ご褒美タイム~ツーショット写真~
「お帰りなさい、氷室先生──あれ?イヤリング、どうしたの?」
氷室がドアを開けると、笑顔の桔梗が異変に気づき、不思議そうに首を傾げる。
(目敏いな……)
氷室の微妙な変化を見逃さないとばかりに目を光らせている桔梗に、死角などないのだろう。
眉を顰めた氷室は、無言で洗面所に行き手洗いを済ませてから、桔梗を非難する言葉を発した。
「同性が好きなのかと疑われた」
「……ドーナツ……」
「酷い空耳だな。わかるだろ、それくらい」
「……私ときーちゃんしか選べない状況なら、きーちゃんを選ぶの……?」
桔梗はぐすぐすと目に涙を溜めて鼻を啜り泣き始めた。
桔梗と吉更は双子だ。
6年前は見分けがつかないほどによく似ていたが、成長期を終え、男女差が明確になった今ではどちらか片方と顔を合わせても見間違えることはない。
自然消滅したが、美月と氷室は交際していたのだ。
美月と双子の3人ならば美月を選ぶべきだが、双子のどちらかを恋愛的な意味で選択する必要があるならば、弟の吉更は当然、氷室の選択肢の中には入っていない。
(弟は恋愛対象外だと告げた所で、こいつに伝わるのか……?)
朝家を出る前に約束した「ご褒美」とやらを氷室が渡すまで、桔梗の機嫌は直らない可能性を念頭に置きながら、氷室は言葉を濁しながら桔梗の望む答えを紡ぎ出す。
「その選択肢なら、弟を選ぶわけがないだろ……」
「きーちゃんと私だったら、私を選んでくれる?」
「弟を選ぶと勘違いされかねない状況だったから、俺は右耳のイヤリングを外した。理解できたか」
「むぅ。理解できていないほど頭は悪くないもの……」
右耳からイヤリングが外れている理由を納得した桔梗は、左耳のイヤリングを外して手に持つと、氷室の腕を掴みリビングへ誘った。
「氷室先生。私、いい子にしていたよ。ご褒美がほしい」
「……交際以外なら、考えてやる」
「氷室先生にとって、手間ではない簡単なご褒美よ。あのね……」
桔梗は氷室の耳元でどんなご褒美がほしいのかを囁く。
その言葉を聞いた氷室は、珍しく警戒する必要のない些細なご褒美であることに気付き、珍しく肩の力を抜いて桔梗へと接した。
「それくらいなら……叶えてやる」
「本当?うれしい。じゃあ、壁を背にして……」
桔梗はガサゴソとキャリーケースの中から自撮り棒を取り出し、スマートフォンを上に乗せる。
自撮り棒を手に持った桔梗は壁を背に氷室と並び立つと、ぴとりと頭を氷室の逞しい胸板に当て、スマートフォンのカメラレンズに向かって笑いかけるよう氷室に指示をした。
「……今どきの若者だな……」
氷室の時代では、自撮りはタイマー機能をセットして、自動でシャッターが降りるように設定していたのを思い出したのだろう。
自撮り棒を手に持ち、スマートフォンのカメラをこちらへ向けてくる桔梗の行動は新鮮に映るのだろう。
「氷室先生だって若者よ?」
「アラフォー間近の若者が居てたまるか」
「100歳まで生きるとしたら、5分の2も消化できていない。充分若者なのに……」
「100歳まで生きるつもりなんざねぇぞ」
「いけるいける!」
「長生きなど、するものではないな……」
美月と出会うまで生きる意味を模索していた氷室と、氷室と出会うまでは生きることを諦めていた桔梗が、長寿をまっとうする未来など見たくもない。
氷室は自撮り棒の上に置かれたスマートフォンのカメラを、不満そうな顔で見つめた。
「氷室先生。笑顔!」
「楽しくもないのに笑えるかよ」
「美月先生と一緒の写真は、笑顔だったじゃない」
