハイブリッドカーにすら乗ったことがなかったからです。エコランの電気自動車は完全無音でした。
今、コースの端で河野工業の電気自動車がスタンバイしています。
「あれが前回優勝したエコランカーです」
本田さん(妹)が説明してくれました。
「あれが……」
「はい。外装のボディは変わっていませんが、中身はこの半年間で新たにチューンアップされているはずです」
優勝車は静かに走り出しました。
「すごい。スムーズな立ち上がり!」
本田さんが興奮気味に言いました。
「モーターを制御するプログラムがどうなっているのか知りたい……」
と、こぶしを握ります。
車は直線からカーブに移っていきます。
「減速と加速にもロスがない。ムカつくけどいい腕してるわ、あいつ」
「あいつ……?」
「しかし先生もすごいと思いませんか、河野の実力は」
「はあ、けど……」
「けど?」
「……けど、あれってまるで……ゴ○ブリ……」
「あー! それは言わないで! みんなわかってて黙ってるんですから!」
そうなのです。そのフォルムは楕円の半球体で全身黒塗り。まるで夏の台所に出る黒光りしたあいつかダンゴムシか、あるいはダイオウグソクムシのようです。
「Gなのに前回の優勝マシン……」
「Gではなくて、カーネームは『地に伏せる黒き闇 (グラウンド・エフェクト・ダークネス)号』だったはずです」
中二っぽいネーミングです。そんな英語ありませんし。
「私、F1みたいな車を想像してました」
「あのフォルムだと空気抵抗が少ないんですよ。エコランはボディの規定がそんなに厳しくないから、突き詰めるとああなるんです。出走する中には、車じゃなくてバイクみたいなエコランカーもありますよ」
思いのほか、何でもありなのレースなのかもしれません。
「私たちも準備をしましょう、先生」
そうですね。私たち、トラックからマシンを下ろしてもいませんでいた。いつきさんたちはダンボールを運んでいます。私も手伝いますか。
と、荷台の前へ行くと、奥から本田さん(兄)がボディを担いで現れました。
気付くと、トラックから十メートル以上離れていました。私、いつの間にこの場所まで移動したのでしょう? まさか自分が縮地を使えるとは思いませんでした。
気落ちした様子の本田さん(兄)。幽霊のように静かにダンボールを運んでいきます。
そして私の後ろでは、いつきさんが笑っています。無視無視……。
トラックの荷台には、あと一つだけダンボールが残っています。今までで一番大きいです。生徒に任せてばかりではなく、ひとつくらい運びますか。
「よっいしょ……と、……え?」
重すぎて少しも持ち上がりません。いったい何が入っているんですか?
開けて中を見てみると、メガネをした真っ黒な瞳が私を見返していました。
「い……稲盛さん?」
引きこもりのショートヘア少女。手にはタブレットと黒猫の人形を持っていました。このダンボール、道理で重いわけです。
「朝からいないと思ったら……な、何してるんですか?」
稲盛さんは、手にした黒猫の人形を口元に持ってきて、
「ニャー」
と鳴くとダンボールの蓋をし、再び引きこもってしまいました。
「ちょっ……出てきなさい!」
ダンボールを開けようとすると、底から足が出て、荷台から飛び降りていきました。
「逃げるな!」
しかし足の生えたダンボールは芝生を突っ切っていきます。
同時に、河野工業のエコランカーがコーナーを曲がってこちらへ向かってくるのが見えました。
稲盛さんはダンボールのせいで見えていないのか、コースに飛び出していきました。
「危ない!」
私の声でダンボールはピタリと立ち止まりました。って、コースのど真ん中で立ち止まってどうするんですか!
間に合わない、ぶつかる! ……寸前でエコランカーがハンドルを切って、コースアウトしていきました。河野工業のダークマター号は縦列駐車のポールに突っ込んで止まりました。
ダンボールの方は、ぺたんとコースの真ん中で座りこみます。
「千奏、大丈夫?」
本田さん(妹)が声を上げました。部員全員で駆け寄っていきます。
みんなでダンボールの中を覗き込みました。すると中には更に一回り小さいダンボールが……。
それを見た秋山さんが笑い出しました。
「あははは、マングローブみたい」
「マングローブ?」
何のことですか? 南国の水辺の密林と何の関係が? 全員首を傾げました。
「あれ? マントヒヒシカだったっけ?」
さらに何ですか、そのキモそうなネーミングの生き物は?
