庶民の金銭感覚
「カレー。辛いカレー、かっれーい!」
謎のオヤジギャグらしき歌を口ずさみながら、スーツケースの上に買い物かごを載せて歩く氷室の隣で、桔梗は食材をピックアップしては籠の中に入れていく。
毎日仕事帰りに買い物へ行くのが面倒で仕方ない。
氷室は、桔梗がカレーに使用する食材をピックアップする横で、全く関係ない食材の値段を確認しては、買い物かごへ入れた。
その手つきは手慣れており、桔梗は関心しながら見とれていたのだが──ある野菜を手に取りかごに入れようとした氷室に、桔梗が待ったを掛ける。
「ピーマンとトマトは禁止!」
「なんでだよ」
「私が嫌いだから」
「お前の好き嫌いに合わせる必要はねぇ。俺が食いたいから買う。それでいいだろ」
「やだ。同じメニューを食べたい!」
桔梗は嫌いだからピーマンとトマトは食べたくないと騒ぐが、氷室はピーマンとトマトを食べたい。
この場は嫌いな食材を克服できるように、氷室があれこれ世話を焼いてやるべき場面なのかもしれないが……。
氷室は桔梗を甘やかすつもりなどなかった。
騒ぐ彼女の声を無視すると、ピーマンとトマトをかごの中に入れる。
野菜売り場にはもう用はないと見切りをつけた氷室は、精肉売り場を目指し、スーツケースと一緒に買い物かごを移動した。
「いじわるしないで……っ」
「何が意地悪なんだよ。どうしても俺と同じもんを食いたいなら、無理して食べればいいだろ。アレルギーなら仕方ねぇけど」
「むぅ。きーちゃんだって食べられないものを、私が克服できるはずがないじゃない……っ」
吉更と桔梗は双子だ。
男女の違いはあれども、嗜好はぴったりと一致するらしい。
二人共ピーマンとトマトが嫌いのようで、桔梗はぷっくりと頬を膨らませて抗議してくる。
(どうでもいい知識を学習してしまった……)
これから桔梗と同棲することになるならば、嫌いな食べ物の情報は重要なものとなるだろうが──氷室の気持ちが内心どうであれ、桔梗が恋人になるとは決まっていないのだ。
氷室にとって桔梗の好き嫌いは、まだどうでもいい情報だった。
「カレールーに入っている食材を食えないと言われてもな……」
「あのトマトを潰したときのグチュって感じが嫌いなの!ピーマンは苦い!人間の食べ物じゃないよ」
「病院食、どうしていたんだ」
「残してた……」
「残すなよ」
「病気で入院していたわけではないから、多少のお残しは許されたの。お肉買おう。お肉!ビーフカレーにする」
牛肉は高いぞと氷室が発言よりも先に、値段を確認することなく桔梗が牛肉パックを選んで籠に入れる。
氷室と桔梗は遊んで暮らせるだけの蓄えはあるが、金銭はいくら手元にあっても足りないくらいだ。
スーパーでは当然、一番安いグラムを手に取る氷室にとって、一番量が少ない高いものを選ぶ桔梗には、お金の大切さを長々と教える必要があるだろう。
「本当に社会常識がないな……」
「社会常識くらいあるよ。きーちゃんと買い出しに行くことだってあるもの!」
「どうせ弟に任せきりなんだろ」
「う……そ、それは……」
「立派な主婦にはなれそうにないな」
「立派な主婦ってどんな存在?」
がっくりと項垂れ不貞腐れるとばかり思っていたが、桔梗は思ったよりも早く立ち直った。
氷室の理想とする主婦像を引き出そうとするのだから、タダでは転んでは起きない逞しさがある。
氷室は桔梗へ現実を知らしめるために、静かな声で諭した。
「……主婦といえば……節約だろ」
桔梗は籠の中に入れた食材達は、値段を見ることなく籠の中へ入れたことに気づいたのだろう。
気まずそうな表情をした彼女は、しゅんとしおらしくなり、小さく氷室へ謝罪した。
「庶民のお買い物ができなくて、ごめんなさい……」
庶民の買い物ができないと桔梗に発言させてしまった氷室は、眉を潜めながら頭に手を置いた。
(そうじゃないだろ……)
普段の氷室ならスキンシップなど、まずしないのだが──言葉足らずであったことも確かなので、見るからにしおらしくなった桔梗が可哀想になったのだろう。
「……子ども扱いしないで」
「悪くはないだろ」
「……安い女だと、思われたくないのに……」
桔梗は氷室の手が頭から離れないように、両手で抑えつけた。
(喜んでいるなら素直に嬉しいって言えばいいものを)
氷室が言ってほしい時に言わず、言ってほしくない時にだけは喜ぶのだから、手に負えない。
(俺のものになりたいって言うなら、俺の思い通りに動けばいい。そうすれば、俺は……)
氷室が口に出さないことを理解し、思い通りになる女であれば。
氷室は自身の都合がいい欲を満たす道具として桔梗を愛せるのに──桔梗は氷室の支配欲を満たすような女ではなかった。
むしろ、思い通りにならないことばかりで疲れてしまう。
(思い通りにならない所が可愛らしい、愛おしいと思えるかどうかに掛かっているんだろうな)
買い物を終えて会計を済ませれば、普段の3倍の金額が表示されているレシートを受け取り、氷室はため息をついた。
「一般人の金銭感覚が身につくまで、買い物は禁止だな」
「やだ。毎日買い物する」
「毎日買い物したくないから、買い溜めしてんだろうが……」
「ブランドバッグなんて買っていないよ。服だって一着高くても8000円くらいだし、」
「女の服に興味はないが、1万に限りなく近い時点でアウトだ」
「どうして……?お金に困っていないし、無駄遣いだってしていないのに」
「金銭感覚の不一致も離婚原因に入るからな。女としての魅力はマイナスどころの話ではないぞ」
「……氷室先生って、貧乏暮らしが染み付いているような女の子がいいの……?」
まるで美月が貧乏のように聞こえるが、そうではない。
氷室は金目当てに言い寄ってくる女が嫌いなだけで、貧乏な女が好きなわけではないのだが。
桔梗は否定されすぎて、勘違いしてしまったようだ。
このままでは氷室に好かれようと、必要ない借金を作ってまで貧乏を演出してくるかもしれない。
レシートを確認した氷室は、財布に折り畳んでしまうと、購入した商品を桔梗と買い物袋に詰めながら釘を差した。
「する必要のない借金をしてまで、貧乏になるなよ」
「借金背負って貧乏生活が板についた私を好きになってくれるなら……」
「天地がひっくり返ってもありえない。絶対借金をするな」
「私のこと嫌いになる?」
「俺が手を差し伸べて、困っているお前を助けてやることはない」
「人助けが趣味なのに……」
「それは美月であって、俺ではない」
いつまでもくだらないたらればの話をしながら、作荷台を占領しているわけにもいかない。
氷室は買い物を一つスーツケースの上に置き、もう一つを右手に持つと桔梗を伴って自宅への道のりを歩き出した。




