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桔梗の破天荒クッキング~カレー編~

「愛知桔梗の!一人でカレー、作ってみた!」


 桔梗は突然、スマートフォンに向けてバラエティ番組のコーナー名を叫んだ。

 動画を撮影しているわけではないだろうに。

 スマートフォンのカメラへ向けて、使う食材の説明をしてから料理を始めたのだ。

 この時点で、氷室には不安しかない。

 桔梗が料理を作っている間に白衣をアイロンがけするつもりだった氷室は、遠くからとんでもない料理を作りやしないかと不安になりながら、桔梗の様子を見守っていた。


「まずは、玉ねぎをみじん切り……にすると目が痛いから、皮を向いて4分割にする。えいや!」


 桔梗はまな板の上に皮を剥いた玉ねぎを置いたまま、あろうことか包丁を天井に付くのではないかと心配になるほどに思い切り振り上げた。


「ちょっと待て」


 氷室は勢いよくまな板の上に置いてある玉ねぎへ向けて、包丁を振りかぶった桔梗の手を慌てて止める。

 桔梗が不思議そうな瞳をする時点で察した氷室は、包丁から手を離させた。

 桔梗がまな板の上に包丁を置いたことを確認した氷室は、ほっと一息つくと不安そうな桔梗に諭す。


「氷室先生?どうして止めるの……?」

「斧で薪割りするように包丁を振りかぶるな。どこで教わってきた」

「料理は勢いが大事だって、焔華さんが……」


 素人が勢いだけで人間が美味しいと思う、理想的な料理が作れるならば、必死にレシピを考え調理している料理人に謝るべきだ。

 氷室は桔梗を強く非難すると、目が痛いからみじん切りにする必要はないと豪語した桔梗の代わりに玉ねぎのみじん切りをしてやる。


「玉ねぎには目が痛くない切り方がある」

「……そうなの?」

「他の野菜切るなり、肉を炒めるなりしておけ」

「はーい。じゃあ、次は……じゃがいも!」


 玉ねぎを縦半分に切り、まな板に切った部分を押し当てると、繊維(せんい)に沿って玉ねぎを切っていく。

 目が痛くならない切り方を実践していれば、氷室の様子を見た桔梗は手際の良さに感動しているらしい。

 呆れてものも言えない氷室が無言で玉ねぎを切り終えたところで、桔梗はじゃがいもを水で洗いはじめる。


「さあ、やるぞー!」


 氷室の嫌な予感は的中した。

 桔梗が再び包丁を手に取ろうとしたので、氷室は慌てて桔梗を止める。


「おい」

「ええ、また?包丁持たないとお料理できないよ」

「……子供用のプラスティック包丁からはじめないと、おっかなくて仕方ない」

「危なくないよ。お野菜切るだけなのに……」

「危なげなければ止めない」


 氷室はため息をつくと、キッチンの収納棚から使い古しのピーラーを取り出して桔梗に渡した。

 使い方を誤れば手を切ってしまう危険性もあるが、包丁によって大怪我をするよりはマシだろう。

 氷室が一度お手本を見せてやると、桔梗から不満の声が聞こえてくる。


「じゃがいも、ごろごろカレー……」

「生煮えのじゃがいもよりマシだろ」

「でも……」

「俺は生煮えを食わされ包丁で怪我をされるくらいなら、地道にピーラーでよく火が通ったじゃがいもを食いたい」

「むぅ……。仕方ないなぁ」


 最終的には桔梗が折れた。

 作ってあげると最初こそ威勢は良かったが、結局氷室が一緒に作っているこの姿を桔梗はどう思うのだろう。


「ほら。効率よくやらねえと日が暮れるぞ」

「じゃがいもゴロゴロなら、こんな苦労しなくていいのに……!」