「えー……っと、ロシアの……」
そこで本田さん(妹)がピンときたようです。
「……ロシア? それを言うならマトリョーシカ!」
「あ、それそれ」
ボケがわかりづらいっ……。合ってるのは”マ”だけですし。いや、普通に間違えたのでしょう。バカだから。
ダンボールの方はというと、ガムテープで封がしてあります。こんな狭いところでこんな小細工をいつの間に……
「ちょっと、千奏?」
本田さん(妹)が声をかけると、「入ってまーす」というか細い声が返ってきました。
即座にダンボールを蹴り飛ばす本田さん(妹)。ダンボールが宙を舞い、猫のように丸まっていた引きこもりが日光の下に晒されました。
「うう、太陽の光は……」
引きこもりは四つん這いで私の後ろへ、次はいつきさんの後ろへと、日の光が当たらないようにと人影を移っていきます。そして最後は本田さんが乗ってきたトラックの下に潜り込みました。
「Gか、あいつは!」
ゴキブリがよく這い回る日です。まだそんな暑くないのに。
「おおーいっ、こらー! てめえら、どういうつもりだ!」
河野工業のエコランカーから声が……。まずい、忘れていました。
「俺のこと忘れてんじゃねえ!」
卵の殻を破るように黒塗りのボディが外れ、ドライバーが転がり出てきました。ツナギを着た河野の男子生徒が、本田さん(妹)に大またで歩み寄ってきました。
「危ねぇじゃねえか! 藍野!」
「ホント、もう少しで千奏が轢かれそうだったわ。どうしてくれんの?」
「急に飛び出してきたそっちが悪いだろうが!」
「こっちは交通弱者よ!」
「車がコースアウトしたじゃねえか!」
「腕が悪いからじゃない?」
「何!」
「しかも中二病みたいなカーネームつけて、恥ずかしくないの?」
「ぐ……ぐぐぅ……」
すごむ河野工業生。でも男子生徒、小さいです。本田さん(妹)を見上げるほどに背が低いです。スタイルのいい本田さんが仁王立ちしている前では、すごんでもあまり迫力ないですね。
しかしまずいです、他校の生徒と揉め事なんて。それに本田さん(妹)は言い負かしていますが、悪いのはどう考えてもコースに飛び出したうちですし……。ただ優等生の本田さんが、普段見せないような目で彼を睨んでいるのは気になりますね。
「またユウとあいのんがケンカ始めたんじゃ」
秋山さんが淡々と言います。
二人とも仲いいようですが、知り合いですか?
「あのちっこいのは片山悠、ウチとあいのんの幼馴染なんじゃ」
「誰がちっこいだ! ハヤネ、お前だって小さいだろうが!」
「ハヤネ、こんなやつ裏切りモンのチビで充分よ」
裏切り者? どういうことでしょうか? ハヤネさん?
「えっとぉ……二人とも車好きでぇ、一緒に南工の自動車部に入るとか言ってたじょ。でもユウは受験直前で河工にしたんじゃ」
それで裏切り者ですか。あれ? しかも去年優勝したのは……
「ユウが乗ってた中二病のエコランカーだじょ」
「……そのときのうちの順位は?」
「走ってる途中に壊れて棄権したっス」
いつきさんがシレッと答えました。
なるほど。”南を甲子園につれてって”みたいな約束をしていた相手に、他の高校で優勝されていては……。しかも約束をバトンタッチする双子の兄もいないわけですか。とはいえ一方的な逆恨みにしか聞こえません。まだ入り組んだ事情があるのでしょうか?
「もしかして、私の造ったマシンで優勝して、みたいなこと言ってたりするんですかね?」
「そんなんじゃありません!」
「そんなんじゃねえって!」
見事なシンクロニシティ。息バッチリです。初々しい反応もそっくり。
「昔は仲良かったのにな、今は顔を合わせればケンカばっかだ」
本田さん(兄)、いつの間に横に……。そういえば幼馴染ということは、片山くんはこの人とも面識があるということですか。
「そうなんじゃ、昔は三人一緒で遊んだんじゃ」
本田さん(兄)はあなたを勘定に入れて話してないと思いますよ、秋山さん。
「でも仲良かったのは中三の夏くらいまでだった気がするじょ。七夕のときは笹もって夜の学校に忍び込んだりしたのになぁ。あれはスリルがあってなかなか面白かったんじゃ」
それ、教員としては容認し辛い話で困ります。
「ただ途中でハヤネだけ残して、二人ともどこかへ行ってしまったんじゃあ」
「…………え……?」
それはそれは凍りつくような静けさでした。
「どこへ行っていたんじゃ?(秋山)」
「どこへ行っていたんでしょうねぇ?(私)」
「どこ行ってたの?(マキ)」
「どこでナニしてたんだ?(いつき)」
「どこでしてたんだ?(兄)」
「し、してねーよ、バカアニキ。キスまでで…………………あっ!」
「へ~、そいつは俺も知らなかったわ」
言いながら本田さん(兄)は片山くんの肩をぽんぽんと叩きました。片山くんは青い顔をしています。
対照的に本田さん(妹)は赤面です。すると彼女の前に稲盛さんが進み出てきました。いつトラックの下から出てきたのでしょう。そして黒猫レンチを口元に掲げて言いました。
「もうちょっと詳しく話してほしいニャ」
「~~~~~~~~!!!」
炎を吹き出しそうな顔をした本田さん(妹)が人間とは思えない叫び声を上げ、秋山さんを追い始めました。
「何でバラすんだこのばかー!」




