助けたいと思うだけでは救えない
「さーちゃんが、銃で撃たれた……」
桔梗の耳につけられたイヤリングは、氷室と紗雪のイヤリングの音声と連動している。
氷室と紗雪が録音機能を作動させれば、リアルタイムで音声が桔梗と吉更に流れるのだ。
桔梗はその音声を耳にしたことで、紗雪の危機を察知したらしい。
「天門紗雪の拠点は東京だ。沖縄にいる俺が力になれることはない」
「さーちゃん……」
桔梗は紗雪の名を呼ぶと、ごくりと生唾を飲み込み、握る手の力を強めた。
桔梗の握力はそれほど強いものではなかったが、自分の爪を綺麗に伸ばしてネイルを楽しんでいるせいで、強く握ると氷室の手に爪が食い込むのだ。
桔梗が青白い顔で俯くようなことがなければ、文句の一つや二つくらいは桔梗に告げるのだが。
泣きっ面蜂はかわいそうだと、氷室は桔梗を安心させるように、優しく語りかけた。
「すぐに東京へ足を運べないが、それでも俺に助けを求めるならば……俺ではないといけない理由があるのだろう」
「……私のこと、嘘つきだと思わない?」
桔梗は今にも再び泣き出してしまいそうな程、顔面蒼白な状態で問いかけた。
今この状況で、一体何を疑うと心配しているのだろう。
疑う理由のない氷室は、小さく首を縦に振った。
「繋いだこの手は、話の内容を聞いても離さないと誓って」
誓わなければ話の続きが桔梗から聞こえてこないならば。
氷室が取るべき選択肢は、一つだけだ。
「……話の内容を聞いても、この手は離さないと誓う。これでいいか」
普段の桔梗であれば、自身の思い通りになったことを喜んで笑顔を浮かべる場面ではあるのだが──桔梗は表情を変えることがないまま、氷室へ想像もしていなかったことを告げる。
「……さーちゃんは、美月先生と一緒にいる」
桔梗の口から衝撃的な言葉が返ってきたことに驚いた氷室は、二の句が紡げなくなっていた。
美月は天門総合病院に勤務していた為、桔梗も美月の声や喋り方を覚えていたのだろう。
(忘れるわけがない。桔梗にとって美月は、恋敵だ)
倒さなければならない人間の声を忘れるなど、ありえない。
桔梗が美月のことを忘れてしまえば、氷室がいつ美月に取られてしまうか分からなくなる可能性があるのだから。
(聞こえてくるはずのない声が聞こえてきたから、酷い顔をしているのか……)
桔梗は氷室が告白を断った際、余裕綽々な様子を見せていたが──
こうして心身ともにバランスを崩している辺り、あれは演技であったようだ。
(大人に見えるよう、背伸びをし続けた弊害か)
少しでも氷室によく見えるよう、演技をすることは悪いことではないだろう。
人は誰しも、好きな人にはよく思われたいし好かれたい。
けれど──氷室はよく見せたいと演技をする桔梗の姿ではなく、嘘偽りない桔梗と未来を思い描きたかった。
(……美月の名前を聞いても、あいつとの思い出を思い出すことがなくなった辺り、重症だな……)
美月の名前を出されても、氷室は美月の見えない背中を追いかけようとするのをやめた。
美月は手が届かない所にいるが、桔梗は手を伸ばせば届く場所にいる。
その安心感が大きいのだろう。
人間は一人では生きられない。
氷室はその言葉を強く噛み締めては、いつも依存する相手を探している。
「天門紗雪の危機を、美月が助けたのか」
「……多分、そう。男の人と一緒に、車で移動している……」
氷室は頼られるよりも頼りたかった。
自分が苦しくて悲しいとき、縋る相手が欲しくて美月の気持ちを受け入れたのだ。
桔梗は年下。
氷室が縋るよりも、頼りにされる場面が多いのではないかと勝手に嫌悪し遠ざけていた。
(頼られるのも、悪くはない)
桔梗にとって、血の繋がりがある吉更以外にプライドをかなぐり捨て縋る相手が氷室だけだと思えば、優越感で心が満たされることに気づいたのだ。
愛知桔梗は、元国民的アイドル。
現在は芸能人として眩いほどに輝き、たくさんのファンから愛されている。
たくさんのファンから求められ、差し伸べられた手を掴むことなく。
桔梗は一直線に氷室へ向かっては、助けを求めるのだ。
氷室は選ばれた。
誰もが欲してやまない芸能人に。
それは誰かに望まれる経験など数えるほどしかしたことのない氷室にとっては衝撃的なことで、美月がいなくなった寂しさを埋めたかった氷室にとっては、この上ない喜びを感じることだった。
