2人の女を1人だけ選ぶには
(確証がほしい)
本当に、桔梗を愛し続けることが運命なのだろうか。
美月が手の届く所まで戻ってきたならば、今まで通り美月と同じ道を歩み、背中を負い続けるのが正解なのではないかと……氷室は迷っていた。
その迷いを断ち切る為には、桔梗でなければならない理由を探す必要がある。
(美月は一人でも生きていける。実際、美月は戻ってきた)
7年近くどこで何をしているか分からぬまま、自力で氷室の元へと戻ってきた美月は、転んでもただでは起きない逞しさが売りだった。
(桔梗は……)
桔梗は、美月に比べるとどこか頼りない。
大人になったばかりで、圧倒的に経験値が足りない桔梗は、氷室が突っぱねたらそのままどこかに消えてしまいそうな儚さがある。
病に侵された身体で、余命宣告を受けてもなお、人のために生きる決意をした天門紗雪とはまた別の意味で感じる儚さだったが……。
美月は氷室を選ぶ必要がないのだ。
それは芸能人である桔梗にも同じことが言えるだろう。
美月と桔梗は人気者だ。
タイプこそ違うが、誰もが喉から手が出るほどほしがる美女と芸能人。
氷室に拘る必要など、一切感じられない。
(美月は、自らを犠牲にし続け困っている人に無条件で手を差し伸べ続ける人生を歩むならば、引く手あまただろうな)
自らの不利益を顧みず人々を助けに走るその姿には誰もが惚れ、そして憧れるものだ。
氷室が桔梗に思いを抱いていると知った美月が、そうした善意の行動はやめるなどと言い始めたので、これからどうなるかは分からないが……。
(桔梗は芸能人でなくなれば、ただの人だ)
芸能界から足を洗う時期にもよるが、歌がうまくそこそこの美貌を持ち合わせた一般人になった時、どこまで男がよって来るかは未知数だ。
アイドルになる前から、桔梗は同じ院内学級に通っていた入院患者の少年に好かれているようだった。
その気になればすぐにでも彼氏ができそうなものだが──桔梗の背後には、桔梗に相応しい男であるかどうかを見極める為に吉更と神奈川焔華が目を光らせている。
彼氏ができた所で、あの二人から合格をもらえる男に出会えるかは未知数だ。
(責任を取れと言われた場合を想定し……取り返しのつかない方を勝手に判断して好きにならないよう努めるのはどうなんだ……?)
女を好きになるかどうかは、どちらを捨てた方が後腐れなく関係を断ち切れるかを念頭において考えるべき問題ではない。
(後腐れない方を切って、逃した魚は大きかったと後悔しても遅いんだぞ……)
桔梗を選んだことに、後悔はない。
美月が氷室と関係を結び直そうとしているのに引っかかりを感じた氷室は、このまま美月が行方不明の間何を考え、どんな体験をしてきたのかを聞く前に関係を断ち切ることはできなかった。
天門紗雪の危機になぜ割って入るようなことをしたのか聞く必要もあれば、渋谷で走行しているトラックが垂れ流す電波ソングに、美月の歌声が使用されている件だって聞く必要があるだろう。
(俺の恋心やあいつらの考えは別にして、まずは互いの近状を話し合うことから始めねえと)
美月から情報を聞き出す前に桔梗と会わせたのは失敗だったと後悔した氷室は、身体を清め終えると、風呂から出て身支度を整え、タオルを片手に脱衣所を出た。
「ちょっと、意地悪しすぎちゃった」
脱衣所の扉を開けた氷室は、廊下に佇む美月が舌を出して可愛らしくウインクする姿を呆然と眺めている。
美月が茶目っ気のある女性なのは今に始まったことではないが、その内容が問題だ。
(意地悪しすぎた?)
