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氷室と過ごした時間を比べても(桔梗視点)

(なんなの、この女!)


 桔梗は内心、怒り狂っていた。

 手紙で一方的に別れを告げたくせに、気がある素振りを見せて氷室を惑わすその仕草が、目障りで仕方ない。


(手紙は書かされた?氷室先生の、本命彼女はあたし?いい加減にして!)


 やっと氷室が桔梗のものになったと、喜んだのもつかの間。

 桔梗はぬか喜びさせられる羽目になった。

 言いようのない怒りをぶつける先がない桔梗は、美月への態度がどんどん辛辣になっていく。

 苛立ちを隠すのすらも面倒で、トントンと目の前のテーブルを綺麗に手入れされた爪の先端で何度か叩いた。


「あたしが邪魔で仕方ないのよね」


 桔梗の苛立つ姿を認識した美月は、さして気にした様子もなく淡々と話を始める。


(大人の余裕?)


 小娘が苛立っている所で、美月には問題などないアピールだろうか。

 爪の先端でテーブルを叩くのをやめた桔梗は、表情を強張らせながら美月に言葉を返した。


「……氷室先生は、美月先生の無事を喜んでいる」

「あたしは、桔梗ちゃんの気持ちが聞きたいわ」


 桔梗の気持ちを聞く必要があるのだろうか。

 桔梗にとって美月が憎き恋敵であるように。美月にとっても、桔梗は氷室を横から奪い取ろうとする泥棒猫のはずだ。

 泥棒猫の気持ちを聞いて、美月は何がしたいのだろう。


「私からはっきり美月先生のことが嫌いだと告げた言葉の言質を取って、氷室先生に嫌われるよう仕向けるの」

「桔梗ちゃんにとってあたしは、酷い極悪人のようね」


 美月さえいなければ、氷室が桔梗の姿ものになるのだから当然だ。

 桔梗は氷室と運命の赤い糸で結ばれているのだと笑顔で語ったが、桔梗だって心の奥底から運命の赤い糸を信じているわけではない。

 運命にでも縋らなければ、美月と氷室が側にいるだけでも、不安で仕方がないのだ。

 美月の行動次第で、桔梗は氷室の側には居られなくなってしまう。

 7年近く前までは気持ちを通じ合わせ交際していた二人は、破局を了承することなく曖昧なまま別々の道を歩んできた。

 一方的に別れを告げた手紙が美月の意思で書かれたものではないならば、氷室がその気にさえなれば、いつでも二人はよりを戻せる。


 桔梗には、それが不安で堪らなかった。


(氷室先生は、美月先生ときちんとお別れしたら私とずっと一緒に居てくれる覚悟を持って、気持ちを伝えてくれたはず)


 氷室は桔梗に好意を持ちつつあると伝えただけであり、生涯桔梗を愛しぬくとまでは伝えていない。

 桔梗の中では、氷室が好意を自分に向けてくれたならば、責任を取って最後まで幸せにしてくれる覚悟ができたのだと信じ込んでいる。

 だからこそ、桔梗は美月の存在が邪魔で仕方ない。

 ときには殺してやりたいと思うほど美月を憎む桔梗は、美月と氷室の正式な破局を心の奥深くで気が狂いそうになるほど願い続けていた。


「美月先生は普段、正義の味方だから。いつもと真逆の視線を向けられるのは新鮮でしょ」

「氷室を恋愛面で好きになった女に、出会ったことなどなかったから新鮮……が正解かしら」


 美月は昔を懐かしむように、桔梗へ告げる。


「氷室に言い寄る女は、裕福な家系で生まれた氷室の遺伝子や金銭目当てで言い寄ってくる女ばかりだったのよ」


 昔話を聞いた桔梗は、そんな話は聞きたくないと叫びだしたくて堪らなかった。


(……氷室先生が若い頃の思い出話をされると、私は美月先生に勝てない……)