 桔梗がぶつくさ泣き言を吐くので、仕方なくピーラーでの皮むきを変わってやる。

 桔梗の料理スキルでは、ガスコンロならば火加減の調節が難しく大惨事になりかねないが、氷室が暮らす部屋は電子調理を導入している。

 ボタン一つで安心して調理ができるので、あとは弱火、中火、強火の火加減を間違えなければそれなりのものが出来上がるはずだ。


「具材を焼いて煮てカレールーを入れるくらいは……俺が監督していなくてもできるよな」

「任せて!」

「ほんとに大丈夫か……?」


 桔梗の言葉を信じた結果が、包丁を斧のように振りかぶって食材を切ろうとした行動に現れている以上鵜呑(うの)みにはできないだろう。

 リビングでアイロンがけの作業に戻った氷室は、一枚アイロンをかけるたびに桔梗の姿を確認し、変なことをしていないか監視する。


「玉ねぎをきつね色になるまで炒めて……。じゃがいもをドサーっと入れるでしょ……。火が通ったら、お湯を入れて……カレールーと一緒にぐつぐつコトコト……沸騰するまで放置!」


 流石に具材を深鍋に入れて、火にかけるだけなら問題なく料理ができるらしい。


(料理も満足に一人じゃ作れないのか……)


 前回1週間泊まりに来ていた際、昼食は冷凍食品やカップラーメンで済ませていた。

 今回は2週間の滞在だ。

 昼食がずっと冷凍食品やカップラーメンでは、芸能人として美しき体型維持に支障が出かねない。

 どうにかしてやるには、前日の夜氷室が多めに料理を作ってやる必要があるだろう。


「一人で調理するのは禁止だな」

「ええ……。氷室先生のお家はガスコンロではないし、私一人でお料理できるのに」

「火の扱いは問題なくても、具材の下処理に問題がありすぎる。却下」

「子ども扱い反対!」

「斧のように包丁を振り回す女に一人で料理なんざ任せられるかよ。もっと修行を積んで来い」

「……はぁい……」


 氷室にもっともなことを言われた桔梗は、しょぼくれながらグツグツといい匂いを(かも)し出す鍋をぐるぐると混ぜ、味を確かめている。


(カレー作って終わりにするつもりじゃないだろうな)


 氷室は桔梗が嫌いなトマトを切り、冷蔵庫で眠っていたレタスを千切り、小さな小皿に予め購入しておいた刺し身と共にサラダを盛り付ける。


「うん、いい感じ。氷室先生、で──」

「桔梗、米は」

「あ……っ!」


 できたと笑顔で宣言をして火を止めた桔梗は、氷室に指摘されて初めてカレーライスにはほかほかのご飯が必要であることに気づいたらしい。


「お米、なくちゃ駄目かな……」

「料理スキルは20点だな」

「30点満点の?」

「100点満点だ。専業主婦になるつもりなら、米を炊くことを忘れるなよ」

「……お米って、どうやって作るの……?」


 桔梗は社会常識が欠如(けつじょ)している。

 ほかほかのご飯がどのように生まれるのか、桔梗はよく理解出来ていないのだろう。

 ため息を(こぼ)した氷室は、休日に米の炊き方を教える必要があると知って辟易(へきえき)しながら、レンジで簡単に調理可能なインスタントご飯を2人分調理すると、皿に盛り付けて桔梗が作成したカレーを鍋から(すく)って掛けるように(うなが)した。


「ほら」

「ありがとう、氷室先生。不出来な奥さんでごめんね……」

「彼女ですらないが」


 桔梗はすっかり新婚気分で話を進めているが、桔梗と氷室の関係は知人の域を出ない。

 告白した方と、告白を断った方。

 新たな恋が始まることもなければ、夫婦として共に歩む未来など存在しない関係のはずなのだが──


(なんで俺は、こいつと同じ食卓を囲んでいるんだ……?)


