行方不明になった彼女と、もしもの可能性
「今は、肝臓の移植を待っている状態です。手術が終わるまでは、双子の弟に変わりを勤めて貰うつもりでいます」
「移植手術のタイミングなんて、患者が選べるものではないでしょ」
「優先順位が高くなければ、そもそも病院は入院させてくれません。タイミングよく私の肝臓と適合するドナーが見つかれば──私は生き永らえる」
「無理だった場合は?」
「弟が、私として生き続ければいいと思います」
桔梗は肝臓がんなどではない。
彼女の身体は健康そのものだ。
死ぬようなことがあれば、それは病気が原因ではない。
美月のように病院で暗躍するものから、邪魔者扱いされて始末されるだろう。
「……妹か姉なら……一生入れ替わっても問題はないだろうけどね……。弟じゃ、生涯女装させるわけにはいかないでしょ。弟は、あんたの代わりにステージへ立つことを了承しているわけ?」
「もちろんです」
「ふーん。だったら、どうして弟はこの場にいないのよ」
「同じ顔が2つあったら、混乱しますよね。きーちゃんには、お留守番して貰っています。焔華さんがお時間あるようなら……この後、きーちゃんと会いますか?」
「そうね。今日は朝から晩までオーディションの為に開けてあるの。今日を逃したらいつになるかわからないし、会うわ。あんたの替え玉として合格点を得られるかどうかは、弟と顔を合わせてから決める。それでいいわね」
「もちろんです。よろしくお願いします」
桔梗がこのまま焔華と共に病院へ戻れば、「病院に外出許可を得て一時外出している」ことが嘘であると焔華にも露呈してしまうはずだが──。
桔梗は自分が嘘をついたことをすっかり忘れているのか、ぺこりと行儀よくお辞儀をして、焔華からの質問に答えている。
「他に隠していることは?」
「ありません」
「本当にない?」
「ありませんよ」
「さっきこの医者と将来の伴侶がどうこう言っていたけれど。あれはなんなの?」
「言葉通りの意味です。氷室先生は、私と将来添い遂げる運命ですから」
「運命の赤い糸で繋がっているとでも?」
「はい」
「この子はそう言っているけど。あんたはどうなの?」
焔華は訝しげに氷室へと問いかけてくる。
桔梗に問いかけた所で、まともな返答が返ってこないと理解したからだろう。
ロリコンを疑われている可能性もあるが、大きな誤解だ。
氷室は妹とそうかわりのない、12歳も下の少女など恋愛対象として見ていない。
氷室が好む女は美月以外ありえないのだから、疑惑の視線を向けられるようなことは断じてなかった。
「こいつが一方的に言っているだけだ。俺には交際中の彼女がいる」
「それがこの子ってオチじゃないでしょうね」
「違う。俺は年上の方がいい。プライベートでも子どもの子守なんざやっていられるか」
「……美月先生がいなくなってから、半年も経つのに」
美月がいなくなって半年も経つのだから、桔梗を愛さない方がおかしいと言われても。
氷室にはどうにもピンとこなかった。
氷室と美月はそもそも年に1度も顔を合わせないことだってあるほどすれ違い人生を歩んでいたのだ。
半年くらい顔を合わせない程度で破局しているのならば、交際すらしていなかった。
「先生、自然消滅って言葉知っているよね。半年も連絡を取り合っていなかったら、普通は別れたってことにして新しい女を探すよ」
「交流を絶たれたなら、俺もアイツのことは諦めるが。あいつは自らの意志で俺に連絡をしてこない訳ではない。物理的に連絡できない何かがあるだけだ」
「……死んでいるかもしれないのに」
氷室が頑なに桔梗へ好意を見せなかったせいだろう。
桔梗は氷室が絶対に認めたくない最悪の展開を口にした。
「──死んでいるのならば、あの世で交際を続ければいいだけのことだ」
焔華が訝しげな視線を向けていなければ、桔梗の胸ぐらを掴んで静かに怒鳴りつけていたかもしれない。
焔華が見ている手前、大人げないことなどできるはずもなく。
氷室は膝の上に両手を載せて重ね合わせると、不思議そうに首を傾げる桔梗の声を聞いた。
「美月先生が死んでいたら、後追い自殺でもするの?」
「人生に絶望すれば、するだろうな」
「ふーん……先生は、美月先生のことが大好きなんだ……。私なんかよりも……」
──当たり前の事実に、ショックを受けてもらっては困る。
氷室にとって美月は交際中の彼女であり、桔梗はただの患者だ。
恋など生まれるはずもない。もしも氷室が恋心を抱けば、それは美月に対する裏切りだ。
「……この子の片思いってことでいいのね?」
「彼女を裏切るような真似はしない」
「行方不明になった美月先生へ操を立てたって仕方ないのに。男の人って、おばさんより若い方がいいって言いますよね」
「……世の中には、変わった男もいるのよ」
焔華は背もたれに寄りかかると、突然肩の力を抜いた。
