第75話 ミナのインフルエンサー・マーケティング ~承認欲求が、最高のバカンスを台無しにする~
ヴァイパーの完璧な法務対応によって王国海軍が撤退し、私の有給休暇はついに不可侵の領域へと到達した。
空には雲一つない青空。
海にはクラーケンが作り出す、メトロノームのように正確で心地よい波の音。
手元には、最適化されたサプライチェーンから供給される、常にキンキンに冷えたココナッツジュース。
私はデッキチェアに深く沈み込み、数日ぶりに、心の底からの深い安らぎ(睡眠)を手に入れた。
……ピロン。ピロン。ピロロロロロン!
私のまどろみは、魔導端末のけたたましい通知音によって、またしても無惨に引き裂かれた。
私は無言でアイマスクを外し、端末を睨みつけた。
通知の嵐だ。それも、広報部のアカウント宛てに、外部から尋常ではない数の問い合わせが殺到している。
何事ですか。
私は舌打ちをし、近くのパラソルで自撮りに夢中になっていた広報担当のミナを睨んだ。
ミナは私の視線に気づくと、少し気まずそうに、だが隠しきれない興奮を浮かべて小走りで近づいてきた。
「あ、あのねクリフ。ちょっとしたアクシデントというか、大成功というか……」
「私の有給休暇を脅かす事態に、大成功などありません。何をしたのですか」
ミナは自分の魔導端末を私に差し出した。
画面に表示されていたのは、画像共有SNS『映え魔鏡』のタイムラインだ。
そこには、透き通る海と純白の砂浜、ヤシの木陰に設営された超高級なデッキチェア、そして最新のブランド水着に身を包んだミナ自身の姿が、完璧な構図で収められていた。
ハッシュタグには「#魔王軍の秘密のバカンス」「#世界最高のプライベートビーチ」「#庶民はお断り」などと、挑発的な文句が並んでいる。
「……これは?」
「その、ちょっと出来心でアップしたら……バズっちゃって」
ミナが指差した「いいね」の数は、すでに数百万を突破していた。
私は頭痛を覚え、こめかみを揉んだ。
「ミナさん。ここは我が社の社員旅行用のプライベートリゾートです。なぜ全世界に向けて位置情報付きで自慢しているのですか。承認欲求のコントロールもできないのですか」
「だって! こんなに最高のロケーションで、最新の水着着てるのに、誰にも見せないなんてインフルエンサーとして死んだも同然じゃない!」
「その結果が、この通知の嵐ですか」
私は自分の端末の受信トレイを開いた。
送信者には、王国の貴族や、他国の富裕層たちの名が並んでいる。
『その素晴らしいリゾートはどこにあるのだ!』
『魔王軍だけずるい! 私にもそこへ行く権利があるはずだ!』
『金を払うから、今すぐ直通の転移門を開け!』
彼らは魔王軍の台頭によって経済的実権を奪われ、金だけは持っているが暇を持て余しているセレブたちだ。
彼らにとって、誰も知らない最新の超高級リゾートは、何としてでもマウントを取るために行かなければならないステータスシンボルに映ったらしい。
「クリフ、どうする? 王都の港から、貴族たちがチャーター船を何十隻も出してこっちに向かおうとしてるみたいだよ」
アリスが呆れたように報告してくる。
私は冷たく言い放った。
「入島拒否です。ここは私の休息の場だ。見栄っ張りな人間の貴族どもを島に入れれば、騒がしくて昼寝もできない」
「だけどクリフ……」
ミナがもじもじしながら、一つのメッセージを私に見せた。
「王国の公爵からのメッセージなんだけどね。……『一泊100万マナ出すから、一番いいスイートルームを用意しろ』って」
「……」
私は、片付けようとしていた魔導計算機の上に、そっと手を置いた。
「いくらと?」
「い、一泊100万マナ」
ミナが唾を飲み込む。
「他にも、バグラムの豪商が『ビーチの貸し切りに500万マナ出す』とか、聖教国の元司祭が『クラーケンの波乗り体験に30万マナ払う』とか……。みんな、頭がおかしくなってるみたい」
私はサングラスの奥で、瞳を細めた。
一泊100万マナ。
それは、通常の一流ホテルの数十倍という、完全に狂った価格設定だ。
だが、彼らにとっては魔王軍が独占している最高のリゾートに、誰よりも早く滞在したというブランド価値に、それだけの金を払う価値があるのだ。
「クリフ? まさか、入れる気じゃないよね? 休みたいんでしょ?」
アリスが不安そうに私の顔を覗き込む。
私は深く、静かに息を吸い込んだ。
「……ええ。私は休みたい。人間の貴族など、砂浜のゴミ以下の存在です」
私は立ち上がり、サングラスをかけ直した。
「ですが、向こうが『ゴミ箱に大金を捨てたい』と懇願しているのなら……それを拾わないのは、CFOとしての職務怠慢に他なりません」
「クリフの病気が再発したニャ……」
足元でマッサージ待ちをしていたニャルがドン引きしている。
私はミナに向かって、冷徹に指示を出した。
「ミナさん。彼らに返信しなさい。『当リゾートは完全招待制の超高級VIPエリアです。料金はすべて時価となります』と」
「やる気ね、クリフ!」
ミナが目を輝かせて端末を叩き始めた。
「せっかくの静けさが台無しになるのは業腹ですが、この不快感に対する『迷惑料』は、彼らの財布の底が抜けるまでキッチリと徴収させてもらいましょう」
私の有給休暇は、いつの間にか新規事業立ち上げフェーズへと移行していた。
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押しかけてきた貴族たちを待ち受けていたのは、常識を覆す法外な「リゾート価格」だった。
「ココナッツジュース一杯が5万マナだと!? ぼったくりにも程がある!」
「おや、嫌ならお帰りいただいて結構ですよ。他にもお持ちのお客様は山ほどいますから」
需要と供給が生み出す、圧倒的な搾取のメカニズム。
次回、第76話『迷惑料としてのダイナミック・プライシング』
100倍の価格設定でも来るなら、徹底的に搾り取ります。









