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第32話 10億マナの紙幣を燃やして暖を取る夜 ~5,000億マナ持っていても、パン1個すら買えない地獄~

 ――数時間後。


 聖教国エリュシオンの裏路地。

 煌びやかな大通りの喧騒から遮断されたその場所には、腐った生ゴミのツンとする臭いと、肌を刺すような冷気だけが満ちていた。


 しんしんと降り積もる雪の中、私たちはゴミ捨て場の陰に身を寄せていた。

 高級だった私のスーツは泥にまみれ、見る影もない。

 指先の感覚はとっくに失われ、吐く息だけが白く濁っている。


「……うぅ、寒い……」


 アリスが小さく震えながら、膝を抱えている。

 彼女のローブは薄く、この極寒の冬を凌ぐには頼りない。

 いつもなら、温かいサーバー室で高級プリンを食べているはずの彼女が、今は唇を紫色にして震えている。


「すまねぇ、大将……。俺が不用意に動いたせいで……」


 ガントが項垂れた。

 彼の自慢の重装備は、衛兵に「危険物所持」として没収された。今の彼は、ただのボロボロのシャツ一枚の大男だ。

 鍛え抜かれた肉体とはいえ、この底冷えは骨まで響いているだろう。


「謝らないでください、ガント。……これは、私の読みが甘かった」


 私は眼鏡を外し、凍えた指でレンズを拭った。

 この数時間、私たちは地獄を見た。


 ◇


 1時間前。宿屋通り。


「頼む、一晩だけでいい! 金ならあるんだ! ほら、最高純度のマナ石だ!」


 私たちは宿屋の主人に、1万マナ相当の宝石(魔石)を差し出した。

 どこへ行っても歓迎されるはずの輝き。

 だが、主人の顔は恐怖に歪んだ。


「ひぃっ! しまうんだ! その汚れた石を見せるな!」


「汚れた石……? これは純度99%の……」


「関係ない! 『異端者』と取引したことがバレたら、ウチの店まで口座を凍結されちまう! 俺たち家族を路頭に迷わせる気か! 帰れ! 二度と来るな!」


 バタンッ!

