おしゃれなバーに場所を移して
「アリクイ?」
「Imitation Queenの略。IQ、イミクイって呼ばれている」
「あんたがこの子の保護者ね。あたしはこういうものよ」
女性が差し出してきた名刺には、「Imitation Queen専属プロデューサー 神奈川焔華」と書かれている。
桔梗が初対面時に歌唱していた歌は、確かこの女性がセンターの歌だったはずだ。
差し出された名刺を覗き込んだ桔梗は、名刺と女性の顔を見比べて歓声を上げた。
「うそ、焔華さん!?」
「どっからどうみてもそうでしょ。あたしの特典会、何回も来ているでしょーが」
「あ、あれはきーちゃ……。あ、あのっ。焔華さん!私の歌を聞いて、歓迎するってことは……!」
「合格よ。保護者の方と詳しい話がしたいの。騒ぎになるから、静かに話し合える所に行きましょう。いい所を知っているから」
「はい!行きます!」
「おい」
桔梗は元気よく返事をして乗り気だが、ちょっと待ってほしい。
氷室は桔梗の保護者ではなく、美月の行方とあの子について情報提供を得るために保護者欄にサインしただけの部外者だ。
氷室は桔梗から美月の件を聞いたら自宅に戻って寝るつもりだったのだが──桔梗は氷室の腕に絡みつき、離れる気配がない。
「保護者欄にサインした以上、私の保護者は氷室先生だよ。もう少しだけ付き合って」
桔梗に脅され、保護者のふりをして芸能活動を認めるような発言をしても法的に問題ないのだろうか……。
後々桔梗の親に怒鳴られでもしたら、桔梗が責任と取ってくれる保障があるのならサインしてやってもいいが。
そうではないのならば、時間の無駄だ。
「何してんのよ」
氷室はどうにか力ずくで桔梗を引き剥がそうとするが、無言の押し問答を続ける桔梗と氷室の様子に焔華が気づいた。
焔華が訝しげな目でこちらを見つめてくるせいで、氷室は桔梗を派手に拒否できなくなってしまった。
「なんでもありません」
「うちの大事な商品を転ばせて傷つけるのだけはやめてよね」
神奈川焔華はすでに桔梗をアイドルの一員として認識しているようだ。
どうやら氷室に拒否権はないらしい。
(鈴瑚にも伝えておくか……)
満足そうに氷室の腕に纏わりつく桔梗の目を盗み、鈴瑚へと帰宅が遅れる旨を伝える為にメールを打つ。
『帰り、遅くなりそうだ』
氷室がスマートフォンに文字を入力していることに気づいた桔梗が、画面を盗み見ようと信号待ちの僅かな時間を狙ってぴょんぴょんと跳ねる。
氷室と桔梗には身長差があるため、桔梗が飛び跳ねた所でスマートフォンの画面を盗み見ることなどできないのだが……。
「氷室先生、誰と連絡取っているの。女?」
「誰でもいいだろ」
「よくない。氷室先生は私と結婚するんでしょ」
「……あんたら、どんな関係なのよ。まさか、アイドルを志すくせに交際していますなんて言わないでしょうね」
「ふふ。アイドル引退したら、私は氷室先生と結婚するのよ。氷室先生と私は、誰にも知られてはいけない秘密を共有し合う生涯の伴侶ですもの」
「厨ニ病……?」
焔華は明らかに「ヤベー奴を拾った」と言わんばかりの表情を浮かべていたが、桔梗は厨ニ病を疑われても嫌な顔一つせずごきげんな様子で氷室の腕に纏わりつく。
どうやら、氷室のスマートフォンを覗き見るのはやめたらしい。
(こいつがヤベー奴なのは火を見るよりも明らかだろう……)
桔梗の言葉を信じるならば。
彼女は法律で禁じられている、未成年の生体ドナー候補者として天門総合病院の臓器売買に関与している。
この事件が明るみに出れば、犯罪者として逮捕される人間なのだ。
裏事情を知る人間ならば、まずアイドルとしてキラキラ輝けるような人間でないとわかる。
それだけでも十分地雷物件だが、愛知桔梗は表向き肝臓がんで余命宣告を受けており、天門総合病院でドナーを待つため入院している身だ。
弟の愛知吉更がアイドルデビューを果たすならともかく、愛知桔梗は入院しているのに何故表舞台で国民的アイドルグループの一員として活動しているのかと騒ぎになりかねない。
(こいつは一体何をするつもりだ……?)