 氷室が疑問に感じるのも無理はないだろう。

 本来であれば、桔梗からの告白を断った時点で、関係は終了しているはずなのだから。

 元国民的アイドルで現役の芸能人。

 歌がうまく、仕事はひっきりなし。

 美人で愛嬌のある、彼女のファンであれば、交際を求められたら絶対に断ることなどないであろう桔梗と、交際するメリットが氷室には存在しないのだから仕方ない。


「氷室先生、カレー、どう?あんまり美味しくない……?」


 氷室が難しい顔でカレーを口に含んでいたからだろう。

 カレーが口に合わないのではないかと、不安そうに氷室の表情を覗き込む桔梗と目を合わせた氷室は、無言でスプーンを使いカレーを口に含む。

 水の分量さえ間違えなければ、まずいカレーなどできるはずがない。

 後はカレールーが氷室の舌に合うか合わないかの違いしかなく、氷室は問題なく口に運ぶ。


「カレーを不味く作れるやつの方が珍しいだろ」

「不味くはないってこと?」

「誰が作ってもそれなりになるのがカレーの魅力だ。小学生でも作れる料理の感想を聞かれてもな……」

「むぅ。まだ修行中なの!今度は氷室先生をあっと驚かせる料理を習得して見せるんだから!」

「やめとけ」


 料理初心者が背伸びをして難しい料理を覚えた所で、それが完璧に作成できるかどうかはまた別の問題だ。

 経験値を徐々に積み、段階を踏んで料理を覚えていけば、数年後には立派な主婦を名乗れるほどの料理スキルを(つちか)えるだろうに……。

 一足飛びでいきなり難しい料理を作ろうとするから失敗するのだ。

 急がば回れと称されることわざの意味を、桔梗にはしっかりと理解して貰いたい所だ。


「私が三つ星シェフの作る料理と同じくらい、美味しい料理を作れるスキルを身につけてほしくないの」

「料理は上手であれば上手であるほどいいが、初心者が基礎をすっ飛ばして上級者向けの料理を学ぼうとした所でうまく作れる保証はない。初心者向けの料理を完璧に調理できるようになった後、挑戦するのがちょうどいいだろ」

「むぅ。氷室先生に早く美味しい手料理を食べてもらいたいだけなのに……」

「急がば回れを肝に銘じろ」

「氷室先生は、病気で苦しんでいる人がいたら、見て見ぬふりなどできないくせに」


 自分なら絶対にできないことを桔梗にさせるのはおかしいと彼女は頬を膨らませるが、氷室は病気で苦しむ人間見て見ぬふりをしようと思えば簡単にできる。

 氷室が働く診療所に。

 患者としてやってくる人間を無下に扱うことは難しいが、その人間に支払い能力がなく、一銭も持ち合わせていない人間が訪れたとしたら。

 氷室は患者を見殺しにする道を選ぶだろう。

 美月のような仏の心を持ち合わせていない氷室は、その人間が自分にとってどうでもいい人間であれば簡単に切り捨てる。


「治療費を支払える患者なら見てやるが。手持ちもなく身寄りに立て替えを依頼できない患者を俺が治療してやる義理はない」

「お金を払えなかったとしても。それが大切な人なら、氷室先生だって見殺しにしたりしないでしょ」


 氷室にとって大切な人は、美月でなければならないはずなのだが──


『氷室先生、助けて』


 氷室が思い浮かべたのは、美月ではなく桔梗だった。

 桔梗が病に倒れ、氷室に助けを求める姿など思い浮かべるわけがないと高を括っていた氷室は愕然とする。


(美月ではないのか……)


 氷室の気持ちが桔梗に傾いている状態で、美月が戻ってきたとしても。

 美月と氷室が共に歩む未来など描けるはずがないだろう。

 美月のことを思うならば、桔梗への思いを捨て去るべきだとわかっているのに──氷室は自分の気持ちに嘘をつき、美月を悲しませるよりも桔梗を悲しませた方が、心苦しいと思うのだから重症だ。


「今、氷室先生の思い浮かべた大切な人が……早く、私になってくれたらいいのに……」


 桔梗はすでに大切な人として思い浮かべるのが、美月ではなく桔梗であることを知らずに願望を口にしている。

 その、憂いを帯びた表情に見とれていると知られたら。

 きっと桔梗は、諸手(もろて)を挙げて喜ぶだろう。


『氷室先生、大好き』


 桔梗が目の前で落ち込んだ顔をしているのに。嬉しそうに微笑む姿を思い浮かべているなど、どうかしている。


(桔梗のことが好きだと、認めたくなかった……)


 氷室が桔梗のことを好きだと認めなくてはならない日は、もうすぐそこまで来ている。


「……氷室先生、足りなかったら言ってね。カレー、まだあるから」

「ああ……」


 カレーは翌日の方が、具材に味が染み込んで美味しくなると聞く。

 残ったものは明日食べればいいだろうと生返事を返した氷室は、桔梗との関係をこれからどうしていけばいいのか迷い始め──心の中で悩むのだった。

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