プロローグ
私は、いわゆる「悪役令嬢もの」が好きだ。
理由はいたってシンプル。
読み終えた後の「ザマァ」が、最高にスカッとするからである。
理不尽に虐げられた主人公が、最後には幸せを勝ち取るシンデレラストーリー。
何より爽快なのは、クライマックスで悪役たちが完膚なきまでに叩きのめされる瞬間だ。
王位剥奪、お家潰し、幽閉……。
末路が悲惨であればあるほど、こちらの溜飲も下がるというもの。
性格が悪い? いやいや、自業自得でしょ。
私、相崎紗耶香は、今まさにそんな「逆転劇」を喉から手が出るほど欲していた。
目の前のディスプレイには、クライアントからの10回目となるリテイク指示書。
「リテイク無制限で受けます!」なんて調子に乗った過去の自分を殴りたい。
……いや、悪いのは私なんだけどさ。
「……代わりがいくらでもいるからって、ナメられすぎじゃない?」
もちろん、そんな本音をクライアント様に送れるわけもない。
「明日までに修正いたします」と力ない返信をしてから、私は背もたれに深く沈み込んだ。
ぐう、とお腹が小さく鳴る。
そういえば、最後にご飯食べたのっていつだっけ?
気づけばカーテンの隙間から朝日が漏れ、机の上のコーヒーカップはとっくに空だ。
修正作業に入る前に、まずは人間の生活を取り戻そう。
そう思って立ち上がり――そこで、私の意識は唐突に途絶えた。
こんなことなら、一言くらい文句を言ってやればよかった。
***
「……ま、おじょ、さ…………、おき……」
遠くで誰かの声がする。
ひとり暮らしの私を起こしてくれる人なんていない気がするけど、久しぶりの睡眠だ。
できれば、もう少し寝かせておいてほしい。
夏だというのに肌寒い気がして、体にかけられていた上質な毛皮を無意識に引き寄せ……毛皮?
「毛皮、って……っ!?」
思わずガバっと飛び起きる。
「あ、やっと起きたんですね! 朝食の時間はとっくに過ぎていますよ!」
目覚めて最初に目に入ったのは、昨今コスプレでも見ないようなメイド服の女性だった。
(誰だろう、この人。私の部屋に、なんで勝手に……)
文句を言おうとした所で、更なる衝撃が走る。
「私の部屋じゃ……ない?」
視界に飛び込んできたのは、家賃7万円のワンルームとは比較にならないほど広大な空間。置かれている調度品はどれも歴史の教科書に載っていそうな上等品ばかりだ。
極めつけに、大きな鏡の前にかけられたドレスは、まるでファンタジー小説の挿絵から抜け出してきたかのように豪華だった。
(……これって、もしかしなくても)
人間という生き物は、数えきれないほど読んだ「ありきたりな展開」でも、いざ自分の身に起きるとすんなりとは受け入れられないものらしい。
「……いつまで寝ぼけていらっしゃるんですか、アネラお嬢様?」
「アネラ……アネラって、私?」
「また記憶喪失ですか? その手にはもう乗りませんよ。さぁ、早く起きてください」
そう言って、容赦なく毛皮をはぎ取られた。
お嬢様(仮)ならばもっと丁重に扱われるべきだと思うが、状況が掴めない以上、今は従う他ないようだ。
(――アネラ、なんてキャラクターが出てくる作品、あったっけ……?)
寝間着から上質な衣装へ着替えさせられ、簡易な化粧を施されている間もこのメイドのお小言は続く。
「ユディ様はアネラ様と違って、朝の挨拶も完璧ですのに」
「ユディ様なら、殿方への配慮も欠かさないでしょうに」
やたらと知らない名前を引き合いに出し、いかに「ユディ」とやらが素晴らしく、対する「私」が劣っているかを語り続ける。途中、掃除のために数名のメイドが部屋に入ってきたが、彼女の無礼を咎める者は誰ひとりとしていなかった。
(ダメだ。まだ確信もないのに、どうしても思考が悪役令嬢ものに引っ張られてしまう。でも、この冷遇っぷりは……)
そう、こういった展開にはもはや見覚えしかない。
(これ、私が寝る前に読んでた『公爵令嬢の孤独な晩餐』……、いや『聖女な妹に婚約者を奪われたので家を出ます』だったっけ?……とにかく、あの手のジャンルそのものじゃない!)
乙女ゲームか漫画か、はたまたネット小説か。
どちらにせよ、アネラが妹と比べられる「不遇な姉」だということは分かった
***
ようやく嵐のようなメイドたちが去り、静寂が戻る。
私は重厚なティーテーブルに腰を下ろすと、ペンを手に取った。メイドの長話から断片的にくみ取った情報を、忘れないうちにメモしておくためだ。
まず、私が憑依してしまった薄いピンク髪の女の子。この子は、アネラ・ウィズバーン。ウィズバーン家の長女、つまり公爵令嬢ということになる。
家族は父、義母、そして義妹のユディ。可憐で『百合姫』と謳われているユディは、目が覚めるほどの美人で秀才、気遣い上手など、完璧超人のエトセトラらしい。
けれど――鏡の中のアネラと視線を合わせる。
透き通るような薄いピンクの髪、吸い込まれそうな瞳。これだけの美貌を持ちながら、あんな下っ端メイドにまで舐められているなんて。
「……まずは、この家での立ち位置を確認しないとね」
正直に言えば、アネラになってまだ幾ばくも無いというのに、腹の底で熱いものが渦巻いていた。それは相崎紗耶香であった頃の私と、このアネラが、あまりに似た境遇に思えたからかもしれない。
前世の私は、理不尽なクライアントにひたすら頭を下げ、他の才能あるイラストレーターたちと散々比べられては馬鹿にされ、家賃7万円の部屋で冷めたコンビニ弁当を食べるだけの、枯れた生活を送っていた。
『今だけ耐えれば、きっといつか報われる日がくる』
なんておめでたい思考で、ただあの狭い世界で耐えることしか知らなかった。
(せっかくの二度目の人生でまで、誰かに虐げられるのが「お決まり」だなんて……)
冗談じゃない。
私をアネラと呼ぶなら、アネラとして生きてやろうじゃない。
過去のアネラがどうだったかはまだ分からないけれど、もしこの家が、私の想像通り「理不尽の塊」なのだとしたら。
これからの“私”は、お嬢様を馬鹿にするメイドの粗相も、自分を下げて他者を持ち上げる無礼も、一切見逃してやる気はない。もしこの世界がテンプレ通り、妹と家族が結託して私を追い詰めようとしているんだとしたら。
「……ふふ、いいわ。望むところよ」
私は口の端を吊り上げ、不敵に笑う。
これまで「アネラ」がどのような扱いを受けてきたか、この目で一つずつ確かめてやる。そして――。
「もし本当に私が『不遇な悪役令嬢』だっていうなら。見てなさいよ、最高にスカッとする逆転劇を見せてあげるから」
今度こそ、私は戦う。
「……この家をひっくり返して、アネラを虐げていた奴ら全員、不細工な吠え面にしてやるんだから!」
誰もいない豪華な部屋で、私は静かに、しかし煮えたぎるような闘志を胸に刻んだ。