(矛盾している)
桔梗がアイドルや芸能人であることが誇れることだと告げてきた際、芸能人であることは誇れることでもなんでもないと伝えた氷室は、結局芸能人であることに特別感を感じ、彼女に惹かれ始めている。
桔梗に向けて口から出した言葉を、すべてなかったことにしたいくらいだ。
今更桔梗にこの思いを告げた所で、「夢かもしれない」と疑われるくらいならば。
弱っている桔梗が喜ぶ魔法の言葉を紡ぐことはしない方がいいと考え、不安そうに瞳を揺らす桔梗の手を握り返した。
「俺は内科医だぞ。外科手術は無理だ」
「声だけでは、どこを撃たれたかがわからない。外科手術が必要なのかも……。持病のこともあるし、どこかしらの病院に搬送しなければならない場合だって、あるでしょ」
紗雪は厳密に言えば「悪魔の子になる予定だった女」ではある為、悪魔の子迫害法律は適用されない。
それはあくまで書類上の話であり、人間の感情論だけで話をするなら、紗雪は悪魔の子と同列に扱われる。
父親が事件を起こした首謀犯であるからだ。
天門総合病院の院長が、紗雪を助けるために練習と称して臓器売買の末、移植手術を待ち望む患者に違法な臓器手術を行い成功させた結果、悪魔の子ども達と呼ばれる人々が誕生してしまった。
紗雪の罪は重い。
悪魔の子は原則医療機関の受診を拒否される為、何かあったときの診療は天門総合病院に限定されていた。
悪魔の子はすべての病院にリスト化され情報共有が行われており、天門総合病院以外で治療を行おうものなら医師にも罰則が与えられる。
それは氷室が働く小さな診療所でも、例外はない。
「悪魔の子への医療行為は禁じられている。天門に搬送するべきだ。それは医者ならば誰でも知っている。ここまで来るわけがない」
「……氷室先生は、美月先生と会いたくて堪らなかったはずなのに……。さーちゃんと一緒だと、会いたくないの?」
「俺には天門紗雪を助けることなど不可能だ」
「……さーちゃんがどの程度の怪我をしているかはわからないけれど……。氷室先生がはじめたことだよ。さーちゃんがこれから安全に暮らしていく為にも、さーちゃんを傷つけた犯人を捕まえなくちゃ。氷室先生の命だって危ないの……」
桔梗に助けを求められたなら、氷室は何が何でも紗雪を助けてやるつもりではあったが──氷室にできることも、限界があるのだ。
助けたいと思うだけで、誰かの命を救えるならば苦労しない。
美月は誰かを助けたいと思う気持ちと誰かを救う力を兼ね備えていたが、彼女の劣化コピーでしかない氷室にはその力がなかった。
たとえ自身の命が危機に晒されているとしても。
足りない経験や力を補うことが、すぐにできるならば苦労しない。
「俺の成すべきことは、天門紗雪の命を繋ぐことではなく……犯人を捕まえることなのか」
「……そうだよ。犯人を捕まえない限り、さーちゃんは命を狙われ続ける。それは氷室先生だってそう。氷室先生は警察よりも恐ろしい存在なの。私は、さーちゃんと氷室先生を同時に失いたくなどない……」
桔梗は氷室と紗雪が犯人に襲われ簡単に命を落とすような人間に思えているらしい。
紗雪はおそらく、美月が助けに入ったお陰で助かり──氷室もこうして生きている。
襲われた所で簡単に命を落とす人間ではないのだ。舐めてもらっては困る。
氷室の本職は警察ではなく、小児科医だ。
犯人を警察に突出すのがお前の仕事だと宣言されても。
(最初から最後まで、俺が調べて追い詰めたわけではないんだぞ)
天門総合病院の件に関しては、美月がある日突然病院の闇を粗方調べ終えた後に行方不明となり、資料を氷室に残してくれたからこそ院長を警察に突き出せただけのことだ。
天門紗雪から犯人の情報を得た所で、もう一度警察に突き出せるかどうかはまた別の話になるだろう。
「心配しすぎだ。美月が一緒にいるなら、天門紗雪が無事なのは間違いない。あまり落ち込むな」
「さーちゃんと氷室先生になにかあったら……」
「なにかあった時に考えればいいだろ」
「それじゃ遅いよ」
「ならば、俺にどうして欲しい。今から確証のない情報だけを頼りに、天門紗雪と俺を狙う人物を警察へ付き出せとでも言うのか」
桔梗は氷室に助けを求め、紗雪を救い犯人を警察に突き出すことこそが氷室の使命だと告げた。
危険なのは紗雪と氷室で、桔梗がその中に入っていないことに気づいた氷室は強い口調で桔梗を責める。
