サーキットの娘たち1
初夏の日差しが照り返すアスファルト道路を歩いています。
「カミ子ちゃん、ホントに和葉先生とどういう関係なの?」
後ろからツナギ姿のいつきさんが訊きます。
他にもマキくんと、ブルマー姿の秋山さんが私の後ろに続いて歩いてます。
「あたしはカミ子ちゃんの方が好きだぞ。四天王だから強いし、それに和葉先生、あたしのことをなんかムシケラを見るような目で見つめてくるから苦手じゃ」
「そういう話をしてんじゃねえよ、ハヤナ。先生、大学の合コンってどんなの? ドンペリの一気飲みとかやったことある? おれっち、コップをピラミッドみたいにして天辺からシャンパン流すやつ、一回ナマで見てみたいんだよねぇ」
何処のホストクラブですか? シャンパンタワーなんて私も見たことないですし、あとコップじゃなくてグラスね、いつきさん。
「大学生の合コンでそんなことするの?」
マキくんが怪訝な顔で尋ねました。
「するだろ、それぐらい。あと、気に入った女の子がいたらビールに目薬を入れるんだよ。すると絶対落とせるっていうぜ!」
科学薬品の間違った知識であり、都市伝説です。絶対にやってはいけません。危険です。
「女子大生は酔っぱらうと脱いじまうっていうしな」
熱くなるから上着を脱ぐことはあります。全裸はありませんよ……。
「それから飲みすぎると、電柱や駅のホームやタクシーの中で吐いちまうんだろ」
昨日見ましたね、そんなダメな大人……。
「そのあと記憶無くして、見知らぬ部屋や町内のゴミ捨て場で目を覚ますんだよ」
すいません、今後は気をつけたいと思います。いや、ホント、見知らぬ部屋が鈴ちゃんの家でよかったです。
というか、私たちが何故校外へ出て町中を歩いているのか、説明がまだでした。私たちは今、自動車学校へ向かっているところです。本番のエコラン大会でも、自動車学校を貸し切ってレースをするのです。だから今日は予行演習として、学校の狭い園庭ではなく、実際に自動車学校のコースで試走します。近隣の工業高校と一緒に、近くの自動車学校を半日貸切るのだそうです。
そしてこれにはもう一つ目的があります。事故が起こった場合の救助演習もするのです。高校生の造るエコランカーとはいえ、時速四十キロ以上で走るので事故防止と救助訓練は重要なのです。
本田兄妹はマシンと荷物をトラックに詰め込んで、先に行きました。本田さんのお兄さんはトラックの運転手として呼ばれていたようです。ちなみに本田さんのお兄さんも南工の卒業生だそうです。そして実家は個人経営の自動車整備をしているのだとか。
私は残りの部員三人を連れて移動中です。
「今日、暑いじょ~」
「何でオレっちたちは歩きなんだぁ。先生、車持ってないのぉ?」
「コンビニでアイスおごってほしいぞ」
後ろからついてくる生徒が予想以上に鬱陶しいです。
自動車学校は歩いて十五分ほどのところでした。教習コースの入り口には学校で見たトラックが。荷台の扉は開いています。
そして教習コースには赤いバイクが走っています。ライダーはフルフェイスのヘルメットかぶり、うちの部のツナギを着ています。バイクはコーナーギリギリを走っています。ハングオンっていうんですか、あの乗り方。よくわかりませんが、かなり上手いのでは……。
するとバイクは私たちの目の前で止まりました。バイク自体あまり詳しくないので車種はわかりませんが、車体にはYAMAHAの文字が。エンジンを止めてヘルメットを脱ぐと、髪を下ろした本田さん(妹)でした。
「本田さんがヤマハのバイクに……って本田さん、免許持ってるんですか? うちの学校は免許禁止ですよ」
「ここは私道だから大丈夫です」言いながら髪をシュシュでまとめていきます。「それに、小学生でもモータースポーツしている子はいますよ。アニキも私も小さい頃からポケバイに乗ってましたし」
そういうものですか……?