スーツ姿の焔華が足を組む姿は氷室以外の人間が見れば煽情的ではあるが、美月に操を立てている氷室はピクリとも反応しなかった。
「桔梗よりも美月が好きだ」と告白する前から振られた桔梗は、ふくれっ面でむくれている。
彼女はこの場で交際している彼氏彼女と、嘘でもいいから氷室に宣言してほしかったのだろう。
(嘘だとしても、言えるわけがない)
美月と別れた、桔梗と交差しているなど。
嘘でも発言してしまえば、氷室の生きる世界は百八十度変化してしまう。
美月が彼女であることが当たり前の世界で生きていた氷室にとって、美月がいない世界で生きることがすでに苦痛だというのに。
氷室が美月との交際関係を自ら否定してしまったのならば──美月が五体満足で戻ってきた際、きっと後悔する。
「氷室先生は、美月先生が生きていると信じているのね」
「……美月は、階段から落ちたくらいで死ぬわけがない」
「──本当に階段から落ちただけなら、死ぬわけないかもしれないけど……」
「なんだと」
本当に階段から落ちただけだったら。
桔梗の言葉には含みがある。
まるで、美月が階段から落ちただけではないような言い方だ。
氷室が桔梗に剣呑な声で問いかけると、肩の力を抜いて背もたれに寄りかかっていた焔華も俊敏に反応して氷室を鋭く睨みつける。
「主治医が患者に向ける顔じゃないでしょ。この子に、一体何の恨みがあるわけ?」
「お前には関係ない」
「これからこの子は、あたしと同じアイドルグループとして活動していく運命共同体よ。文冬砲なんてもう懲り懲りなの」
「あ、オレンジジュース」
焔華と氷室が険悪な雰囲気でにらみ合った瞬間だった。
ごとりと音を立て、テーブルの上にオレンジジュースの注がれたグラスが置かれたのは。
突如として見知らぬ男が割り込んできたことに驚いたのは氷室だけで、桔梗はテーブルの上に置かれたオレンジジュースのグラスを当然のように掴んで「飲んでいいですか?」と焔華に聞いている。
「飲んでいいわよ」
「いただきます」
「もっと警戒心を持て。差し出されたものを当然のように受け取り口にするな」
「だって。カウンターの奥から出てきたのを見たよ」
(カウンターの奥?)
氷室は訝しげに、オレンジジュースをお盆に載せて持ってきた男の顔を見つめる。
顔たちの整った、美形と呼ぶにふさわしい男だ。
ライブハウスでビジュアル系バンドのベースを担当していそうな風貌の男は、鋭い目つきと細められた眠そうな瞳が印象的だった。
彼は訝しげに見つめる氷室の視線をすべて無視して、焔華の前へヨーロピアン調のコーヒーカップを置く。
「朝っぱらからうるせぇな……。来るなら連絡しろよ……」
髪をガシガシと乱雑にかき揚げた男は、やっと氷室に視線を向けた。
小さく会釈すると、お盆の下に隠し持っていたメニュー表を渡してくる。
「朝っぱらって。もう昼よ。店で寝泊まりしたわけ?ちゃんと帰宅しなさい。浮気を疑われるわよ」
「あいつには連絡してある……」
「あっそ。何か頼めば?」
「長居するつもりはないんでな。必要ない」
「頼めばいいのに」
氷室はメニュー表を受け取ろうとしなかった。
焔華は店員らしき男と親しげに会話をすると、氷室に差し出していたメニュー表を男に握らせ右手で追い払う。
気を利かせて女性陣に飲み物を置きに来た男は、ノロノロとお盆を手にカウンターの奥へと消えていく。
生気の感じられない、随分と影の薄い若い男だった。
氷室も影が濃いつもりなどなかったが、あれ程ではない。
物珍しいものを見た氷室は、オレンジジュースで喉を潤し、年相応な笑顔を浮かべる桔梗をぼんやりと見つめた。
「おいしいです!焔華さん、ありがとうございます!」
「必要ないわ。お礼なんて。どうしてもお礼がしたいなら、こいつとの関係を嘘偽りなく。あたしに話してほしい所だけどね……」
「氷室先生は、私の大好きな人です。今は片思いかもしれないけど……。いつか絶対、私が美月先生よりも氷室先生にふさわしいって、思い知らせてやるんだから」
桔梗は意地になっているのか、本気で氷室と結婚するつもりらしい。
アイドルは恋愛禁止のはずだが……。
片思いは不問とするらしく、焔華はオレンジジュースを飲み干す焔華の姿を見守っている。
「他に本命の女がいる男を好きになるのは、辛いわよ」
「そうですか?私は辛くなどありません。美月先生の安否が不明な状態で、私を愛してもらおうとは思いませんから」
「……あんたにはあんたの事情があって、あたしにはあたしの事情があるわ。押し付けるつもりはないけど……。この子を泣かせたら、許さないから」
何故氷室が睨まれなければならないのだろうか。
わけの分からぬまま、睨んでくる焔華に言葉を返すことなく。
氷室は不機嫌そうに顔を顰めたままじっと、黙り込んでいた。