誰に対して、なのかが抜けていることに気づいた氷室は、美月の横を通り過ぎて足早にリビングを目指す。
「お風呂、あたしも借りるわね」
美月の言葉に返答を返す余裕すらない。
どうせ美月のことだ。
多少大げさに氷室へ告げているのは間違いないだろうが──美月は大人で、桔梗はまだ大人になったばかり。
小さな子どもとそう代わりのない桔梗に美月が「意地悪をした」と氷室に告げるのならば、何かしら美月の思いもしない状況に桔梗が追い込まれた可能性がある。
氷室がリビングに姿を見せれば、桔梗の姿はリビングになかった。
その代わり、少しだけバルコニーに繋がるドアが空いており、そこから室内に流れる風によって少しだけカーテンがはためき揺れている。
「嫌い。嫌い。美月先生なんて大嫌い」
氷室がバルコニーに繋がる窓を、少しだけ隙間の開いている所に手を掛け開けば、桔梗はバルコニーの隅に座り込んで膝を抱えて美月に対し呪詛を呟く。
本来であれば絶叫したい所だが、桔梗の特徴的な声が氷室の住むマンションから聞こえたと、週刊誌に売り込まれては堪らない。
芸能人として絶対にやってはいけないことが頭に入っているからこそ、耳に当てたスマートフォンを通じて呟くだけに留めているようだ。
「どうしよう、きーちゃん……氷室先生、取られちゃう……」
桔梗は明らかに相談する相手を間違えている。
相当参っているらしい桔梗は、氷室がバルコニーに姿を見せたことすら気づいていない様子で、苦しそうに自らの気持ちを電話越しの吉更へ吐露した。
「私が氷室先生を大好きだと気持ちを伝えても……。美月先生に抱く、憧れの気持ちに勝てないのはどうして……?」
桔梗は比較対象を間違えている。
憧れと恋心は全く異なる感情だ。
氷室が美月に抱く憧れよりも、桔梗への愛が勝るように働きかけようとした所で、限度があるだろう。
憧れの感情に勝とうとするから、苦しくなる。
桔梗は美月のことなど気にせず、ただまっすぐ氷室を愛していればいいだけなのだが──まだ未熟な桔梗には、考えが及ばないようだ。
「私と氷室先生が添い遂げることは、運命で定められているはずなのに」
電話越しに吉更へ訴えかけた所で、美月が氷室の前からいなくなるわけではない。
吉更も両親が占いにハマった結果、桔梗を悪魔の子として迫害され、天門総合病院の事件に巻き込まれたことを知っている。
眉唾話にはあまり興味がなさそうな吉更へはこの間、電話で話したばかりだが──赤い糸が愛する人の指に結びついているならば、信じてやってもいいと話していた。
桔梗の言葉を聞き、吉更がどんな返答を返すのかなど見当もつかない。
氷室はわざと音を立ててドアを引くと、自信の存在をアピールした。
「こんな所にいたら風邪引くぞ」
夏休みが終わり、季節は秋に移り変わったばかりとは言え、夜はすでに肌寒い。
薄着の桔梗へ、リビングに落ちていた白衣を投げ渡せば、スマートフォンを耳に当てたまま顔を上げた桔梗は、堪えきれずにうるうると潤ませた瞳から涙を流し始めた。
「……っ!」
桔梗は氷室の名を大声で呼びたい気持ちを堪え、しゃがみ込み桔梗と視線を合わせようとしていた氷室の胸元へと勢いよく飛び込む。
まさか飛び込んでくるとは思わなかった氷室は勢いに押され、勢いよく後ろにひっくり返ってしまった。
バルコニーの床に背中を強打する羽目になった氷室は桔梗が勢い余って頭をぶつけないように支えてやる。
氷室を硬いアスファルトの上に押し倒した桔梗の瞳から溢れる涙が、氷室の頬にポタポタと落ちていく。
「どうしたら、私を選んでくれる……?」
何もするなと告げた所で、桔梗は納得しないだろう。
氷室は頬から流れ落ちる涙を手で拭ってやると、桔梗を慰めるように頭の後ろから手を回し、自身の胸元へと押し付けたのだった。