「あれは。美月が笑えと……」
美月と出会う前、氷室は名前の如く氷のような男であった。
『一生残る写真くらいは、笑顔でなければ駄目よ』
美月の諭された氷室は、桔梗に告げた言葉と全く同じ言葉を伝え笑おうとしない。
結局美月は胸ポケットから、昭和の時代に縁日などでよく売られていた笛のおもちゃ──吹き戻しを口に加えると、勢いよく吹き始めた。
ピーヒャラと特徴的な気の抜けた音を聞いた氷室は、腹を抱えて笑う。
成人女性がドヤ顔で吹き戻しを吹いているのだ。笑わない方がおかしい。
(……大丈夫だ。美月の顔は、まだ思い出せる……)
未来の美月を思い浮かべようとしても、思い浮かぶのは桔梗ばかりだったが──具体的な美月とのエピソードかつ、6年以上前の話であれば、鮮明に思い出せることを確認した氷室は自虐的な笑みを浮かべた。
「むぅ。もっと満面の笑みって感じがよかったのに……」
「笑ってやったんだから我慢しろ」
「はぁい。あとはこれを現像して……」
桔梗はプリンターを指差すと、一言断ってから撮影したばかりの写真を転送、印刷し始める。
「氷室先生。写真、印刷できたよ」
氷室はL判に印刷されてから初めて撮影した画像を確認したが、自虐的な氷室の笑みに合わせて桔梗もまた意地汚い笑みを浮かべているのが印象的だった。
早速待ち受けにしたと笑顔の桔梗は、美月への罪悪感からタンスに伏せていた写真立てを立て直すと、怨めしそうにじっと美月と氷室のツーショット写真見つめている。
「……だったら、黒塗りにしてやる……」
桔梗の声が小さくて聞き取れなかったが、写真を見て呟くのならば、黒のマジックペンで美月の顔を塗りつぶしてやりたいとでも呟きたかったのだろう。
(桔梗の気持ちを蔑ろにしすぎて、愛情が歪み始めている……)
氷室は心配になり、桔梗へ声を掛けた。
名前を呼ばれた桔梗は、ぱっと笑顔を浮かべて写真立ての裏蓋を外す。
「裏返しにしているなら、美月先生とのツーショット写真は見たくないってことでしょ。写真、入れ替えてもいい?」
「……お前がいる間だけなら」
「ずっとこのまま飾っておきたいけど……氷室先生がいいよと言ってくれただけでも、良しとするべきよね」
美月と氷室の写真を隠すように写真を中に入れて飾った桔梗は、満足そうに伏せていたはずの写真立てをしっかりと飾ってスマートフォンで撮影する。
「流出したらマズいものを撮影するな」
「きーちゃんに送るの。きーちゃん、氷室先生は一緒に写真を撮影するわけがないと馬鹿にしていた。見返してやるのよ」
「たかだか写真一枚で見返すもなにもないだろ……」
こうしてムキになり、吉更を負かそうとするあたりがまだ桔梗を子どもだと感じる部分なのだろう。
呆れた氷室が吉更にメールを送信し終えた後。
すぐに写真を消すように桔梗へ約束させ、メールを送信する場面と写真削除を見届けた数分後。吉更からの返信は、案外早くにやってきた。
「きーちゃん酷い!」
桔梗はぷっくりとむくれ面で氷室へ受信した吉更からのメールを見せてくる。
『無理矢理撮影したツーショット写真を弟に自慢するとか、恥ずかしい奴』
正論とも言える吉更の返答に桔梗は怒っているが、氷室からしてみれば吉更の返答は予想の範疇だ。
「だから言ったろ。意味ねぇって」
「むうう!きーちゃんは私が絶対に氷室先生と添い遂げられないって馬鹿にしているの!絶対ぜーったい、祝福して貰うから!」
それは氷室ではなく吉更に告げるべき言葉だ。
氷室は肩を竦めると、桔梗の機嫌が直るまで夜食を作るべく、キッチンへ向かった。




