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元カノが姿を見せても……

「し、白雪先生。診療時間、もうすぐ終わりますけど……」

「帰っていいぞ」

「で、でも。白雪先生の手に負えない患者が来るんじゃ……」

「業務時間外に専門外の患者を見たと、残業代を申請するわけにはいかないだろ。タダ働きは俺だけでいい」

「し、白雪先生のご自宅には──」

「夜は遅くなると伝えてある」


 美月が来る可能性を考慮し、桔梗へ事前に連絡済みだ。

 子どもじゃあるまいし、氷室がいなくとも一人で寝泊まりできるだろう。

 那須宮は桔梗を心配しているが、氷室はまったく桔梗を心配していなかった。


「うぅ、でも。せっかくご自宅に……」

「いいから帰れ」

「わ、わたしでは力になれませんか……?」


 那須宮といるといないとでは、雲泥の差がある。

 当然、いてくれた方が氷室は助かるのだが──いつ来るかわからない美月を、那須宮と待ち続けるのは間が持たない。


「残業代は出ないぞ」

「か、構いません!」

「お前は本当に…」


 奴隷根性が染みついている那須宮に何を告げても無駄だと判断した氷室が、診療所の正面玄関入り口に鍵を掛け、扉に立てかけられたプレートをcloseに裏返した時だった――診療所の敷地内に、黒の見慣れないワゴン車が乗り込んできたのを目にしたのは。

 氷室と那須宮は顔を見合わせ、ワゴン車に診療所の裏口を指差して走り出す。


「運転席に乗っていたの、美月だったか」

「わ、わかりません……!」


 車内が見えないよう、スモークガラスになっているワゴン車の窓からは運転席でハンドルを握る人物が誰かわからない。


(一か八か)


 美月であれば、紗雪の治療に専念し──氷室を始末しに訪れた何らかの危険人物であるならば、那須宮だけは逃してやる。


「那須宮。美月でなかった時の可能性も考慮し、物陰に隠れていろ」

「ひゃ、ひゃい……っ」


 那須宮に物陰へ隠れるよう指示をした氷室は、決意を胸に。

 勢いよくドアを開けた。


「……ぁ……」


 氷室が勢いよくドアを開けた瞬間。

 真っ先に目があったのは、コートの下に着ているフードのパーカーで頭と顔を覆い隠す天門紗雪だった。

 その顔は顔面蒼白に近く、撃たれたのがすぐに事実なのだと認識する。


「大丈夫か」

「……はい……」


 か細い声で無事を伝える天門紗雪に肩を貸し、車から力業で降りて裏口から診療所の中に入ってきたのは、氷室が待ち望んでいた相手であった。


(美月……)


 ――今は、再会を喜ぶ時間すらも惜しい。

 診療所の中に美月と紗雪が入ってきたのを確認した氷室は、裏口の鍵を閉めると、紗雪に肩を貸していた人物へ声をかけた。


「──美月。状況は」

「3日前、至近距離で撃たれたの。弾丸は貫通していて、応急処置はした。傷は大したことないけれど、しっかりとした治療が必要な状況よ。診療室はどこ?」

「み、みみみ、美月先生!?」


 不審者だった場合対処に困ると命じられ、物陰に隠れていた那須宮が顔を出す。


 「ちょうどいい所に来たわね」


 驚き怯える那須宮の姿を認識した美月は、紗雪を氷室へ預ける。

 その乱暴な動きに、もう少し患者を労わってやれと氷室が苦言を呈する暇もない。

 カツカツハイヒールの音を響かせた彼女は、那須宮の元へ早足で向かい、手を掴む。


深緑(みろく)!診察室まで案内して!」

「ひゃ、ひゃい……!」


 深緑とはなんのことだと紗雪を抱き抱えるのに苦労していた氷室は、傷口が開かないようどうにか苦しそうな表情を浮かべる紗雪を抱き抱え、単語の意味を思い出す。


(那須宮の名前か……)


 氷室は名字でしか那須宮を呼ばない。

 すっかり忘れていたが……彼女のフルネームは那須宮深緑(なすみやみろく)だ。

 下の名前で呼び合うほどの仲だったのかと不思議に思いながら、氷室はぐったりとしている紗雪を診察室のベッドに横たわらせ、阿吽(あうん)の呼吸で治療を開始する美月と那須宮を見つめた。


(美月は専門外のことも、そつなくこなすからな……)


