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火曜日:白雪氷室は誰のもの

 白雪氷室が人助けに奔走(ほんそう)する姿を見たことのある人間は、「無感情な人間に思えて、意外と熱血漢」だと語る。

 名前通り氷のように冷たい男に見えるが、名前通りの態度で暮らしていたのは美月と出会う前までのことだ。

 美月と出会ってから、氷室は変わった。

 美月が居なくなってから抜け殻のようになるかと鈴瑚に心配されていた氷室は、行方不明になった美月が天門(あまかど)総合病院の件を暴こうとしていたことを知り、落ち込んでいる暇などなくここまで全速力で駆け抜けてきたのだ。


 ──美月に手紙で別れを告げられた時。


 氷室は今度こそ抜け殻になってもおかしくはなかったが、抜け殻になどなる暇がなかった。

 隣に桔梗が居たからだ。

 隙を見せれば、無理やり手籠めにされる。

 大人として、子どもが望んだ通りの状況下になることを恐れた氷室は、震える身体を奮い立たせ──美月がいない人生を歩んできた。


(美月がいるからこそ、前を向いて歩いていけるのだと思いこんでいた……)


 よくよく考えてみれば、氷室は。

 6年前から、すでにもう──。


「お帰りなさい、氷室先生!」


 氷室が自宅の鍵を差し込み、玄関ドアを開けば。

 すっかりお気に入りになったらしい氷室の白衣を羽織った桔梗が出迎えた。

 笑顔の桔梗は氷室の名を呼ぶと、右と左を指差し、確認をしながら氷室を誘惑する言葉を笑顔で言い放つ。


「ご飯にする、お風呂にする?それとも……」

「桔梗を選んだら、俺に何をするつもりだ」

「当然、私の身……」

「却下」

「氷室先生。若くてピチピチな女の子の身体はいらないの?」

「愛知桔梗にしか提供できないもんがあんだろ」


 桔梗は風呂とキッチンを指差しした後、両手を広げて自らを(ほっ)しろとアピールした。

 身体に興味はないと一蹴した氷室は靴を脱ぎ、室内に上がると不思議そうに首を傾げる桔梗の隣を通り過ぎる。追いかけてくる様子のない桔梗を放置して洗面所で手を洗うと、リビングへ戻ってきた。

 桔梗は氷室が戻ってきたことを知るやいなや、きらきらと輝く笑顔を浮かべて氷室に告白する。


「氷室先生、大好き。結婚して」

「違う」

「演技しようか」

「一人舞台なんざ見たって面白くねえ。台本はどうする」

「……じゃあ、歌う?」

「あまり大きな声を出すなよ。口ずさむ程度なら、許可してやる」

「本当?何がいいかな……」


 愛知桔梗は元国民的アイドルだ。

 現在は芸能人として様々な活動をしているが、歌声の才能を買われてImitation(イミテーション) Queen(クイーン)のオーディションを合格したのだから、桔梗が胸を張って披露する芸事(げいごと)は歌しかないだろう。