「よう。相変わらず女子の多いチームだな。顧問まで姉ちゃんになっちまったのかぁ?」
後ろから高いだみ声がしました。振り返ると、いつの間にかツナギを着たソフトモヒカンの小さなおじさんが、しゃがんで私の足を見ています。顔は日焼けをしたように色黒で、目が合うと、ニヤリといやらしい笑みを浮かべました。
「いやぁ、いい尻だぁ。南工はいつから女子高になったぁ?」
お尻を隠しながら、どなたですか? と尋ねました。
「あ、ファンキーじじいだ」と、いつきさん。
「じいじ、こんちは!」と、秋山さんまで。
「ファンキー……じいじ……?」
「河野工業の豊田だ。今日はよろしくな」
立ち上がりながら、モヒカンのおじさんは名乗りました。今日一緒に試走する河野工業高校の先生でした。
「すいません、南野工業の上尾です」
豊田先生はうちの生徒と面識があるのか、かなり馴染んでいます。変質者ではなかったんですね。
「誰が変質者だ。清原は新人にどういう教育してんだ?」
「あ、清原先生とお知り合いなんですか?」
「おおよ、同い年で同期だからな。この間、清原が言っていたぜ、いい尻した姉ちゃんが入ってきたって」
そんな風に見られていたんですか、私……。
「今日はよろしくな、お姉ちゃん! おい、お前らも挨拶しろい!」
豊田先生が河野工業の男子生徒の一人に声をかけました。
「はいっ。集合!」
その生徒が号令をかけると、作業中だった部員全員が私の前に集まって整列しました。総数三十人くらいでしょうか。当然ほとんど男子ですが、三名ほど女子もいました。
「気をつけ、礼!」
「「「「「「よろしくおねがいしまーっス!!」」」」」」
整然とされた男子たちの野太い声……。何だか、圧倒されます……。こんな挨拶受けたの人生初のような……。
「……」
「……」
どうしましょう。河野工業の生徒さんたち、私をじっと見つめて待ってますけど。え、このあとどうするんですか? 口下手な私にふられても困るんですけど。授業どころか自己紹介でも緊張で噛んでしまうくらいなのに。
「こいつらに何か言ってやるこたぁあるかい?」
豊田先生が尋ねました。
「へ? い、いえ、別に……」
すると豊田先生がさっきの生徒に目配せしました。部長かと思われるその生徒が再び号令を掛ました。
「気をつけ、礼!」
「「「「「「ありがとうございましたぁっ!」」」」」」
そして解散。
工業高校の挨拶は威圧感あります。免疫のない普通科系女子はビックリですよ。
でもいい生徒さんたちです。こんなにしっかり挨拶するんですから。うちの生徒、こんなにしっかりしていましましたか? ”カミ子ちゃん”と呼ばれたり、ポッキー咥えながら「ち~っス」と言われたことはありますけど……。挨拶をしっかりしなさいという親の躾けの意味がわかります。
しかし秋山さんといつきさんはお構いなしです。
「じいじ、腰痛治ったか?(ハヤナ)」
「ああ、毎朝ひも体操やってるからな」
「そうか? でも相変わらず腰がちょっと曲がってるぜ(いつき)」
「うるせーよ、この男女」
「そういや春休みにフィリピン行ったんだろ、どうだった? 可愛い姉ちゃんいた?(いつき)」
「ああ、いたよ。つっても日本の中にあるフィリピンだけどな」
「日本にもフィリピンあるのか? ハヤナも行ってみたいじょ」
「すぐ近くにあるぞ。最近は増えたな~、駅前商店街に五軒はある」
敬語が全く使えてません。……というか教員と女生徒が話す内容としてもふさわしくありませんよね。
豊田先生もあんな失礼な喋り方で、よく怒りませんね。女子に弱いおじいちゃん工業科教員がここにもいましたか。
私くらいはちゃんと挨拶するよう、彼女たちに指導すべきでしょうか。顧問として……。
「何考えてるんですか、先生?」
後ろから本田さんが訊きました。
「いや、河野工業はすごいなと思って」
「そうですね、部員があんなにいるんですからね」
大所帯のことじゃないんですが……。
「去年の優勝校ですし」
そうだったんですか。じゃあ、あのモヒカンのおじさんが優勝監督? とてもそんな風には見えない……。
