日曜日:2人と別れて
一番長い一日が、終わった。
氷室は結局、右に美月、左に桔梗。
両手に花の状態で歪な皮の字を作り、雑魚寝をする羽目になった。
美月は一度寝たら一切身じろぎすることがないものの、問題は寝相の悪い桔梗だ。
ゴロゴロと床を頻繁に転がってはガツン、ガツンと壁や物に当たる。
氷室はいつ近隣住民から苦情が来るのかと気が気で眠れなかったが、どこかに桔梗が転がって行かないように手を握ってやれば、その瞬間から魔法のように大暴れすることなく静かになった。
(どうなってんだよ……)
氷室は何度寝かもわからない浅い眠りを繰り返しながら朝を迎える。
普段は休みの日曜も、当番医である今日は出勤日だ。
氷室は診療所で急に体調を崩した患者たちが駆け込んでくるのを待つことになるのだが、一つだけ重大な問題がある。
「美月、今日の予定は」
朝目覚め、布団を畳んでベッドの上に避難したテーブルをリビングの中央へ戻し、3人で朝食を囲み終えた氷室は美月に問いかけた。
「氷室先生。わたしには聞いてくれないの?」
「桔梗は俺が帰るまでここにいるだろ」
「……美月先生の行動によっては、私も一緒に診療所にいく」
「あのな、桔梗……」
美月と桔梗を自宅に残して、仕事へ行く気にはなれない。
いくら変装しているとは言え、桔梗を何度も伴って外出したことが週刊誌の記者に見つかり、問題になることも避けたかった氷室は、頭を抱える。
「美月先生と後から一緒に診療所へ顔を出すなら、なんの問題もないでしょ。週刊誌が大好きなのは、芸能人に男の影があること。同性同士仲良く歩いているだけなら、なんの問題もない」
「あら、桔梗ちゃん。あたしと仲良く並んで歩けるの?」
「……私は今をときめく若手女優。心の奥底から憎んでいる相手とも、笑顔で並んで歩くなど造作もない」
「まぁ。ふふふ……」
美月は含みのある笑みを浮かべて桔梗を見つめた。
朝っぱらから険悪な雰囲気になってしまい、氷室はどうしたものかと眉を顰める。
(美月がどんな行動を取るか答えねえと、対処のしようがないな)
眼の前で睨み合う美月と桔梗の様子を確認した氷室は、やはり美月の行動予定が明確にならない限りは話が進まないと判断し、再度美月へ問いかける。
「美月」
「あたしは紗雪ちゃんの側で、治療に専念するわ。深緑と氷室が外来診療中に、不審者が押しかけ殺害されてしまいましたなど……。間抜けな出来事が起きないようにね」
美月は氷室と共に診療所で、外来診療時間の終わりまで紗雪と一緒にいると告げた。
桔梗は行き帰り美月と二人きりになるのを許さないだろう。
私も一緒に行くと大騒ぎしかねない。
かと言って、美月が今どんな状況に置かれているかわからない以上、一人で診療所に向かわせるわけには行かなかった。
「美月先生と二人きりで行き帰りするなら、私も──」
「……美月。お前は今、自分がどのような立場にいると考えている」
桔梗は自分を無視して美月と真剣な話を始める氷室に対し、頬をむくれさせ拗ねているようだったが──氷室は桔梗のご機嫌取りよりも、美月を堂々と沖縄の街を歩かせても問題ないか判断するのを優先した。
「お前が天門紗雪を助けたのは、偶然なのか」
「いいえ」
その結果、美月の口から思いがけない言葉を得る羽目になってしまった。
美月は意図していなくとも、困っている人に出逢えばすぐに自らを顧みず助け舟を出す天才だ。
偶然男に襲われている天門紗雪を見かけて助けたとばかり考えていた氷室は、美月から偶然ではないと言われ驚いた。
「偶然ではないなら……」
「この話、1から100まで説明すると長くなるのよ。氷室も出勤時間が迫っている。早く済ませたいでしょ?」
「今は誰かに襲われる危険性があるないかの判断だけで構わないが……1から100まで説明できる時間があるなら、ちゃんと聞かせろよ」
「いいでしょう。あたしが紗雪ちゃんを撃った犯人に襲われる危険性は高いでしょうね。ただ、悪魔の子を始末したい人間達に加害される可能性は、氷室と同程度のリスクかしら」
「……悪魔の子を始末したい人間と、天門紗雪を撃った相手は別なのか?」
「同じでもあるし、違うとも言える。派閥が違うのよ」
悪魔の子が狙われている話は、紗雪から桔梗に語られ、桔梗から氷室に伝わっている。
どんな派閥があるかまでは聞いていないが、詳しい話を聞こうとすれば日が暮れてしまう。
氷室には紗雪がどこの派閥に所属している男に撃たれたかを知るより、優先するべきことがある。
「沖縄まで犯人が追いかけて来ているとは思えないから、問題ないわ。氷室が診療所に顔を出してくれたら、ボディガードをここまで呼び出せるもの」
「……車に乗っていた奴は、信頼できるのか」
「氷室にとっては信頼できない人でも、あたしにとってはそれなりに信頼できるようになった人よ」
まるで謎かけのような曖昧な返答に氷室は疑問をいだきながらも、小さく。
そのボディガードとやらがどんな人物かは分からないが、美月と二人で外出しようものなら桔梗がうるさい。
そのボディガードへ美月のことは任せ、氷室は一人で通常通り出勤するべきだろう。
「美月が命を預けられると認識しているならば問題じゃない」
「よかったわね、桔梗ちゃん。あたしが氷室と二人きりで、出勤することはなくなって」
「話を黙って聞けないほど、子どもではないから……!」
「ふふ。そうだったわね」
またバカにされたとむくれた桔梗は、氷室に抱きつき慰めてと言いたそうに見上げてくる。
呆れてものも言えない氷室は桔梗の頭を優しく撫でてやりながら、桔梗が嫌がる指示をした。
「桔梗」
「どうしたの?氷室先生」
「今まで通り、引きこもっていろ」
「私もさーちゃんに会いたい」
「何かあってからじゃ遅いんだぞ」
「……さーちゃんと会うときは、いつもきーちゃんと一緒に覚悟を決めているもの」
桔梗にも警戒心はあったようで、紗雪と会う際は吉更と共に顔を合わせていたようだ。
診療所で事件が起きれば桔梗の命が危ぶまれ、行き帰りに週刊誌記者が嗅ぎつけたなら、芸能人愛知桔梗の立場が悪くなる。
どちらの危機も回避するならば、桔梗は氷室の自宅で帰りを待ち続けるべきなのだ。
「大人しくしていろ」
「いや」
「わがまま言うなよ……」
「じゃあ、いい子にしていたら私のお願い。聞いてくれる……?」
桔梗のお願い作戦はろくなものではないと。
経験上よく理解していたが、桔梗の安全を最大限考慮するのであれば氷室に拒否権などない。
氷室は仕方なく桔梗のお願い作戦を受け入れ、どうにか自宅へ留まらせることに成功した。
「お前ら、喧嘩するなよ」
「あたしにその気がなくても、桔梗ちゃんが……」
「美月先生が私をからかう……」
喧嘩するなよと言った側から睨み合う。
(こいつら、大丈夫か……?)
帰宅した時、玄関先が血の海でないことを祈るしかない。
「……行ってくる」
「いってらっしゃい、氷室先生!」
「あたしもお昼ごろに向かうわ」
二人の将来を心配しながら、氷室は後ろ髪を引かれる思いをしつつ診療所へ出勤した。




