彼女の座は渡さない
「……あまり、桔梗を追い詰めるな」
「あら。あたしが悪者なの?世間的に悪者なのは、交際中の男女に横槍を入れて奪おうとしている桔梗ちゃんの方よ」
「……俺たちの関係は破綻している。終わったんだよ。もう、昔のようには戻れねぇ」
「破綻していると考えているのは氷室の方だけでしょう」
「美月……」
7年前までは裏表なく、常に正しき道を歩き続けるのが美月の利点であったはずだ。
美月のことなら何でも理解している気になっていた氷室は、再会してから美月の考えが何一つ理解できず愕然としていた。
「7年近く経てば、人は変わる。俺はもう、美月が何を考えているかすら、よくわかんねぇんだよ……」
「あたしは氷室が考えていることなど、手に取るようにわかるわ。氷室は桔梗ちゃんの口車にうまいこと載せられて、7年近く前とは違うと思い込みたいだけ」
「違う」
「違わないわ。あの子はまだ子どもだけれど、氷室の弱い所をよく理解しているもの」
氷室の孤独と欲しい物を理解しているからこそ、精神的に弱っている氷室は食い物にされたのだと忠告してくる。
美月は昔から敵と判断した人間には容赦なかったが、桔梗を敵と認定しているわけではなさそうだった。
敵と認定して総攻撃を仕掛けているのは、むしろ桔梗の方だ。
美月はその攻撃を大人の余裕で交わし、桔梗へ火に油を注ぎ続けている。
「氷室は自分を愛してくれて、道を示してくれる女ならば誰でもいいのよね。もう二度と会えないと思っていたあたしが現れて、桔梗ちゃんにちょっかいを出したのは失敗だったと後悔している」
「手は、出してねぇよ」
「手を出していないけれど、気持ちは桔梗ちゃんの方に傾いているのでしょう?」
後悔などしていない。
あのまま美月を思い続けていた所で、氷室が目の前にいる空島美月を受け入れられたかどうかは怪しいものだ。
7年近く離れていたせいで、氷室は空島美月の思い出を元に、理想の彼女を作り上げてしまっている。
氷室が美月に抱いていた気持ちは憧れ。
恋心だと思いこんでいた感情は、自分の都合のいい言葉だけを紡ぐ、都合のいい彼女の幻影に抱いていたものだ。
(美月と再会するまでは気づきもしなかったが、今ならよく理解できる)
7年近くのブランクは、氷室にとって都合のいい空島美月を完成させるに至る都合のいい時間だった。
うまくいくはずなどないのだ。
氷室が美月と交際し添い遂げるためには、自分にとって都合のいい空島美月を破壊することから始める必要があるのだから。
「いいのよ。あたしは氷室が誰を好きになったとしても。あなたが幸せならば、それで」
最愛の人とたとえ添い遂げられなくても。
愛する人の幸せを願うことこそが、真実の愛であると口にした。
この発言を桔梗が耳にしていれば、理解できないと怒鳴り散らしていたことだろう。
美月と桔梗は光と闇のように、すべてが異なる。
年上と年下。
愛する人が幸せならそれでいいと幸せを願い、身を引き――愛する人は自分の手で幸せにするべきだと行動する。
同じように比べようとした所で、比べられるはずがないのだ。
どうしても優劣をつけなければならないならば、氷室がどちらをより好ましいと思えるか……感情論に縋るしかない。
「桔梗ちゃんには、氷室の彼女に相応しいか見極めるまで渡すつもりはないといったけれど……あたしが見極めたいのは、桔梗ちゃんだけではないわ」
氷室が美月の幸せについて問いかけようとすれば、彼女は矛先をこの場にいない桔梗ではなく氷室の喉元に突きつけてきた。
「氷室は、桔梗ちゃんを幸せにできるの?」
年の差がある。
悪魔と呼ばれていた。
現役の芸能人。
両親に迫害され、史上最悪とまで語り継がれる天門総合病院の事件に関わっていた女を、氷室が幸せにできるかどうかなど。
(わからないと素直に告げていいのか?)
7年近く前であれば、氷室は包み隠すことなく美月へ気持ちを伝えられただろう。
けれど。
今の氷室は、空島美月が本来どんな性格であったのかさえも曖昧な状態だ。
この状態で今まで通り「わからない」と告げれば、揚げ足を取られる危険性があった。
(これじゃどっちが恋の障害かわかんねえな……)
桔梗にとって美月は殺してやりたいと憎むほど、邪魔で仕方のない存在だ。
美月は氷室の幸せを願うからこそ、桔梗が氷室に相応しい存在であるのか、桔梗を氷室が幸せにできるのか見極めたいらしい。
(俺はどっちを邪険に扱うべきなんだろうな……)
このまま3人で大騒ぎしながら暮らし合う未来など、ありえないのだ。
氷室はそう遠くない未来で、白黒はっきりとけりをつける必要があった。
「……一週間、待ってくれないか」
「なぜ一週間なの?」
美月の問いかけには、桔梗には無理矢理スケジュールを開けて沖縄に滞在できる期間が残り一週間しかないことを告げた。
桔梗のスケジュールが関係していると聞いた美月は、おもむろに美月らしくない行動に出る。
氷室の腕に纏わりつき、妖艶に微笑んだのだ。
「おい……」
「そう。わかったわ。その答えが聞けるまで、あたしは氷室の彼女で居続ける。それでいいわね」
「……氷室先生、答えってなに?なんの話?全然よくないから!」
これにたじろぐ氷室が、美月の手から逃れようとしたときのことだった。
ドタバタと音を立て、風呂場から桔梗が戻ってきたのは。
相当慌てて出てきたのか、毛先から水滴がポタポタと下に落ちて布団を濡らしている。
「……桔梗……」
濡れた毛先を放置し話を進めようものなら、氷室たちは濡れた布団で夜を明かすことになるだろう。
残念なものを見る目で氷室から見つめられた桔梗が、その視線から逃げるように氷室の懐へと潜り込む。
「おい。タオルはどうした。床が濡れるだろ」
「ふふ。本当に子どものようね」
「また抜け駆けして!氷室先生は私のものだから!」
「俺を二人で奪い合う前に、まず髪の毛の心配をしろよ……」
いい年した大人が深夜にギャーギャーと大騒ぎして、近隣住民からクレームが来ないだろうか。
氷室は戦々恐々としながら、美月がタンスの中から取り出したタオルを受け取り、桔梗の髪に触れて水分を拭き取ってやるのだった。




