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寝込みを襲え(桔梗視点)

「氷室先生と結婚することが決まれば、一般人になる。それまでは芸能人かな……。仕事がないわけじゃないし」

『こっちが売り込まなくたって山程仕事が飛び込んでくるほどの売れっ子だからこそ、心配しているんじゃない。いい?誰もが名前を知っている人間だからこそ、すっぱ抜かれた時に大騒ぎするのよ。すぐ消えそうな無名なんざすっぱ抜いた所で、話題にもならずに忘れ去られるでしょうが』

「私って売れっ子だったの?」

『映画2本、ドラマ3本、主題歌に番宣のバラエティ、特番の旅番組に出て、舞台やミュージカルのオーディションが控えている……。これの何処が売れっ子じゃないって言うのよ!あたしだってこんなに山程仕事したことないけど!?』

「焔華さんは外部向きじゃないから……」


 神奈川焔華はすぐに攻撃的な言動をするので、初対面の人間にあまり性格が良くないと思われがちだが、誰かの為に泣き誰かの為に走り回る心優しき人物だ。

 Imitation Queenのアイドルとしての焔華がアイドルグループとは関係ない仕事に顔を出せば、焔華の態度が気に食わないと相手側から共演NGを突きつけられることが多かった。

 それに比べ桔梗は、本音を隠すのが上手い。

 息をするように嘘をつき、周りを持ち上げ気持ちよくさせることに定評がある桔梗はみるみるうちに交流の輪を広げ、広く浅く様々な芸能人との縁を結んで見せた。

 若さを武器に大御所の俳優を「おじいちゃん」と呼んで慕うほど仲良くなった桔梗は大小様々なトラブルを水面下で起こしつつも、横の繋がりによって絶え間なく舞い込んできた芸能の仕事を続けている。


『あんたはよくやっているとは思うわ。うまく取り入ってコネでいくらでも仕事ができる。羨ましい限りよ』

「焔華さんだったら、裏方メインにしなくても表で輝けそうなのに……」

『あたしはいいのよ。虹花がいない場所で一人だけ我が物顔で輝いたって、意味ないから』


 Imitation Queenには絶対的とも呼べる人気を誇った伝説のアイドルが所属していた。

 1期生の少女は恋愛スキャンダルを経て一度は人気を落としたものの、桔梗がアイドルとして活動を開始する直前に卒業を発表するまで絶対的センターアとしてImitation Queenを引っ張っていたのだ。

 少女と焔華はライバル関係だったと桔梗は聞いている。

 Imitation Queenとプロデューサーが不倫関係に陥り、週刊誌にすっぱ抜かれた影響でグループの存続が危ぶまれた時、焔華はアイドル活動に限界を感じてプロデューサーを兼任することに決めたらしい。

 焔華がプロデューサーを兼任するようになってから随分立つが、焔華はImitation Queenの卒業生達にも甲斐甲斐しく面倒を見ていた。

 アイドルをやっていた時代よりも。焔華にとってはプロデューサーの方が天職なのだ。


『あんなおっさんの何処がいいんだよ』

「きーちゃん酷い。氷室先生はおっさんじゃないよ。大人のお兄さん。氷室先生の良さは、きーちゃんだってよくわかっているでしょ」

『……あの人が居なかったら、お前は死んでいた。俺だって、まともではいられなかったかもしれない。恩はある。ただ、焔華さんを泣かせたのだけは許せない』

「それは許さなくてもいいよ。私と氷室先生の仲を邪魔しなければ」


 吉更に桔梗と氷室の仲を邪魔するメリットなどないだろう。

 邪魔などすれば、巡り巡って自分に返って来るだけだ。

 大切な人間が誰かのせいで泣いていると知れば、冷静ではいられなくなるのは当然だろう。

 氷室は泣いたりしないだろうが、彼が泣いている姿を見るような機会があるとしたら、桔梗だって氷室を泣かせた人間は許さないと拳を握りしめるはずだ。


『勝算があるなら、いいんじゃねぇの』

『ちょっと吉更。桔梗にそんなこと言ったら、帰って来なくなるからやめなさいよ』

「明日はちゃんと帰るから安心して。氷室先生を私のものにするまで。絶対に諦めない」


 この恋は必ず成就させる。


 何があっても予定取りの便で帰ると二人に宣言した桔梗は、翌日この会話を後悔することになるとは気づくことなく、通話を終えた。


 *


「桔梗」


 仕事から戻り夕食と入浴を済ませた氷室がベッドの上で桔梗を呼んだ。

 桔梗の抱きまくらになると約束した氷室は、桔梗が腹部に腕を絡めて密着していることに文句を言いたくても言えない状態だった。


(一方的な約束だとしても。文句の一つや二つくらい聞こえてきてもおかしくないと思ったけど……)