 扉が閉ざされ、さらに塩を撒かれた。


 「二次制裁セカンダリー・サンクション」。


 私たちと関わるだけで、彼らもまた「経済的な死」を迎える。その恐怖が、人々の善意を完全に殺していた。


 30分前。路上のパン屋。


「お腹すいた……パン……」


 空腹に耐えかねたアリスがふらりと屋台に近づいただけで、店主が血相を変えて衛兵を呼んだ。


「衛兵ー! 異端者が商品を汚そうとしてるぞー! 誰か追い払ってくれ!」


 周囲の客たちからの、蔑むような視線。

 まるで伝染病患者を見るような目。


 「金がない」のではない。「存在そのものが罪」なのだ。


 ◇


 そして現在。


「……お腹、すいたな」


 アリスの呟きが、静かな路地裏に響く。

 彼女が大切に持っていた石板スレートは、ネットワークから遮断され、ただの冷たい板切れになっていた。


「クリフ、私……もうハッキングできない……。ただの役立たずだよ……」


「そんなことはありません」


 私は泥だらけのスーツジャケットを脱ぐと、震える彼女の小さな肩にふわりと掛けた。

 残った体温と、微かな残り香が彼女を包む。


「あ……」


 アリスが驚いて顔を上げる。


CTO(最高技術責任者)の体調不良は、我が社にとって最大の損失リスクですからね。……これは、重要な『資産保全メンテナンス』の一環です」


「……っ、ば、バカ。あんたが風邪引いたら、誰が計算するのよ」


 アリスは一瞬言葉を詰まらせ、それからポッと頬を赤らめた。

 彼女は私のジャケット――いつも嗅いでいる、珈琲とインクの匂いが染み付いた襟元を、ギュッと両手で掴んで顔を埋める。


「……あったかい。……ありがと」


 消え入りそうな声。

 その様子を見て、私は苦笑した。

 やれやれ、もし今の光景を魔王ゼノン(社長)が見ていたら、私の首は物理的に飛んでいたかもしれない。「娘に触るなァァ!」という絶叫と共に。


 だが、感傷に浸っている余裕はない。

 正直、私自身も限界が近い。

 ジャケットを失ったYシャツ越しの冷気が、容赦なく体力を奪っていく。


 その時だった。


 ガサゴソ……ガコンッ。


 背後のゴミ山から、重たい金属音がした。

 振り返ると、ガントがゴミの山を漁り、何かを引っ張り出しているところだった。


「……大将、こいつを見てくれ」


 彼の手には、赤錆びた円盤状の鉄塊――おそらく地下水路のマンホールの蓋のようなものが握られていた。


「汚ねぇし、取っ手もねぇ。だが……」


 ガントはそれを左腕に当て、軽く構えて見せた。

 その瞳には、装備を奪われた惨めさは微塵もない。あるのは、不屈の闘志だけだ。


「こいつはいい鉄だ。……十分、盾代わりになる」


「ガント……」


「へっ、俺は防衛隊長だぜ? 大将と嬢ちゃんを守るのに、ミスリルの盾なんざ要らねぇ。この鉄屑一枚あれば十分だ」


 ニカっと笑う相棒の姿に、私は胸が熱くなるのを感じた。

 そうだ。私たちはまだ終わっていない。

 金も装備も奪われたが、この「信頼」という資産だけは、どんな制裁でも凍結できない。


「……ええ。頼りにしていますよ、ガント」


 私は頷き、懐から一枚の紙幣を取り出した。

 緊急用に隠し持っていた、最高額面の『10億マナ紙幣』。


「さて。では、暖を取りましょうか」


「お、おい! 大将、そいつは10億マナだぞ!?」


 私は紙幣を指先で強く弾き、紙面に印刷されたインク――高純度のマナ塗料に物理的な摩擦を与えた。

 

 シュボッ。


 私の指先から、紙幣が一気に発火した。

 それは紙が燃える赤い火ではない。圧縮されたマナが物理的に燃焼反応を起こした、青白い高熱の炎だ。


「ここでは、これが最も『有意義な使い方』です」


 私は青白く燃え上がる10億マナを、地面に置いた空き缶の中に放り込んだ。

 ゴオォォ……と低い音を立てて燃える札束。

 その高密度な熱エネルギーが、凍えた私たちの手を瞬く間に温める。


「……あったかい」


 アリスが火に手をかざす。

 10億マナの炎。世界で一番高く、そして一番虚しい輝き。

 その青白い光が、ガントの持つ錆びたマンホールを、まるで伝説の盾のように照らし出していた。


 炎を見つめながら、私は思考を巡らせた。

 SWIFT排除。二次制裁。

 完璧な経済封鎖だ。正面から突破する方法はない。


 だが、キョウヤは一つだけ見落としている。

 彼は「マナ」を封じたことで勝利したと思っている。

 しかし、経済の本質は通貨そのものではない。


「……ふっ、ふふふ」


 絶望的な状況で、乾いた笑いが漏れた。


「大将? 大丈夫か? とうとうおかしくなっちまったか?」


「いいえ、ガント。……逆です」


 私は燃え尽きて灰になった10億マナを踏み潰し、眼鏡をかけ直した。

 レンズの奥で、私の瞳が青白く発光する。


 金も、魔法も、信用も奪われた。

 ゼロになった。

 つまり、これ以上失うもの(リスク)は何もない。


「私たちは今、最強の『チャレンジャー(持たざる者)』です」


 私は立ち上がり、白亜の大聖堂を見上げた。

 あの中で、教皇とキョウヤは勝利の美酒に酔っているだろう。

 私たちが野垂れ死ぬのを確信して。


「見ていなさい。……ここから『ゼロ』から這い上がり、貴女達の神(信用)を……完膚なきまでに暴落クラッシュさせて差し上げましょう」


 最強のCFO(最高財務責任者)は、路地裏のゴミの中から、反撃の計算シナリオを開始した。

 手始めに必要なのは、この国で通用する「原子」――すなわち、キョウヤの監視が届かない「闇の資金源」だ。


「アリス、ガント。……行きますよ」


「へっ、どこへだ?」


「決まっています。この国で唯一、我々が確率(数字)で勝てる場所」


 私は夜の闇に紛れ、怪しく輝くネオン街の方角を指差した。


「――『地下賭博場カジノ』です」


(続く)

[System Notification] |次回予告《NEXT_PREVIEW》

―――――――――――――――――――

クリフたちがスラムで反撃の狼煙を上げる一方、魔王城では緊急事態が発生していた。 メインバンク凍結による主電源喪失。 その暗闇に乗じて、地下から「あの男」が解き放たれる。

「逃げますよ! 魔王軍はもうオワコンよ!」


次回、第33話『魔王軍システムダウン。その隙に「社畜勇者」が脱走しました』

メインバンクが凍結されて給与未払いに!?

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マニアックなネタに付いてきてくれて、ありがとうございます!


あとりえむ 作品紹介

地球の『受理』を以て、僕の存在を証明する。 やっぱりせかいはまあるいほうがいい S級清掃員 至高のミミちゃんを見守る会 君が遺した種子は、森には還らなかった。

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