「河野は部内で三チームもあって、大会に三台も出走しているんですよ」
へぇ、エコランって一校で一台しか出られないわけじゃなかったんですか。
「A、B、Cって別れていて、Aチームが一軍ですね。優勝したのもAチームです」
へ~。
「けど中にはチームに入れない人もいるんですよ」
「……仲間外れですか? いじめ?」
「……じゃなくって、不器用だったりエンジンの回転数や転がり抵抗の計算ができない人は、エントリーさせてもらえないんですよ。そしてずっと部室の掃除やボディを磨いているんだとか……。それが嫌で辞めていく生徒もいるそうです……」
厳しいヒエラルキーがあるんですね。私はいつきさんと秋山さんをチラリと見て尋ねました。
「ちなみに、うちの部員はA、B、Cのどのチームに入れる実力なんですか?」
すると本田さんはうつむきながら答えました。
「……私たちでは、どのチームにも入れないかも……」
南工Aチームは、河野工業Dチーム並ということですか……。
そういえば、河野工業のほうが偏差値がずっと高かったですね。当然、実力も上になりますか。ついでに挨拶と礼儀と学力の関連性も感じてしまいました。
「てめぇっ、何してやがる! ああっ!?」
突如、後ろでものすごい怒声が響きました。振り向くとお兄さんが、河野工業の男子生徒二人を睨みつけています。
「おい、触ってただろ俺のバイク! なあ、おいっ! 誰の許可を貰って触ってたんだ、ラァァァっ!!」
ものすごい剣幕、ものすっごい巻き舌です。睨まれている男子生徒二人、ヘビに睨まれたカエル状態です。針金のように直立で硬直してます。
「オイルまみれの手で触りやがってよぉ、カウルにべっとり指紋がついちまってるじゃねえかぁっ! どうしてくれんだあぁぁぁぁっ!!」
どうやらさっきまで本田さんが乗っていたヤマハのバイクに、勝手に触っていたことが問題のようですが……。バイクに触ったくらいであんなに激怒しますかね。
「うちのアニキ、バイクや車のことになるとすぐ熱くなっちゃうから……」
本田さんが私の隣でため息をつきました。
「アニキー、指紋ぐらい拭けばいいじゃん。許してあげなよ」
「うるせーっ! てめえに何がわかる。89年に五百台限定で販売されたFZR750ROW-01のレプリカモデルなんだぞ。散々探して見つけ出したのは廃車だった、それを直した苦労がてめえに分かんのか! ヤフーオークションでいくらになると思ってんだぁ! 妹のお前じゃなかったら乗せてねえよ、コノヤロー!」
「……メンドーくさいことになった……」
確かに面倒くさそうな人です。
「てめえら、どう落とし前つけてくれんだぁ? ああっ!?」
首を横に捻って河野工業の生徒を睨みつける本田さん(兄)。何だか暴走族のカツアゲ現場を見ているようです。
「あいのんの兄ちゃん、ちょー怒ってるぞ、ちょー怖いぞ(ハヤナ)」
「泣き出しちゃったぞ、河野の生徒。ちょっと大人げねえかも……(いつき)」
「怖い……(マキ)」
すると豊田先生が歩み出てきました。
「すまねえな、兄ちゃん。俺の指導が悪くて。言い訳にしかならねえが、そいつら一年生でまだマナーすら知らねえもんだからよ」
「うう~……」
顧問の謝罪が来ました。これは引き下がるしかないんじゃないでしょうか。でもまだ揺らいでいるみたいですね。振り上げたこぶしをどうしたらいいのか悩んでいるみたいです。
もう一押し。私も……
「あの、本田さんのお兄さん……」
呼びかけたら睨み返されました。足が震える恐ろしさです。やっぱり昔は初日の出暴走とかしてたんじゃないですかね、この人。
「許してもらえませんか? 珍しいから触っていただけで、悪気があったわけじゃないんですし……」
「……」
まだ睨んでます。
「傷がついたわけじゃないので、拭けばいいじゃないですか」
「そ、そうっスね。拭けばいいっスよね」
あ、許してもらえた。しかも満面の笑みで。
「あと、他校とモメるのはまずいので、そんな大声出さないでください」
「そうっスね。すいません……。大人気なかったっス」
よかった。これで一件落着。ホッと一息ついて、私は河野工業の生徒に言いました。