桔梗の真意がさっぱり理解できない氷室は、笑顔で氷室の腕に纏わりつく桔梗にされるがまま、焔華の先導を受けてある雑居ビルの中へと入っていく。
ホストクラブや風俗店などが密集している、国民的アイドルならばまずリスク回避のために近づかないであろうビルの3階。
真っ昼間からcloseの看板が掛けられたドアノブを右に捻りドアを開けた焔華は、勝手知ったる人の店とばかりに大声で店主へと叫ぶ。
「常若!いるんでしょ!場所借りるから!」
(……誰だ)
氷室が首を傾げている間に、テーブル席に足を組んで座った焔華は帽子を脱ぐと、対面の席に座るよう桔梗と氷室を促した。
桔梗は始めて訪れるバーカウンター付きの飲食店が珍しいのか、キョロキョロと辺りを見渡してはスマートフォンのカメラをカウンターに向けて撮影を始める。
「氷室先生、見て。ボトルのお酒がいっぱい。タグ付いているの、ボトルキープかなあ。わたしもやりたい」
「この店、あたしたちがよく打ち上げに使うのよ。オレンジジュースにでもネームタグ作って掛けて貰えば?」
「いいんですか……!?」
「あんたがイミクイのアイドルとして活動する気があるのならね」
「あります!やりたいです、アイドル!私、焔華さんみたいなアイドルになるのがずっと夢だった……!」
「あたし?」
「はい!」
「あんた、変わっているわね……あたしを好きだって言う女は相当珍しいわよ」
珍獣を見るような目で、焔華は桔梗を見つめる。
焔華の視線など気にもとめない桔梗は、年上の女性に物怖じすることなく焔華へと質問した。
「どうしたらImitation Queenの正式メンバーとして認めてもらえますか!?」
「労働契約書へサインをする前に、簡単な面接をするわ。念のため録音するけれど、構わないかしら」
「いいですよ」
「同じアイドルグループのメンバーとして活動する以上は、責任を持って取り組んで欲しいのよ。お互い、隠し事はなしにしましょう。いいわね」
「はーい」
気の抜けた桔梗の返事に、大丈夫なのかと焔華がじっとしている氷室に視線を向ける。
ある程度のマナー違反は、14歳と言う年齢から本人へ指摘することは諦めているようだが──明らかに氷室の育て方が悪いと批難するような目線だった。
(愛知夫妻に言ってくれ……。育てたのは俺じゃない)
ここで桔梗を突き放せば、美月の情報が手に入らない。
氷室は焔華の視線を無視して、ぼんやりと焔華と桔梗のやり取りを聞いていた。
「イミクイのメンバーは、大なり小なり秘密を抱えている。些細な秘密から、週刊文冬にすっぱ抜かれたらアイドル人生どころか、人間としての人生すら終わるような秘密を抱えた奴だっているわ。あなたに、秘密はあるかしら」
「あります」
「その秘密、いまこの場で言える?」
「いいですよ」
桔梗が焔華との面談を終えるまでの貴重な時間をただぼんやりと待ちわびているだけではもったいないと、寝ようとしていた氷室は思わず桔梗を2度見した。
氷室へ秘密を打ち明けた時と同じように、臓器売買の件を暴露するのかと警戒していたからだ。
「おい……」
「──私、普段は肝臓がんで入院しています。主治医の先生と一緒なら、一時外泊してもいいって許可が出たので……今日は主治医の先生と一緒に外出しているの。ね、氷室先生」
「あ、ああ……」
桔梗は憧れの焔華に大して堂々と嘘を告げた。
桔梗の主治医は氷室でもなければ、桔梗は一時外出許可を病院に求めていない。
桔梗の話が事実であれば、病院に二度と戻ってこない可能性も考慮して一時外出許可など得られないとわかっているからだ。
だから桔梗は、双子の弟と入れ替わりこの場にいる。
(咄嗟に嘘をついたが、詳しく調べられたら終わるぞ。どうするつもりだ?)
眠気が吹っ飛んだ氷室が、眉を顰めながら桔梗の出方を横目で窺う。
桔梗は氷室へ挑発的な笑みを浮かべると、焔華に向けて嘘を重ねた。