3日 木曜日:運命の赤い糸で結ばれた二人
桔梗と氷室は、気持ちを通じ合わせた。
お互いに愛を囁くことこそ氷室の都合でしてはいないが、桔梗はすっかり氷室の彼女になったつもりのようだ。
「氷室先生」
彼女になったつもりの桔梗と、氷室に嫌われていると知りながらもアプローチを仕掛けてきた桔梗は、氷室にとっては大差ない。
桔梗は氷室と必要以上に引っ付いては、屈託のない笑顔を浮かべることが多くなっていた。
「私の演技、興味ある?」
今日は木曜日。
病院は定休日だ。
紗雪が銃で撃たれたと思われる音声を耳にした桔梗が心配して涙を流し、その涙によって陥落した氷室が桔梗への思いを認めた翌日。
桔梗はスマートフォンを揺らすと、今まで出演してきたドラマの一覧表を小さな画面に映し出す。
「評判のいいドラマは見たぞ」
「どうだった!?」
「桔梗の演技は悪くなかったが、面白さがわからん」
氷室は『マンションの最上階には、悪魔が住んでいる』と言うタイトルのドラマを一気見していた。
このドラマは、タワーマンションに暮らすママ友達のバトルを描いた作品で、桔梗は主演ではない。
桔梗の役どころは、主人公家族の娘役。
高校生にして夜の街を遊び歩き、マンションの住人達に帰宅が遅いとひそひそ囁かれるような女子高生だった。
マンション最上階に住む悪魔が、どこの誰なのか知ってしまった桔梗は、悪魔に攫われて行方不明になってしまう。
夜遊びの激しい桔梗は家出だと勘違いされたが、主人公である母親は『娘が事件に巻き込まれた』のだと確信し、桔梗を救う為立ち上がるのだが……。
「超展開の連続で、話に入り込めなかった」
「ママ友同士の泥沼バトルが評判だったよ。あとは、犯人の意外性?ラスボスだと思っていた母親が、実は父親だった所が良かったみたいで……」
「ママ友、関係ないだろ」
「そうだけど……。視聴者は、意外な結末を望むのよ」
桔梗は床にあぐらをかいて座る膝の上に乗り、氷室を見上げている。
人間椅子扱いされている氷室は、桔梗の主張が理解できないと難しい顔をしていた。
それほどドラマが大ヒットした理由に、氷室は納得がいかなかったのだ。
「ママ友同士の泥沼バトルが人気なのに、ラスボスが父親は絶対ありえない」
「ママ友が怨恨絡みで娘を誘拐したなら、しょうがないねで済むけど……。父親だと……色々想像して生々しいよ」
「そうした設定だったのか」
「どうなんだろう?台本には書かれていなかったけれど、ガチめに怯えた演技をしたら、ファンのみんなからはキョウちゃんをいじめるなんて酷い奴と犯人役の俳優さんにクレームが行ったりはしたかな……」
役柄と演者は切り離して考えるべきなのだが、一部の視聴者は役柄と演者を混合し、演者を批判してちょっとした騒ぎになったらしい。
マンションの最上階に住むラスボスの父親に囚われた娘を助けるために乗り込んできた母親と対峙した際、桔梗の怯えっぷりは演技は思えないほど自然なものだった。
監禁生活が長すぎて、見慣れた母親の顔ですらも敵なのでやないかと警戒する。
あれほどの演技力があれば、女優としての仕事が黙っていても舞い込んでくるのは当然のことだろう。
桔梗は特に、年上へ媚びるのがうまい。
その気になればいくらでも芸能界で輝ける女なのだ。
作れる料理のレパートリーはカレーだけ、家事もまともにできない専業主婦にさせるのはもったいないくらいだと、氷室は改めて感じた。
「芸能人は、桔梗にとって天職だな」
「むぅ。私の天職は氷室先生のお嫁さんよ。芸能人でなければ、アイドルでもないのに」
「……芸能人のままなら、たくさんの人に歌を届けられる。演技だってできて、ちやほやされるんだぞ」
「歌を歌うだけなら、動画投稿サイトに投稿すればいい」
桔梗はどうしてもCDを出したいならば、即売会で充分だと言った。
芸能界に未練はないと語る桔梗は、ファンからちやほやされることを望んでいないと言った。
芸能人として芸能界で輝くことは、あくまで氷室を手に入れる為の通過点。
氷室が手に入った後ならば、芸能人としての肩書は不要なのだろう。
「これほどたくさんの人に愛されることを、願ったって叶わない芸能人はごまんといる」
「人は人。私は私よ。比べ始めたらきりがない」
「……いくらでも変わりが利くような存在は、そうだな。だが、桔梗は特別な存在だ」