「君たち驚かせてゴメンなさいね。でも人のものを勝手に触らないように」
「「……は、はい」」
泣きながら私にお礼を言う河野工業の生徒たち。
対して白い目で本田さん(兄)を見る我らが南工の部員たち。
「何アレ? 私も同じこと言ったのに。この違いは何? 妹を何だと思ってんの、あのバカアニキ」
「カミ子ちゃん、さすが四天王じゃ。最強じゃ!」
「河野の生徒は今、カミ子ちゃんの姿に後光が差して見えてるんだろうなぁ」
「鼻の下伸びすぎだっつーの、バカアニキ!」
「カミ子ちゃんのこと本気なのか、あいのんのアニキは?」
「またすぐふられるって。どう見ても吊り合わないもん」
本田さん(兄)の評判ガタ落ちです。
そんな本田さん(兄)に豊田先生が頭を下げます。
「すまねえな、兄ちゃん」
「いえ、俺もちょっと熱くなりまして……、すいません」
「いんや、うちのやつが悪い。高校生の競技といえどもエンジン載せた車を転がしてるんだ。事故にならねえよう扱うやつぁ全員注意が必要だ。俺も日ごろから勝手にエンジン掛けたり、乗車するんなって厳しく言いきかせている。なのにあの二人は入部以来ずっとふざけた調子で、どのチームにも入ってねえ。今回のことは、いい薬になったんじゃねえか」
「ど、どうも……」
本田さん(兄)が照れながら頭を掻きました。
「まあ、なかなかやるじゃねえか。そういや確か去年もエコラン大会で見かけた兄ちゃんだな、思い出したぜ。姉ちゃんと二人で顧問をしているのか?」
「いえ、俺は教員じゃないんで」
「じゃあ、姉ちゃんのコレか?」と、小指を立てる豊田先生。
「いえいえ、保護者で応援ってところです」
「そうか、しかしなかなかいい趣味しているな」
「そうですか?」
「ああ、特にケツのあたりの曲線がいい」
「え?」
「あれなら乗り心地もよさそうだ。毎日手入れしているんだろ? 見てりゃあわかる」
「で、ですから先生と俺はそういう関係じゃ……」
「……俺はバイクの話をしてるんだが?」
「……」
本田さん(兄)も私も赤面の赤っ恥です。後ろでは部員たちが噴き出すのを必死に堪えています。
すると豊田先生が、本田さんのバイクをしげしげと見つめながらいいました。
「ヤマハか……。これもいいが、84年限定モデルのRZV500Rも好きだな」
「……旧車のオフ会で一度見たことがあります」
「やっぱりバイクはエンジン音だな。お嬢ちゃんが乗ってたのか。朝はいい音聞かせてもらったぜ」
「わかってくれますか?」
我が意を得たりと頷く本田さん(兄)。共通の嗜好で、早速二人とも意気投合しているみたいです。豊田先生が声のトーンを落として、ひそひそと話し始めました。
「バイクも車も女も、容姿や性格も大事だが、乗ったときどういう音を響かせてくれるか、ってのが男心を惹きつけるんだよ」
「その通りです。でもうちの妹は男心を全然理解してくれなくて……」
首を振ってため息をする本田さん(兄)。
「エンジンの吹かし方も下手なんですよねぇ」
「そうか? そんな悪くなかったぞ」
「いえいえまだまだです。甘やかしちゃいけません。アクセルをもっとこう乳首を優しくこねくるように、感じるようにいじってやれっていうんですけど……わかんねーって言いやがる。だから自分ので確かめろって言ったんですよ。そしたら今度は、最近でかくなってきて、ちょっとでも触れると先っちょが痛いとか、泣きごと言いやがって」
「育ってるなぁ。べっぴんだし、男も寄ってくるだろう。兄としては心配じゃないか?」
「どうですかね。男よりもバイクにまたがっているのが、いいみたいですよ。ありゃぁ、まだ処女だな。それにあんなライディングじゃ、騎乗位したときゃ男がイク前に息切れしちまうわ。だぁははははははははは――――――――――――っあ……」
バカ笑いする本田さん(兄)と目が合いました。南工自動車部員は全員白い目です。本田さん(妹)に至っては顔真っ赤です。さらにちょっと涙目です。
「「「「サイテー!」」」」」
女子全員による大合唱。工業系男子って何故こうなのでしょう。