「……確証がないのに、あれこれ動き回ってほしいわけではないの……」
桔梗は自分の思い通りに氷室を動かそうとするから嫌いだった。
桔梗の望む白雪氷室は、正義の味方なのだ。
桔梗が困っているとき、お願いすれば文句を言いながら助けてくれるような存在。
それは氷室が美月に憧れていたからこそ実現できた氷室の背伸びした姿であり、本質ではなかった。
(愛知桔梗は、美月に憧れ背中を追う俺が好きなのか……)
桔梗は氷室に美月が憧れの存在であることを突き付けさえすれば、好意が自分に向くのではないかと信じていたのだろう。
実際に氷室は桔梗を気になり始めているのだから、この作戦は成功とも言える。
美月の真似をして弱きものを助ける氷室を好きになったのならば、氷室は桔梗に好意を伝えた瞬間に夢から冷めてしまいかねない。
氷室は恋愛をするなら、互いの本心を曝け出し、理解し合う恋愛をしたかった。
どちらかが本心を受け入れられない少しでも考えるならば、交際すらするべきではない。
これは時間を掛けてゆっくりと、誤解を解く必要があるだろうと認識した氷室は、桔梗を握る手を緩めた。
「……氷室先生……?」
「弱っている桔梗に、残酷な真実を突き付けるのはどうかと思うが……」
「残酷な真実……?なに?氷室先生は、実は4股男だったの?」
「誰と誰が交際していると勘違いしている」
「美月先生、那須宮さん、さーちゃん。それから……わたしで4人」
桔梗にとっての残酷な真実とは、氷室が複数の女性に愛を囁いていることらしい。
氷室の手から力がなくなったことを確認した桔梗は、手が離れないように強く握る。
潤んだ瞳のまま桔梗は、氷室に訴えかけた。
「美月先生のことを氷室先生が好きだと勘違いするのは無理もない話だよ。二人は交際していたから。だけど、さーちゃんとは連絡を取っているはずもないし、氷室先生が好きだと言い始めたら、私怒るからね」
「ありえないと理解しているなら、わざわざ俺に宣言する必要はないだろ……」
「もしもってこともあるでしょ。そっれから、那須宮さん。一緒に仕事をしている以上、魅力的だと思うこともあるだろうけれど──那須宮さんのことを氷室先生が好きになるなら、私芸能人やめて看護師目指す」
桔梗は突然看護師を目指すと氷室に宣言した。
看護学校に今から通ったとしても、桔梗はまだ若い。
問題なく即戦力として病院に受け入れられるだろうが、勉強が嫌いだと豪語していた彼女が看護師として立派に職務を全うする未来など描けるはずもない氷室は、ため息をつくと桔梗を諭した。
「……桔梗は歌いたくてアイドルになったんだろ。せっかく叶えた夢をくだらない理由で捨てるな」
「氷室先生は、私が芸能人であることの価値を見出していないのでしょう。むしろ、一般人の愛知桔梗である方が、氷室先生は私に思いを伝えやすい。一般人が年の差結婚をした所で、近隣住民から白い目で見られるだけで済むもの」
先程まで紗雪を心配して涙を流していた桔梗の姿はどこに行ってしまったのだろう。
すっかりペースを取り戻した桔梗は、涙を拭って氷室への誘惑を再開した。
「氷室先生が、芸能人である私にしか価値がないと言うのなら……。芸能人であることを手放す理由などない。でも、芸能人としていろんなお仕事をしているからこそ、私は氷室先生の側にいられないわけでしょ」
「駄々をこねればある程度のスケジュール調整をして、纏まった休みが取れるならいいだろ」
「……毎日朝の挨拶と帰りのお出迎えをしてほしいと言っていたのに……」
「専業主婦ならな。共働きならば、こだわりはない。挨拶だけなら纏まった休みを取ったときにだけすればいいだろ」
氷室の言葉を聞いた桔梗は、ベッドから身体を起こしてパッと握りしめた手を離し、腹部に縋りついた。
どうやら、氷室が同棲した際の前提話を、当然のように告げたことが嬉しくて仕方なかったらしい。
「氷室先生、大好き!私と結婚して!」
「交際をすっ飛ばして、妻になろうするなよ……」
桔梗の頭からはすっかり氷室が告白を断ったことや、紗雪が銃で撃たれた件がどこかに抜けて行ってしまったらしい。
(桔梗の泣き顔は心臓に悪いからな……)
落ち込んでいた気持ちが回復したのなら、それでいいかと氷室は桔梗の好きにさせてやることにした。