氷室は横から桔梗のスマートフォンを操作すると、動画配信アプリのタブを一旦閉じ、ブラウザを起動させる。
氷室が桔梗のスマートフォンに表示させたのは、愛知桔梗のプロフィールだった。
誰でも編集可能なプロフィールページは、無名から著名人まで、大小様々な……ページが作成されている。
氷室は愛知桔梗の概要欄に書かれた文字を指差すと、その文字を読み上げた。
『国民的アイドルImitation Queenの元アイドル。5期生オーディション唯一の合格者。加入年齢は14歳で、地上に舞い降りた天使のような歌声と称される。現在はソロのシンガーソングライターとして活動しながら、女湯としても活動の幅を広げる、日本が誇る宝の一人である』
誰がこの内容を桔梗のプロフィール欄に書き込んだのかは知らないが、日本の宝として愛される桔梗が簡単に芸能人としての地位を捨てると言えば大きな騒ぎになるだろう。
桔梗は、このまま芸能人として活動するべき人材だ。
「氷室先生に特別だと言ってもらえるのは嬉しいけれど──。このプロフィールページには書き込めないあれこれがある以上、私は芸能界に長居するべきではない」
桔梗は加入前、Imitation Queenが日本を代表する国民的アイドルと呼ばれる原因を作った伝説のアイドルについて話し始める。
神奈川焔華と背中合わせに切磋琢磨して、トップアイドルへの階段を数段飛ばしで駆け抜けて行った伝説のアイドルは、2度の熱愛報道を受けて芸能界から姿を消した。
アイドルにとって熱愛報道はご法度だ。
ファンとアイドルの疑似恋愛を売りにしているアイドルグループは特に聖約が厳しく、握手会や撮影会などの売上に直接関わってくる。
伝説のアイドルと呼ばれた少女は、熱愛報道がすっぱ抜かれた瞬間に大規模な謝罪会見をしたことでそれほど大きなダメージを受けることはなかったのだが──
最終的に、伝説のアイドルはファンではなく熱愛報道の相手を選んだ。
二度目の熱愛報道はアイドルを卒業し引退してからスクープとして大々的取り上げられたが、すでに芸能会を引退していること、ファンからの抗議が週刊誌に殺到したことから、それ以来伝説のアイドルと呼ばれる少女のその後を追うものはいない。
「芸能人が大好きな人と結ばれる為には、さっさと芸能界から足を洗って、誰に知られることもなくひっそりと、静かに暮らすのが一番いいの」
後ろ暗いことがある芸能人は、週刊誌からすっぱ抜かれる前に芸能界から足を洗えば、悪事が詳らかにされることはない。
芸能人は芸を売る仕事だ。
華々しいそのステージの裏で、芸ではなく金や身体を売っているとすれば、大問題に発展する。
週刊誌は悪事を働く芸能人を芸能界から追放させたいから記事を書くのではない。
大衆が芸能人のスキャンダルを好み、記事を見るために雑誌を買うから記事を書くのだ。
私腹を肥やすものと、金になればなんでもいいと悪事を暴くもの。
そして、暇つぶし程度に感想を言い合い、争いの火種を大きくしていく一般人──
後ろ暗いことをしている芸能人は、記事にされるとわかるまで表向きの笑顔を振り撒き、一般人を騙す。
そして、光り輝くスポットライトを浴び続けるのだ。
「砂浜でPV撮影をしているだけでもあの騒ぎだぞ。変装せずに歩いてみろ。静かになど暮らせやしない」
「あれは撮影クルーがたくさんいたからで……。私がいたからではないよ」
桔梗は謙遜しているのか、本気でそう思っているのか微妙な言葉を氷室に向けて呟いた。
「聞こえなかったのかよ。桔梗に声援を送るファンの声が」
「うーん、いつもよりもちびっ子が多かったな……くらい……?」
「桔梗がドキュメンタリー番組に俺の情報提供を呼びかけた時、桔梗に会いたいから俺を売った奴らが山程いた。その辺を歩いていれば、奴らは平気で俺の住むマンションに出入りしていると週刊誌に情報を流すぞ」
「芸能界を引退していれば、週刊誌は必要以上に追いかけては来ない。氷室先生と結ばれた今、私は芸能界から去るべきなの。今すぐにでも」
桔梗と氷室は気持ち的には双方互いを愛おしく感じているかもしれないが、交際しているわけではない。
桔梗は週刊誌に氷室との熱愛が報道される前に、どうしても芸能界をやめたいと強く考えているようだ。