 文句を言ってくることなくされるがままになっている辺り、やはり氷室にも思う所があるのだろう。

 氷室の腹部にまとわりついたまま、桔梗は彼を見上げた。


「人生設計はどうなっている」

「私の?」

「そうだ」

「20代のうちに氷室先生と交際して、結婚する。結婚したら妻が家庭に入るのは当然なんでしょ。芸能人として働くのはやめて、氷室先生の奥さんとして働くの」


 氷室は理解できない話を聞いたかのように顔を顰めた。

 どうやら、桔梗の人生設計に不満があるらしい。


「氷室先生は、私と婚姻することになったらどうしてほしい?」


 氷室は胸元で腕を組むと、ぽつりぽつりと普段であれば絶対口にしなかったであろう気持ちを吐露し始める。

 仕事から帰ってきて、愛する人に出迎えられる生活を望んでいたこと。

 美月との生活では、互いに医者として忙しくそれが叶わなかったこと。

 桔梗が氷室を出迎えるたびに、待ち望んでいた光景が目の前で行われて動揺していたこと──。

 それらの気持ちを聞いた桔梗は、上目遣いでパッと明るい笑顔を見せた。


「私と結婚すれば、毎日出迎えるよ。いってらっしゃいとお帰りなさい。些細なことだけれど、氷室先生が喜んでくれるなら、とびきりの笑顔で出迎えてあげる」

「……ああ……」


 氷室は桔梗に胸の内を明かすつもりなどなかったのだろう。

 胸元で組んでいた手を解き目元を覆った彼は、桔梗の笑顔を見ないようにしている。

 桔梗はその姿が気に食わないようで、腹部から手を離し馬乗りになると、目元を覆った氷室の手を退けた。


「氷室先生は、家庭的な女の人と結婚したいんだ」

「一生女を養うことになる。メリットがなきゃ、結婚なんざしねぇだろ」

「そっか……。私、氷室先生の為ならお料理も勉強する。家事も完璧にできるようになるから」


 桔梗は氷室と目を合わせ、必死に自分と結婚することのメリットを説明しはじめた。

 元国民的アイドルとして活動した美貌。

 誰もが憧れる芸能人としての愛知桔梗と、一般男性が結婚することは男性側が望んだとしても桔梗からの気持ちがなければ簡単ではないこと。

 今は料理ができないけれど、これから完璧に家事をこなせるようになること。

 家庭を守る為に仕事はやめて、いってらっしゃいと見送り、おかえりなさいと帰宅の挨拶は必ず忘れないこと。

 桔梗の言葉を聞いた氷室は瞳を揺らしていた。

 彼の中には迷いがある。

 その迷いを断ち切るひと押しさえあれば……。


 氷室は桔梗のものだ。


「……これは最低限。俺がしてほしい行動だ。お前の誇れる内面は見つかったか」

「それは明日。帰る前に伝える。お楽しみは最後まで取っておかなくちゃ」

「そーかよ……」


 氷室が会話を諦めるように黙りこくり目を閉じてしまったので、桔梗は彼の瞳がもう一度開かれることを願って唇を近づける。

 ──唇が触れ合っても。

 氷室が瞳を開くことはなかった。


(もう。せっかく私からしてあげたのに。なんの反応もないなんてもったいない……)


 売れっ子女優は恋愛ドラマの撮影などで、俳優と唇を重ね合わせることもそう珍しくない。

 桔梗は氷室以外の人間と唇を触れ合わせたくなどなかったので、事務所と本人のNGであると強く申し出て撮影ではカメラの角度に気を使ってもらい、口づけのシーンでは常にフリでその場をしのいできた。

 胸が高鳴る背徳的な口づけなどしたことのない桔梗は、いつも演技で誤魔化してきたけれど──


(これが……。大好きな人の意志を無視して、口付けをする気持ち……)


 大好きな人と思いを重ね合わせ、口づけを交わす気持ちとどう変化するのかを楽しみにする桔梗は、笑みを深める。

 氷室の上から降りてベッドに横たわると、腹部に両手を回して意識を手放した。

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