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3人から2人へ

 願うだけで夢が叶えば、苦労しない。

 どんなに願っても、氷室が美月に再び巡り合うことは叶わないと諦め、桔梗に対する好意を認めた瞬間に美月がやってくるなど想像もしていなかった。


「氷室先生。大好き……」


 互いの頬に触れながら、その言葉を聞いた氷室は桔梗へ愛の言葉を口にできなかった。

 リビングに繋がる窓に、人の気配を感じたからだ。


(言えばいいだろ。美月にはすでに気持ちがないことを伝えている)


 美月と氷室はお互いに、恋愛感情がないとしても──正式に双方破局を受け入れない限り、彼氏彼女を名乗り続ける。

 氷室は桔梗へ恋心が揺らいでいる以上、さっさと美月と別れ桔梗に愛を囁いてやりたかったが、美月が納得してくれない。

 美月が納得する条件は、「桔梗が氷室の彼女に相応しいか」を見極めた後のこと宣言されている。

 明確な期間を定めなければ、氷室は自分の都合がいいように不誠実で曖昧な関係を続けてしまうだろう。

 この件に関しては、美月や桔梗と話し合いが必要だ。


「子どものお守りは大変ね」


 桔梗が泣き止み、落ち着いた所で美月が火に油を注ぐような発言をしたことには驚いたが、氷室と桔梗の体勢を見れば嫌味の一つや一つくらい言いたくなるかと思い直す。

 氷室を押し倒し、愛を囁く桔梗の姿を目撃したのだ。

 浮気の証拠として提示されたら、氷室は言い逃れなどできるはずがない。

 これは違うんだ、と。

 浮気や不倫が発覚した男の常套句を口にすれば、桔梗に泣かれ美月に蔑まれる修羅場へ発展しかねない。

 この場は黙秘を貫くべきだろう。

 氷室は桔梗の頬に触れるのをやめると、彼女へ上から退くように指示をした。


「私は立派な大人だもの!」

「立派な大人の女は、彼女のいる男奪ったりしないのよ」

「浮気や不倫は、立派な大人の女になった証拠」

「女として未熟な現れの間違いではないかしら……」


 ああ言えばこう言う美月と桔梗はお互いに一歩も引かないので、いつまで経っても睨み合い続けている。


(間に挟まる俺の身にもなってくれ……)


 桔梗の意識が美月へ向いたことをいいことに、桔梗の下から這い出た氷室は、扉の前に佇んでいた美月を退かして一足先に室内へ戻った。


「お前ら、とりあえず座れ。どっちもうちで寝泊まりするつもりなら、誰がベッドを使うか決める必要があるだろ」


 ワンルームマンションには、シングルベッドが一つ置かれているだけだ。

 桔梗1人ならば、狭いと文句を言いながらシングルベッドで寄り添うことにより、氷室と二人でどうにか眠れていたのだが──成人した大人が3人で一つのベッドで眠るのは無理がある。


