ちんぜり摩擦
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
つぶらやさん、どうして私たちのまわりに魔法てないのだと思います?
いえ、奇跡に類するような様々な要素の組み合わせによって起こる、ごく低確率な可能性のことを指してのことじゃありません。
手から火の玉を出したり、雷を発生させたり……あの手の、集中力とかと共に放出するエネルギー運用技術系のことです。
あくまで想像の産物……で片づけてしまうのは、あまりに簡単でロマンに欠けるでしょう。あえて、これらの魔法が実は存在するのだと考えてみたらいかがです?
私はまだ、みんなが扱い方を知らないだけだと思っています。電池だけがあっても、電流を流すための回路なりにつながなければ、装置を動かすことはできない。私たちはその装置や回路になるものを、まだうまく作れていないのではないかと。
あくまで、人口に膾炙していないレベルであって、ごく一部の人などは作っているかもしれませんね。私たちが目の当たりにするとしたら、そのような限られた業なのではないかと。
ちょっと前に、いとこからも聞いたんですよ。その限られた魔法のありかについてですね。耳に入れてみませんか?
回数を重ねたものには神秘が宿り、神通の力を得る。
各地で形を変えながら、多かれ少なかれ伝わっている概念かと思います。いとこの以前に住んでいた場所でも、似たようなお話がありました。
乾布摩擦、といったらつぶらやさんもご存じかと思います。乾いた布で皮膚をこすることで神経を刺激し、その働きを高めるという民間療法。
昨今の知識では、皮膚にとってこするという行為全般が、ほぼダメージを与えることと認識され、推奨はされません。服を脱いでやることから、公序良俗の意味合いでも問題になってしまう場面もあるでしょう。
しかし、いとこがかつて住んでいた場所では、この乾布摩擦がむしろ積極的に行われる傾向にあったといいます。
それが先に出した「魔法」へ絡んでいくのですね。
乾布摩擦が健康につながる、という考え。これは摩擦と健康の間に、本来はさまるべきものをすっ飛ばしたがために、誤解が生じたんじゃないかといとこは話していました。
いとこが知ったところによると、勝負は摩擦を行う前から始まっています。これを行う2週間前に「ちんぜり」なるものを、日に3回。時間をおいて摂取しなくてはなりません。
ちんぜり、というのは見た目にはセリと似ているものなのですが、専門家からするとこまごまとした違いがある、その地元特有の植物なのだとか。少なくとも、いとこの目には区別がつかないレベルだったそうです。
そのちんぜりを煎じて飲み、もし三日間の9回の摂取のうちに、何も身体に変化が見られなければ、「魔法」にはつながりません。次の機会を待つことになります。
それも連続して臨むことは許されず、三か月から半年間のインターバルをおかなければ、かえって寿命を縮める事態になってしまうのだとか。
重要になるのは、その9回のうちで反応があった場合です。
反応は背中に現れ、赤い斑点として他者には見えるようですね。当人も手で触れてみれば、そこに盛り上がりをはっきりと感じられるのだとか。
そこをこするんです。乾いた布で。
しっかり力を籠めることを推奨され、その結果で皮膚がなお赤く腫れあがっても、血がしたたり落ちようとも、まんべんなく擦らねばいけません。いえ、むしろそのようなことが起こるのが好都合なのだとか。
そうして、摩擦をした乾布に当人のものであった血や皮膚がべっとりと吸い込まれたのち、布を回収して冷やすのだそうです。
今は冷蔵庫、冷凍庫の類が用意できるので難しくはありませんが、昔はそれぞれの村落の氷室に相当する場所へ保管し、かちこちに凍らせていたのだとか。
そして、この布たちこそ「魔法」の源泉となります。
治療魔法、といえば魔法の中でもポピュラーなもののひとつ。
それがこの、ちんぜりからの摩擦布によって、ある程度再現がきくようです。
外傷や風邪などのウイルスによる体調不良の際、この布を患部やおでこなどへあてがっておくと、非常に治りが良くなるのだとか。
いとこ自身も体験したことがあるそうです。まだ子供だったときに、ちょっとひどい転び方をして、身体のあちらこちらにちょっと大きめのすり傷をこさえてしまいまして。そのときに例の布を使ったようです。
新鮮な血がにじみ出ていた患部。そこへ10分ほどあてがうと、かさぶたさえも残らずに新品の皮が張り、痕も残っていなかった……という話です。
ただし、一度使ってしまった布は、二回目以降はがくっと効果が落ちてしまうので使い切りが基本のようです。おそらくは冷え具合が重要なのではないかと。
しかし、近年は「ちんぜり」がめっきり取れなくなってきているようで、もはやこれを再現できる機会はほとんどないのだそうです。
発展する科学に対し、魔法側が忖度して道を譲り出しているのでしょうかねえ。
二つがいい具合に調和すれば、もっと良い世界が作れるかもですが……あるいは彼らは、人間がもっとうまい使い方ができるよう、利口になるのを待っているのでしょうか。