 必要な器具がなくとも、頭の回転が早い美月はありとあらゆる手段で代用して応急処置を施す。

 ただ、長期的に見れば、設備の整った場所で正式な治療をするべきだと考えているのだろう。

 外科手術に必要そうな器具は予め用意するよう那須宮へ伝えておいたお陰で、かなりスムーズに傷口の消毒と縫合が行われた。


「撃たれた傷は問題ないけれど……。問題は持病の方なのよね……」

「天門紗雪は悪魔の子として認定されている。臓器移植は不可能だ」

「医師会など、無視すればいいのよ」

「そういうわけにはいかないだろ」

「私には、失うものなどなにもないわ。医師免許を剥奪されようが、違法な手術を繰り返し逮捕されようが、目の前で人が死ぬよりずっといい」

「悪魔の子は、天門紗雪だけではないんだぞ」

「たかだか500人程度、どうってことないわ」


 悪魔の子に適合する臓器が確保できるなら、1日1人の手術で500日。1日フルに手術をし続ければ100日必要だ。

 誰にも知られることなく移植手術を続けるなど、病院関係者の協力があっても無謀な挑戦だった。


「天門紗雪に適合する臓器を持つのは、愛知桔梗と吉更の姉弟だけだぞ。どうやって協力を要請するつもりだ」

「……ふふ。氷室からその名前を出してくるとは思わなかったわ。後ろめたいことがあると、黙っていられないのは……今も昔も変わらないのね」

「なんだと」


 美月は治療に利用した傷の後片付けを那須宮に任せると、先ほど氷室へ紗雪を乱暴に突き飛ばしたのが嘘のように、足元に退けていた布団を優しい手付きで紗雪の身体に掛けてやる。

 青白い顔で静かに眠る天門紗雪は、今にも消えてしまいそうなほど線が細く、生きているのが不思議なほどに生気が感じられない。


(天門紗雪が移植手術を受けられないのは、気の毒だが……)


 桔梗は大金と引き換えに、違法な生体ドナーとなり紗雪へ臓器提供を行うはずだった。

 氷室が天門医院長の罪を暴いたことにより、彼女の身体がメスで傷つけられることを阻止できたのだ。

 できればこのまま、愛知姉弟には生体ドナーへなることなく、暮らしてほしい。

 そう願うことは、罪なのだろうか。


「聞いたわよ。私がいない間に、桔梗ちゃんとよろしくやっていたと」

「……何の話だ」

「いいのよ、とぼけなくたって。氷室とあたしの関係は自然消滅しているもの。7年近く経っているのよ?好きのままで、いられるはずがないじゃない」

「美月」


 美月は笑顔を浮かべるでもなく、悲しむでもない。

 なんの感情も抱くことなく、ただ無感情に淡々と言葉を紡ぐ。

 その様子を非難するように、氷室は美月の名前を呼んだ。


「俺とお前は、正式に破局していない」

「冗談でしょ。あたしが氷室に当てた手紙。見てくれなかったの?」


 廃墟に放置されていた、手紙のことを指し示しているのだろう。

 美月が一方的に別れを告げた手紙は、氷室の白衣につけられたポケットの中へ、小さく折り畳まれて投げ込まれている。


「そう。それよ。ちゃんとあるじゃない。その内容を見ても、あたしと交際し続けているなど、どの口が言うのかしら」

「美月、俺の話を聞いてくれ」

「浮気相手と同棲中の彼氏が、交際中の彼女に告げる言葉があるとしたら。それは釈明か、別れの言葉しかありえないわよ」


 美月の言葉を勘違いだと突っぱねることができないほど。

 桔梗に入れ込んでいる氷室は唇を噛み締め、ぐっと言葉を詰まらせる。

 最後で最後の場面でツメが甘いところを見せた氷室の心はすでに、美月のものではない。

 この状況で氷室が美月に伝えられる言葉など、たかが知れている。

 それでも氷室は――美月との交際を終わらせる為に、彼女と話をしなくてはならなかった。


「……本当に、浮気をしているの?」

「……浮気では……」

「そう。なら、白黒つける前に。あたしを桔梗ちゃんに会わせて貰えるかしら?それから、あたしのことを話して……氷室の話を聞いて……今後について話し合いましょう」


 7年近く経っても、美月のカリスマ性は健在だ。

 美月に圧倒された氷室は、小さく頷くことしかできなかった。

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