 氷室から「小声なら」と許可を貰った桔梗は、リビングに戻ると夕食の準備をする為キッチンに立つ氷室に向けて、美しい歌声を届けた。


「太陽の 光浴びて輝く……

 君を愛し (つの)(つの)った言葉が 溢れ出すよ」


 氷室には桔梗が歌い始めた歌詞とメロディに聞き覚えがあった。


 ──金曜日。


 桔梗がPV撮影をしている際、フィッシュテールのスカートを(ひるがえ)して歌っていた曲だ。

 氷室はサビの部分しか、聞いたことがなかった。

 どうやら桔梗は最初から最後まで通して氷室に美しい歌声を披露するようだ。

 桔梗の口からは、絶え間なく歌声が流れ出ていた。


「たとえ拒絶されたとしても

 僕たちは 旅の果て

 フィッシュテール (かどわ)かすように 揺らす」


 桔梗は美しい歌声の持ち主ではあるが、何よりも感情を込めて歌うのがすこぶる上手い。

 上手でなければ、アイドルを辞めた後もソロシンガーとして定期的にCDを出せるわけもないのだが。

 芸能界は、顔がいいだけでは生き残れない。

 握手会や写真撮影などの特典を豪華にして大量のCDを販売する手法が流行っている時代なのだから、顔やファンへの対応力だけどうにかすれば、売上は面白いくらいに上がる。


「青い空 どこまでも続く……

 君の元へ飛んで行きたい

 澄み渡る 水平線の向こう

 この時を待っていたの

 祝福のリグレットロマンス」


 ただ、歌で食べていけるほど素晴らしい歌声を響かせられるような──

 実力派シンガーなれるかどうかは、また別の話だ。

 音楽ファンをあっと驚かせ、(うな)らせる歌声を持った上で、それを生演奏でも発揮するのは並大抵のことではない。

 桔梗は歌声の実力を認められ、ソロシンガーとしても一定の評価を得て、大ヒットとはいかずとも目標数字に近い数の売上があるからこそ。

 定期的に新しい曲を奏でられるのだろう。


「君は覚えていないかもしれない

 私なんて この恋の障害

 恋愛対象外だから……」


 この歌の曲名を、氷室は知らない。

 ただ、その歌詞の節々(ふしぶし)には、桔梗を連想させるような要素が散りばめられていた。

 歌詞の中から桔梗の要素を見つけるたびに、氷室はどきりと胸が高鳴る。


(恋の障害。恋愛対象外、か……)


 氷室が美月を愛し続けていたとしたら──。

 歌詞の通り、桔梗は氷室と美月の障害であり、恋愛対象外だった。

 6年前。

 2人は大人と子どもだったのだから無理もない。

 小さな子どもに恋をすれば、世間から迫害され疑いの眼差しを向けられるのは氷室だ。

 たとえ美月と交際していなかったとしても。

 氷室が桔梗に、恋をしてはいけなかった。


(桔梗が大人にさえなれば──)


 桔梗が大人になった今、氷室が桔梗に恋をしてはいけない理由などない。

 たった5日間、共に過ごした所で。

 一緒にいた時間を正確に計算し直せば、半分の時間にも満たない程度の交流で──氷室が桔梗に抱き始めている思いが庇護欲なのか、恋なのかを結論付けるにはまだ早すぎる。

 桔梗は氷室が好意を認めるまで、攻めの一手を繰り出すことをやめる気などないだろう。

 桔梗と愛を育むにしろ、桔梗を拒み続けるにしろ。

 氷室はそう焦ることなくゆっくりと自分たちのペースで進んでいけばいいと思っているが、とにかく桔梗が氷室と距離を詰めたがっているのだ。

 なるようにしかならないと及び腰の氷室と、氷室の脈アリを感じて満足そうに微笑みながらも「もっと、もっと」と距離を詰めていく桔梗。

 二人が恋人になることがあったとしても、パートナーの気持ちを桔梗が思いやれないままでは、うまくいくものも行かないだろう。


「氷室先生と、はじめて出会った時のことを思い出すな……」


 歌い終えた桔梗は、夕食を作り終えた氷室から取皿と箸を受け取ると、感慨(かんがい)深そうに呟いた。

 氷室と桔梗がはじめて出会った日。

 桔梗は天門総合病院の屋上で、入院着に身を包み大音量で曲を流しながら美しい歌声を響かせていた。

 その歌声に聞き惚れるようなことはなかったが、一度聞いたら絶対に忘れることのない美しい歌声の持ち主であることは、氷室も認識している。


「俺に桔梗でなくてはならない理由を求められた時」

「うん」

「どうして胸を張って、歌声だと言わなかった」

「──氷室先生が、私の歌になど興味を持ってはいないと、知っているから」


 桔梗は白衣に包まれながら、トングで鍋から取皿へ食材を並べ、氷室から受け取った箸で口に含みながら淡々と呟く。


 その表情に、笑顔はない。


「私は新譜の話が来るたびに、歌詞は自分で作成することを条件に新曲を出し続けてきた。ドラマ出演と主題歌がセットになっていることが多かったから、バレないように氷室先生へ気持ちを乗せた歌詞を作るのは苦労したな……」


 町中で流れる愛知桔梗の歌声を聞いた氷室に、桔梗がどれほど氷室を愛しているかを伝えたかった彼女は、歌声に感情を乗せるだけではなく、歌詞にも氷室への思いを書き(しる)していた。


「氷室先生は私の歌声を聞いたらすぐに耳を塞いでその場を去ってしまうほど、私が嫌いでしょ。私が氷室先生への気持ちを歌っているのだと、どこを切り取ってもわかるような歌詞の曲を歌いたかった」

「……さっきまで歌っていた曲も……」

「……氷室先生にとって、私は恋愛対象外で……美月先生との仲を引き裂こうとする恋の障害」


 桔梗は曲を聞いた氷室が、自分との関係を思い出してもらえるように罠を仕掛けたのだ。

 桔梗とドキュメンタリー番組を経由して再会していなければ、氷室はこの曲を聴くことで桔梗との日々を思い出し、苦しめられていたかもしれない。


(こいつは、俺が思っている以上に策士だ)


