第74話 ヴァイパーのワーケーション ~領有権を主張する王国海軍は、国際法で追い返してください~
波のプール責任者としてクラーケンを雇用し、規則正しい潮騒を手に入れた私は、ついに究極の休息領域へと突入していた。
キンキンに冷えたココナッツジュース。
獣人たちによる極上のフットマッサージ。
そして、顔にそよぐ南国の風。
CFOとしての激務も、厄介な監査も、今はすべて海の彼方だ。私は目を閉じ、意識を深い眠りへと沈めようとした。
ボガァァァァンッ!!
突如、沖合から腹に響くような砲撃音が轟き、私の微睡みは無惨にも打ち砕かれた。
……。
私は無言でアイマスクをずらし、沖合に目を向けた。
クラーケンが波を起こしているさらに向こう側、水平線の彼方に、数十隻の巨大な帆船からなる艦隊が姿を現していた。
帆に描かれているのは、見慣れた王国の紋章。王国海軍だ。
「魔王軍の不法占拠者どもに告ぐ!」
旗艦から、魔力拡声器を使った威圧的な声が響き渡る。
「我々は王国海軍・第七艦隊である! この島は我が王国の歴史的領土である! 直ちに武装を解除し、島から退去せよ! さもなくば実力行使に移る!」
ビーチで遊んでいた社員たちがざわめき始める。
なんだなんだ、人間どもの軍艦だぞ?
せっかくの休みなのに、戦争かよ!
ガントが舌打ちをし、ゼノン様が嬉々として魔剣を構えようとしている。
私は深く、ひたすらに深いため息をついた。
……なぜ、私の有給休暇はこうも次から次へと邪魔されるのでしょうか。
私はゆっくりと身を起こし、隣のパラソルへと視線を向けた。
そこには、紫色のド派手なアロハシャツに身を包み、優雅にトロピカルカクテルを傾けている男がいた。
我が社のCLO(最高法務責任者)、ヴァイパーだ。
彼はサングラスをかけ、片手で分厚い聖法全書を読みながら、完全にバカンスの空気に溶け込んでいた。
「ヴァイパーCLO」
私が声をかけると、彼はページをめくる手を止めずに答えた。
「なんでしょうか、クリフCFO。私は今、有給休暇の最中ですが」
「ええ、存じています。ですが、あの沖合の騒音のせいで、私の睡眠環境が著しく損なわれています」
私は冷徹に告げた。
「法務のトップとして、彼らを合法的におい返してください。砲撃戦など起こされてビーチが荒れるのは御免です。特別手当は弾みますよ」
「ほう。ボーナスですか」
ヴァイパーはニヤリと笑い、本を閉じて立ち上がった。
「仕方ありませんね。ワーケーションということで手を打ちましょう。それに、かつての同僚たちが大砲を撃ち込んでくるのを黙って見ているのも、法曹の端くれとして寝覚めが悪い」
ヴァイパーは砂浜を波打ち際まで歩き、喉元に手を当てて拡声魔法を起動した。
その声は、海軍の警告をかき消すほどの音圧で海原に響き渡った。
「王国海軍・第七艦隊の諸君! 私は株式会社デーモン・ホールディングスCLO、ヴァイパーである!」
海軍の艦隊が、その名を聞いて一瞬ピタリと動きを止めたのがわかった。
つい数週間前まで王国の特別顧問を務めていた男の声だ。無理もない。
「貴官らは『この島は王国の歴史的領土である』と主張したが、それは国際海洋法第12条に基づく無主の地の先占の要件を満たしていない!」
ヴァイパーは蛇のような鋭い言葉を次々と叩きつける。
「王国はこの島に対して、いかなる実効支配も、行政機関の設置も、経済活動の保護も行ってこなかった! 地図に線を引いただけの領有権主張は、国際法廷では一切認められない!」
対して海軍の司令官が、スピーカー越しに反論してくる。
「ええい、屁理屈を! ならば貴様ら魔王軍も同じだろうが! ただの不法上陸だ!」
「いいえ、全く違います」
ヴァイパーは不敵に笑い、後ろの村やビーチを指差した。
「我が社はすでに、この島の現地住民と正式な雇用契約を結び、マナを基軸とした経済圏を確立している。さらに、インフラ投資を行い、海の守り神、クラーケンとも合意形成を済ませている!」
「つまり、この島はすでに株式会社デーモン・ホールディングスの実効支配下にある、正当な民間私有地だ!」
ヴァイパーの法的ロジックは完璧だった。
ただの暴力による占拠ではなく、経済活動と契約に基づいた資本主義的支配。
これを軍事力で排除しようとすれば、王国は「正当な民間企業の財産権を侵害した国家テロ」として、国際社会から非難を浴びることになる。
「もし貴官らがこのまま民間私有地に向けて一発でも砲弾を撃ち込めば……」
ヴァイパーはサングラスを外し、冷たい瞳で艦隊を射抜いた。
「私はCLOとして、王国政府および貴官ら個人に対し、数兆マナ規模の損害賠償請求を行う! 上場企業への営業妨害と株価下落の責任を、海軍の軍人風情が一生かけて払えるかな!?」
……ッ!!
艦隊は完全に沈黙した。
武力には武力で対抗できるが、法と天文学的な損害賠償という呪いには、一介の軍人では手も足も出ない。
彼らは上官への報告と責任問題を恐れたのだろう。
数分後、第七艦隊は一発の大砲も撃つことなく、悔しそうに帆を翻して王都の方角へと撤退していった。
「ふぅ。論破完了です」
ヴァイパーは首を鳴らし、何事もなかったかのようにデッキチェアへと戻ってきた。
「全く、無能な軍人は法律の勉強が足りていませんね。……さて、ボーナスの査定には期待していますよ、クリフさん」
「ええ、見事な法務対応でした。手続きしておきましょう」
私は再びアイマスクを装着した。
これで、今度こそ、あらゆる外的要因は排除された。
法的なバリアに守られた、完璧なプライベートリゾート。
私はついに、誰にも邪魔されない至福の昼寝へと落ちていった。
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法的に守られた完璧なリゾート地。だが、その美しすぎる景観が、思わぬ形で世界中に知れ渡ってしまう。
広報担当のミナが、出来心で「映え魔鏡」に水着写真をアップしてしまったのだ。
「ちょ、ちょっとクリフ! 私の投稿がバズって、人間のセレブたちがこの島に来たいって大騒ぎしてるんだけど!」
せっかくの静けさが、再び人間の貴族たちによって脅かされる。
次回、第75話『ミナのインフルエンサー・マーケティング』
承認欲求が、最高のバカンスを台無しにする。









