アイドルオーディション
「……肝臓がんは嘘なんだろ」
「そうだね」
「高校受験に失敗さえしなければ、制服くらい着られる」
「中学生になってからずっと入退院を繰り返しているの。内申点は最悪で、勉強嫌い。きーちゃんと別々の学校を受けて、替え玉受験をすれば……どうにかなるかもしれないレベルの馬鹿だから。たぶん、無理」
「勉強しろよ……」
初対面時も、桔梗は勉強が嫌いだと言っていた。
まだ若いのだから、死ぬ気で勉強すればいくらでも挽回できそうなものだが──本人は替え玉受験を狙っているようだ。
桔梗と吉更は性別の異なる二卵性の双子だが、口を開かなければ見分けがつかないほどそっくりだった。
やろうと思えば、いくらでも替え玉受験できるのが恐ろしい。
「きーちゃんが真面目に勉強してくれたら、学ランは着られるからそれで我慢する」
「……どうでもいいことを聞くが」
「うん」
「どちらが先に生まれたんだ」
「書類上は私が姉。でも、きーちゃんの方がしっかりしている。お姉ちゃんになりたいわけではないから、こだわりはない」
「そうか」
「先生も、妹の方がよかった?」
氷室はどちらでも構わなかったのだが──。
姉の方が、妹の方がいいと氷室が答えるのは違うだろう。
氷室は白々しい顔で、だんまりを決め込んだ。
「話が逸れちゃった。先生、Imitation Queenって聞いたことある?私が先生と初めて出会ったときに歌っていた、焔華さんが所属しているアイドルグループ」
「ない」
「先生、アイドルグループには興味なさそうだと思った」
桔梗の話によると、Imitation Queenと呼ばれるアイドルグループは、知らぬ人などいない超がつくほど有名な国民的アイドルであるらしい。
一番人気の七色虹花が芸能界から電撃引退を発表し、卒業公演を終えたタイミングであることや、所属しているアイドル達が次々に文冬砲の餌食になったお陰で人気に陰りが出始めているらしいが、そのアイドルグループに入りたい少女たちはごまんといる。
応募してきた少女たちの書類見比べにらめっこするくらいならば、希望者を一箇所に集めて目の前でImitation Queenにふさわしい少女であるかどうか、歌声や容姿を見聞きして確かめたいと審査員が考えるのも当然のことだろう。
そうして開催されたのが、このショッピングモールの広場で開催されている大規模なカラオケ大会だった。
「こんにちは。オーディション参加希望の方ですか?」
「はい、そうです」
「それでは、こちらにお名前と連絡先、年齢、ご住所のご記入と──未成年の方は保護者同意を頂いております」
「氷室先生、この書類にサインして」
今日、桔梗は弟の吉更としてこの場に訪れてるはずなのだが──。
彼女は堂々と本名である愛知桔梗の名を記入し、氷室へ保護者欄に記入するように告げた。
氷室は桔梗の保護者でもなんでもない。
血縁関係のない赤の他人なのだが、書類にサインをした所で、名字を理由に弾かれてしまわないだろうか?
「本名で受けてどうする」
「きーちゃんの名前じゃ駄目なの。早くサインして。こうしてまごついている間にも、どんどん先生の睡眠時間が削れていく」
氷室の睡眠時間が削れているのは他でもなく、桔梗のせいなのだが──。
氷室は吉更の姿をした桔梗を睨みつけると、乱雑な繋げ字で保護者同意欄にサインをした。
『エントリーナンバー1462番、愛知桔梗さん。ステージへどうぞ』
大型ショッピングモールの開店時間は朝の9時から。
ぶっ続けでオーディションを受けに来た志願者を歌わせていたとしても、3時間弱で1000人近い人数は捌けないだろう。
全体の通し番号にしたって、数千人規模の志願者がいるのかと思うと恐ろしいオーディションに参加していると感じるものだ。
氷室は、吉更の格好で堂々と簡易の特設ステージへ駆けていく桔梗を見送った。
「行ってくるね、氷室先生!」
ステージに上がった桔梗は、渡されたマイクを手に取って、まっすぐ前を見つめる。
女性限定の公開オーディションに、随分とボーイッシュな少女がやってきたと審査員席の人々は驚いているようだ。
「愛知桔梗、14歳!Battle on the Stage!~輝ける明日へ~を歌います」
桔梗が名前と年齢、曲名らしき単語を紡げば、オーディションの運営スタッフが該当のカラオケ音源を流してくれる。
「崩壊の序曲 かけがえのない 仲間を失った」
大きく息を吸い込んだ桔梗は、ロック調のメロディに載せて時折腕を動かしながら歌い始めた。
「乗り越えるしかない この道を……」
誰もが桔梗の歌声に酔い痴れている。
先程桔梗が歌い出す前に歌っていた人間に比べれば数百倍は歌が上手いこともあり、相乗効果でより桔梗の歌が輝いて見えるのだろう。
氷室は桔梗の歌が終わるまで、ぼんやりと彼女の歌を聞いていた。
「邪魔なもの切り捨てたら 茨の道 進むだけ」
氷室は桔梗の歌がうまいことだけはわかるが、アイドルとして輝くにふさわしい少女であるかどうかはわからない。
ただ、桔梗が歌い始めた瞬間に人だかりが出来始めたので、それなりに何事かと歌声を聞いた人々が足を止め聞き入る程度の評価はされているのだろう。
『愛知桔梗さん、ありがとうございましたー!』
桔梗が歌い終わり、ぺこりとお辞儀をすれば。観客たちから拍手喝采が聞こえてくる。
拍手の音は桔梗が歌い終わっても鳴り止まぬことはなく、桔梗が歌い終わった後に歌おうと立候補するオーディション参加者は一向に現れない。
「あー、すっきりした。氷室先生、どうだった?私の歌。聴き惚れたでしょ」
「……悪くはなかった」
「もっと褒めてよ。これでオーディションに合格できたら、死なずに済むかもしれないんだから」
桔梗は、国民的アイドルグループのオーディションを受けることで自らの命が救われると思っているようだ。
(弟の外見でオーディションを受けたことは後々問題にならないのか?)
先程桔梗が歌唱している場面をテレビカメラが撮影していた。
双子の入れ替わりが騒ぎになれば、合格していたとしても取り消しになることを桔梗は恐らく理解していない。
(合格すると決まったわけではないからな……)
桔梗がオーディションに合格するかどうかも不明瞭なのだ。
心配するだけ無意味だと、氷室は深く考えることを放棄した。
「氷室先生、付き合ってくれてありがとう」
やることをやって背伸びをする桔梗は、吉更と入れ替わる為に病院にこれから顔を出す予定らしい。
このまま別れようとするので、氷室が貴重な休みを潰してまで桔梗の用事に付き合っている理由をしっかり理解させようとしたときだった。
「約束、守れよ」
「それはもちろん。氷室先生には、お話しなくちゃいけないよね。美月先生の行方と、あの子のこと」
「──愛知桔梗!」
桔梗が中腰になった氷室の腕にしがみつき、声を潜めて耳元で美月の名を出した瞬間。
大声で桔梗の名を呼ぶハスキーボイスが聞こえてくる。
桔梗と氷室が同時に声の方向へ視線を向ければ、そこにはキャスケット帽を深く被り、桔梗を指差しした状態で仁王立ちする女性が立っていた。
「イミクイは、5期生としてあなたを歓迎するわ!」
事実上の合格発表を町中で堂々と叫んだ女性に、氷室と桔梗は目を丸くした。