 頭の出来は悪くないのだと再確認した氷室は、桔梗の主張を待つ。


「氷室先生が私と交際することは美月先生への裏切りで、浮気だと称するように。私にだって、自分がしてはいけないことをしようとしている自覚くらいある」

「理解しているなら、何故理解していないような素振りを見せた」

「馬鹿な女ほど可愛いと、氷室先生に思って欲しかったから」


 氷室は「馬鹿な女ほど可愛い」など、考えたことがない。

 あざとかわいいなる言動は、世間で流行っているらしいが、氷室はそうした女が嫌いだった。


(女であることを武器に、馬鹿な男を誑かそうとする女など、好きになるわけがねぇだろ……)


 美月は「女だから、男にしてもらって当然」だと考えたことはなかった。

 当然、誰かを助けるためなら使えるものは何でも使うタイプであったので、女としての武器を使うこともあったのだが。


 空島美月(そらじまみづき)は、男女平等の考えを持っていた。


「美月先生の真似をすることはできても、私は美月先生になれない。先生が憧れ、好きだと思いこんでいた人は愛知桔梗ではないから」


 女は弱い生き物だから男に守られて当然と考えるのではなく、女だって男と同じくらい働くことだってできる。

 男と女の括りとしてではなく、一人の人間としてどうあるべきかを真っ先に考えていた。

 美月に憧れた氷室も当然、「女だから何をしても許される」と甘える女は好きではなかったからこそ、桔梗を嫌っていたのだ。


「大人になって、氷室先生とどう接すれば私を好きになってもらえるか……やっとわかった。私が氷室先生に好かれようとすればするほど、氷室先生が私を嫌いになるなら……。私は、美月先生になろうとするのではなく、ありのままの愛知桔梗を氷室先生に見せればいい」


 愛知桔梗は、女を武器に氷室を誘惑していたが──

 氷室の白衣を羽織るようになってから、露骨に氷室へ桔梗が「女」であることをアピールしなくなっていた。

 ありのままの自分を氷室に見せるのは、抵抗があったのだろう。

 それでも。

 桔梗は自らの過ちに気付き、氷室を手に入れる為ならと自分が一番したくない本当の自分を曝け出し始めている。


(自称、本当の自分だよな……)


 氷室には愛知桔梗のどの姿が本物なのかはわからない。

 無感情、無機質に歌う桔梗か。

 氷室に愛を囁き誘惑し、上辺だけの貼り付けた笑みを浮かべてテレビの中で明るく振る舞う彼女なのか──。


(こいつの本心が理解できるようになったその時こそが……)


 氷室が白旗を上げる時なのだろう。

 桔梗の本心は今の所、氷室には理解できない。

 理解できる人間がいるとすれば、それは氷室ではなく──


「氷室先生は、6年前の私よりも今の私が好きでしょ」


 6年前の桔梗は、不幸な自分に酔い()れていた。

 大人の氷室よりも優位に立ったつもりで(かどわ)かし、氷室を求めた愛知桔梗には恐怖しか感じなかったが──今は、違う。


「嫌いではねぇよ」

「私の名前、ちゃんと呼んでくれるよいになったもの。1週間休みを取って、氷室先生のお部屋へ泊まりに来てよかった」


 桔梗は何よりも白衣が手に入ったことを心の底から喜んでいる。

 目の前に氷室が座っているというのに、「白衣程度で喜ぶな」と氷室は呆れていた。


「最終日にはペアルックも待っていることだし……。いい返事も、期待しているからね」


 日曜日に通販で購入した洋服は、すでに到着しダンボールから出してクローゼットの中に閉まってある。

 桔梗はペアルックを着るのが楽しみで仕方ないのか。

 用もないのにクローゼットを開けては、買ったばかりの服を眺め、難しい顔をする姿を目撃することが多くなっていた。


「いい返事ってなんだよ……」

「それは……ふふ。当日のお楽しみ」


 桔梗は唇に人差し指を当てると、食事を終えて椅子から立ち上がり、白衣を翻して洗い物を始めた。


(今言われたって、いい返事はできねえぞ)


 美月への思いが憧れだったとしても。

 交際中に行方不明となったことは変えようのない事実だ。

 美月と面と向かって言葉を交わし、破局するまで。

 白雪氷室は空島美月のものなのだから……。

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