 桔梗は小さな手をぎゅっと握りしめると、頬を膨らませて美月から視線を反らす。


「氷室の交際事情を自分だけ知らないのが気に食わないのかしら。それとも、私と氷室が過ごした時間には勝てないと思っているの?」

「……どうでもいいでしょ」

「よくないわ。あたしだって、桔梗ちゃんが羨ましいと思うこともあるのよ?」


 天門総合病院に氷室がやってくる前のことは、美月や氷室から聞き出さなければ桔梗は知る術がない。

 氷室のことを気にするようになったきっかけは、入院中に美月から氷室の話を聞いたからだ。

 桔梗はどんなに願っても若い頃の氷室と話などできないのに、美月は若い頃から氷室と過ごすのが当たり前だったと口にする。

 桔梗は美月が羨ましくて仕方がないのに、美月から桔梗のことが羨ましいと告げられても、全く納得できなかった。


「慰めているつもり?」

「桔梗ちゃんの方が、氷室と過ごした時間は長いのよ」


 桔梗は氷室と出会ってから7年近く経過しているが、実際に顔を合わせた期間は1年にも満たない期間しかない。


(美月先生が羨ましがる要素など、一つもないのに)


 氷室の心から愛する存在が美月であるならば、変わって欲しいくらいだ。

 美月に対する恋心が憧れであることを突き付け、自分に好意を抱いてもらえるようになったこの状況で、今更美月と人生を入れ替わるなど、今更考えたくもない。


「あたしは氷室が大学1年の時からだから……6年になるかしら」


 年数だけで言えば桔梗の方が長いとしても、一緒に居た時間の長い美月が有利なのは明らかだ。


(たった1年の差で、羨ましがられたって嬉しくない……)


 桔梗を羨ましがるくらいならば、氷室と過ごした時間と思い出を分けてほしいくらいだった。


(美月と話していると、どんどん自分が醜い存在に見える……)


 まるで両親と話しているかのようだ。


『お前はこの世に生を受けた瞬間から、悪魔と呼ばれることが決定づけられている』


 男女の双子が生まれたならば、男に吉更、女に桔梗と名付け、男を天使と称して崇めよ。

 両親すら巻き込み、ろくな人生を歩まないと占い師からのお告げを受けた桔梗は、何を言っても受け入れてもらえなかった。

 美月は両親とは違う。

 桔梗の思いを受け入れ、慰めようとしてくれている。


(美月先生は、氷室先生の前では私が彼女に相応しい女かどうか、見極めるつもりだったようだけれど)


 気分が落ち込んでいる恋敵に手を差し伸べる人間は、自分が絶対的有利な存在であると認識しているか、彼を奪われることなどないと自信に満ち溢れているか、考え知らずの馬鹿。


(美月先生はどれなのか……)


 美月の行動を知り尽くした氷室であれば、すぐに答えを出しただろう。

 氷室が美月の思い出話をする時と、天門総合病院で働いていた際に少しだけ話したときの印象しか知らない桔梗が、答えを探し当てるのは少しだけ難しかったようだ。


「出会った当初はあたしが話しかけても無視するし、まともに会話が成立するようになったのは交際するようになってからだわ。あたしがあのまま天門総合病院で勤め続けていれば……。あたし達は今頃、どうなっていたのかしら」


 過ぎ去った時間をどうにかしようとしたって、どうにもならない。

 天門総合病院の事件がなければ、そもそも桔梗は氷室と出会えなかった。

 美月が行方不明になってくれたから、桔梗は氷室からの好意を勝ち取ったのだ。


(美月先生が事件に巻き込まれることがなかった時のことなど、考えたくもない)


 桔梗は過去よりも今に幸せを感じている。

 美月とこうして氷室を奪い合う時間は苦痛でしかないが、運命の赤い糸で結ばれている限り、氷室と桔梗は添い遂げる運命なのだ。


 今はいずれ過ぎ去っていく。


 過去をもう一度繰り返し、両親からこの世に生を受けただけで蔑まれる屈辱や、健康な身体を持って生まれたにもかかわらず、紗雪の命を助けるために病弱だと偽り病院に縛り付けられる生活など。


 桔梗はもう二度と、経験などしたくなかった。


「私には、氷室先生と二人で幸せになる未来しか見えない」

「桔梗ちゃんと同じ年の時、あたしもそう思っていたわ」


 美月は桔梗と同じ思いを胸に抱き、氷室と共に歩む未来を手放さざるを得えなくなってしまったのだ。

 桔梗もいつか、自らが想像もしない理由で氷室と共に歩む未来を手放すことになるのだろうか……?

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