「私の方が氷室先生のお家へ先にお泊りしているもの。当然、床で眠るのは美月先生よね」

「あら?あたしは氷室の彼女よ。添い寝することを前提としているならば、氷室の浮気相手である桔梗ちゃんが床で眠るか、ベッドを一人で使って氷室を私に譲るべきだわ」


 美月と桔梗の意見は真っ向から対立した。

 お互いに床で眠れと指示し合う2人は、美月の一言によって「どちらが床で眠るか」よりも「どちらが氷室と一緒に眠るか」を話し合い始める。


「ベッドを使って氷室先生と寝るのは私だから!」

「ベッドにこだわりはないけれど、本命彼女としては氷室との添い寝は譲れないわ」

「大人げない!私を子ども扱いするなら譲ってよおばさん!」

「ふふ。一人で眠れないなど、本当に小さな子どものようね……」


 桔梗を子ども扱いすることが面白くて仕方ないのか、美月は含み笑いを浮かべて蚊帳の外へ追い出された氷室へ視線を向ける。


「氷室は私と桔梗ちゃんなら、どちらを選ぶの?」


 美月の視線が動けば、桔梗の視線も氷室へと向けられるのは当然のことだ。


「氷室先生は美月先生より、私のことが好きだもの。私と一緒に寝たいよね?」


 桔梗を選べば、最悪の場合美月は氷室に黙って姿を消しかねず。

 美月を選べば、桔梗が怒って包丁を振り回してもおかしくはないだろう。

 この場でどちらかを選ぶわけにはいかない氷室は、第三の選択肢に縋るしかない。


「どちらか片方を選ぶのはなしだ。寒い思いをして床で眠るか、狭い思いをしてベッドで3人一緒に寝るか。お前らで決めろ」


 氷室は答えが出ないなら、一生喧嘩し続けていろと匙を投げる。

 顔を見合わせた二人は、長い沈黙の末。互いの意見を氷室抜きですり合わせ始めた。


「あたしはベッドにこだわりはないわ」

「私と氷室先生がいつも二人で眠るとき、狭いって言ってた。3人で一緒に眠るなら、当然氷室先生は真ん中だよね」

「それは譲れないでしょう」

「氷室先生に狭い所で抱きついて寝るより、テーブルを退かして3人で寝た方がいい気がする……」

「……お子様にしては頭が回るのね」

「子どもではないから」


 二人は意見をすり合わせ終わったのか、布団を廊下に一度すべて退け、仲良くテーブルをベッドの上へ運ぶと、氷室の手を掴む。


「氷室先生は真ん中ね。私は右」

「なら、あたしは左かしら?」


 氷室を無理矢理真ん中に横たわらせ二人は、当然のように歪な皮の字を作り思い思いに床へと横たわる。


「桔梗ちゃん、眠る前にお風呂に入らないと……」

「美月先生と二人きりにさせるわけないでしょ」

「身を清めずに眠るなんて……癖になると、不健康に繋がるわよ」

「大きなお世話!夜入らなくたって、朝風呂とか、昼風呂とか、色々あるもの!」

「桔梗……。美月とは何も起こらねぇから。入ってこい」

「いや!」


 桔梗は美月と氷室を二人きりにすれば関係が進展してしまうと氷室の腕に縋り付いたが、湯船に浸からずともシャワーでもなんでもいいからとにかく身を清めてほしかった。


「あたしと氷室を二人きりにして、見えない所で関係が進展するのではないかと恐れるならば。桔梗ちゃんが数分で身を清めればいいだけよね?」

「3分で出てくる!」


 女性の風呂は長い。

 カップラーメンがお湯を注いだら3分で出来上がるのように。

 すぐ身を清めて出てくるにしても、たったの3分では服を脱ぐだけで終わってしまうのではないだろうか。

 パタパタと慌ただしく着替えを持って風呂場へ向かった桔梗の姿を見送った美月は、くすりと微笑む。


「氷室と二人きりになった所で、何かが始まるわけないじゃない。桔梗ちゃんは心配性ね」

「……かわいい所もあるだろ」

「あれをかわいいと称せるのは氷室だけよ」


 氷室の隣へ寝転がる美月は、桔梗のように胸へ縋り付くことなどせず、静かに天井を見つめている。


(美月は昔からベタベタと引っ付いてくるタイプではない)


 本気で桔梗にと奪われたくないと思うならば、なりふり構っていられない状況であるのは間違いないだろう。

 現に桔梗はプライドをかなぐり捨ててでも、何が何でも氷室を手に入れると躍起になっているのだから。


「桔梗ちゃんは独占力が強くて、まだ未熟な子どもね。氷室の彼女を名乗ろうものなら、年上の悪いおじさんに騙されたかわいそうな女の子として見られることになるでしょう。それは、お互いにとっての幸せなのかしら」


 努力では、年の差を埋められない。

 美月は氷室と桔梗が年の離れたカップルになることで、世間から向けられる目を気にしているようだ。


(大きなお世話と言うのは簡単だが……)


 困っている人と、愛する人。

 美月は今まで見ず知らずの困っている人へ優先して手を差し伸べ続けていたが、これからは愛する人の手を取ると宣言していたが……。

 人間の生き方は簡単に変えられない。

 長年歩んできた道を変更したいと願っても、いざと言うときに身体が勝手に動いてしまうのだ。

 氷室と美月が曖昧な関係を続けているその裏から、迫る魔の手を封じようとしても。

 結局美月は、困っている人と愛する人の二択を迫られた時に氷室ではなく、見知らぬ人間を助けるだろう。

 本来であれば自然消滅したはずの氷室と、桔梗の関係性を心配して口出しするのと同じように――

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