美月がどのような行動に出るかわからない以上、決着をつける前に桔梗が芸能界を去り、生活が困難となって責任を取れと迫られるのだけは避けたかった。
氷室の都合を考えず、今すぐやめたいと行動する桔梗を後ろから抱きしめた氷室は、彼女の耳元で囁いた。
「俺は芸能人の愛知桔梗と、俺の前でしか見せない愛知桔梗のギャップにやられたんだ」
「……一般人の私よりも、芸能人の私がいい……?」
「自分の好きなことを、楽しそうにしている桔梗は……魅力の一つでもある」
「……あんなの、本当の私ではないのに……」
胡座をかいた膝の上に乗り、氷室へ背を向ける桔梗の表情は見えない。
表情が見えなくとも、声だけで桔梗が不機嫌になったことを察知した氷室は、彼女を抱きしめる力を強めた。
「俺にだって猫、被っているだろ」
「そりゃ、被るよ。猫被らなきゃ、好きになって貰えないもの」
「ありのまま、芸能界で輝ける人間など居るとは思えないが……」
「裏表がない人間なら、焔華さんかな。アイドル引退してからは裏方に引っ込んで走り回っているから、芸能界で輝いているとは言えないけれど……」
桔梗がアイドルを目指すきっかけを作った神奈川焔華は、愛知桔梗と話をする中で必ず一度は話題に登る相手だ。
1期生がプロデューサーと不倫していたことが明らかになり、責任とってプロデュース業を降りることになった。
解散の危機に陥ったImitation Queenを救った神奈川焔華は、アイドルと兼業しながらプロデュース業を続けていたが──桔梗が卒業を発表すると同時に、プロデュース業一本に絞ってImitation Queenの活動を支えている。
焔華があのままアイドルとして活動していれば、芸能界の理不尽に押しつぶされてまともな仕事など得られなっただろうと推測する桔梗は、焔華の分まで芸能界で名を上げる為にこれまでたくさんの努力を行ってきたようだ。
「焔華さんへの恩返しも、もう十分だと思うの」
桔梗は焔華の分まで十分芸能界で光り輝いた。
これからは、愛知桔梗としての幸せを掴み取っても許されるのでhないかと氷室に告げたが、それを許すか許さないかを決めるのは焔華だ。
「それは桔梗の都合がいい妄想だろ。本気でやめるつもりなら、神奈川焔華と話し合え」
「氷室先生、焔華さんとの話し合い。付き合ってくれる?」
「弟に付き合って貰えよ……」
吉更に頼むと、桔梗ではなく焔華の味方をするので頼めないと言った桔梗は、腹部に回す氷室の手を離すと勢いよく立ち上がり、振り返る。
座ったままの氷室は、立っている桔梗を見上げる必要があった。
「急に立ち上がるな」
「……さーちゃん……」
「また何か聞こえるのか」
「……どうせ死ぬのに、どうして助けたのかと……美月先生に叫んでいる……」
氷室と結ばれいつもの調子を取り戻したはずの桔梗は、イヤリングから聞こえてくる紗雪の叫びに引っ張られ、迷子の子どもみたいな表情をする。
桔梗にはリアルタイムで聞こえている音声が、氷室には聞こえない。
美月にどうして助けたのと文句を言えるくらいに回復したのはいいことだと言えたらいいのだが。
そんなことを軽い気持ちで言えば、紗雪を思う桔梗がまた大粒の涙を流しかねないだろう。
氷室はゆっくりと立ち上がると、桔梗の耳たぶに触れる。
「氷室先生……」
「天門紗雪と美月の声を聞くと気持ちが落ち着かなくなるなら、聞くな」
「でも……」
氷室は紗雪の音声が絶え間なく聞こえてくる左側のイヤリングを、渋る桔梗の代わりに耳たぶから外してやるとテーブルの上においた。
紗雪の音声が聞こえるイヤリングは2つある。一つは桔梗、もう一つは双子の弟である吉更が身につけていた。
吉更にだけ音声を聞かせるわけにはいかないと、桔梗は外されたイヤリングに手を伸ばしたのだが──その手がイヤリングに触れる直前。
手を取った氷室は、もう一度桔梗を真正面から抱きしめた。
「後からでも聞けるだろ」
「それは……そう、だけど……」
「気持ちが落ち着いている時に聞けばいい」
「……氷室先生、優しい……」
「俺のどこに優しさを見出した」
氷室は理解できないと顔を顰めたが、氷室から抱きしめられたことが嬉しい桔梗は、それ以上イヤリングを耳に付け直そうと手を伸ばすことなく──氷室の背中へ、腕を回した。




