おうちデート 通販で洋服選び
「氷室先生は、興奮するポイントが普通の男とは違うのね」
朝食を済ませ、一通りの家事を終えた氷室が桔梗と共に昼食を食べ終わった後。
宅配便を受け取り、いつでも別の服に着替えられるはずの桔梗は、氷室の白衣を羽織ったまま聞き捨てならないことを呟いた。
「誰と比べているんだよ……」
「世間一般の男性。きーちゃんに聞いたら、恋愛指南書を読み込んで知識をつけろと言われたから、本を買ってみたの」
双子の弟、吉更は桔梗へ真面目に返答を返すのが面倒で指南書を勧めたのだろう。
吉更は桔梗に指南書を勧めるのならば、「どんなタイトルの本を買えばいいのか」まで明確にするべきだった。
タイトルを指定せず、桔梗がピンときたものを購入し参考にしたから、こうしたミスマッチや悲劇が起こったのだろう。
桔梗が鞄の中から取り出した指南書のタイトルは、「浮気のススメ」と書かれたタイトルの本だった。
「あのな……」
「交際している彼女から愛しの彼を奪い取るには、欲に訴えかけるのがベスト。いつもと違う大胆な格好で、彼の心を狙い撃ち……ほら。ちゃんと書いてあるでしょ」
桔梗は本当に記載されているのかと疑いの眼差しを向ける氷室に内容を読み聞かせてきたが、氷室が聞きたかったのは「指南書に記載されているかどうかの有無」ではなく、「参考にする本が間違っている」ことであった。
桔梗が氷室に見せた指南書には、桔梗が白衣の下に着用しているよりも過激な服の数々が山程掲載されている。
流石に夜職の女性達が普段着として着用する過激なギャル服などには手が出なかったようだが、今桔梗が身に着けている服だって十分過激で刺激的な服だ。
街中であのような服を着ている人間が歩いていれば、何かの撮影かと疑い、犯罪に巻き込まれてもおかしくはない。
桔梗は、善悪の区別がつかないのだろう。
幼少期から両親に悪魔と迫害され、自由を奪われて。
臓器売買の被検体としての生活を強要されてきた桔梗には、一般常識がない。
氷室のことをほしいと願ったのだから、桔梗のものになるのは当然。
皆がそう言っているから、氷室もそう感じて当然だと意見を押し付けてくる態度が、氷室は気に食わないのだ。
桔梗は白雪氷室を見ていない。
自身を救ってくれるかもしれない人から、自身を救ってくれた人に変化した氷室なら。
『普通ではない桔梗を受け入れるのは当然』
そう思いこんでいるだけなのだ。
都合のいい妄想の中で理想の氷室を作り出して幻影を愛してきた桔梗と、美月との思い出を糧に生きてきた氷室はよく似ている。
桔梗のことを氷室が嫌っているのは、同族嫌悪の観点が大きいのだろう。
桔梗がもし、白雪氷室本人との会話を試みることはあれば──二人の関係は、大きく進展するに違いない。
「どうせ参考にするなら、もっとまともな指南書を参考にしろよ」
「大ヒットしている本なら、中身だってまともなはず」
「大ヒットなんて言葉に踊らされんな。いい鴨だぞ」
「……嘘が書いてあるの?」
「映画だってよくあるだろ。上映する前からCMで大ヒット上映中と宣伝する。大抵メディアが盛り上げたい作品に下駄履かせているんだよ。内容は大したもんじゃねぇ」
「そうなんだ……」
芸能界の闇を見てきたと発言するなら、常識として持ち合わせていなければならないはずのことなのだが。
氷室に指摘された桔梗は見るからにしょんぼりと肩を竦め、先程までの元気いっぱいな様子とは打って変わって力なく項垂れる。
さり気なく本を奪い取った氷室は、本棚の隅に「浮気のススメ」と書かれた本をしまい込むと、元気がなくなった桔梗の隣へ座った。
「目に見えてしょんぼりする理由なんざねえだろ」
「氷室先生……」
「あの本はお前には必要ない。お前に今、必要なのは……」
「必要なのは、なに……?」
氷室はスマートフォンを取り出すと、大手通販サイトを表示する。
大手通販サイトzezeは、男女問わず個性豊かなファッションブランドが軒を連ねている。
桔梗が好む服も、きっと探せば見つかるだろう。
「俺を悩殺する必要がないとしたら、どんな服がいい」
「選んでいいの?」
「好きにしろ」
「サンシェスタルベール!」
桔梗は氷室が聞いたことのないブランド名を叫び、氷室に商品を見せてくる。
サンシェスタルベールは、20代の働く女性をターゲットにしたフェミニンスタイルが印象的なブランドだ。
桔梗いわく「きれいめカジュアル」の観点としては大変人気なブランドのようで、zezeのサイトでは品切れの商品が目立っていた。
「金曜日にPV撮影をした際着用していたフィッシュテールスカートも、無理を言ってここのお店に衣装提供をお願いしたの」
「職権乱用じゃねぇか……」
「元国民的アイドルの特権よ。女性らしい魅力をより一層引き立たせるお洋服なのに、どうして日の目を見ないのか……私、不思議でたまらなくて。皆にここのお洋服が魅力的であることを、知って欲しかった……」
桔梗は何故日の目を見ないのかと不思議そうにしていたが、氷室にはその理由がすぐに理解できた。
20代の女性が気軽に購入しようと思えるような値段ではないのだ。
日本人の低賃金化が叫ばれる時代、1着2万近い服を買おうと思える女性の方が珍しいだろう。
頭の上からつま先までフルセットで揃えようものなら、10万はくだらない。
月給の半分をつぎ込んでフルコーデを完成させるくらいならば、他のことに使うことを選ぶ一般人が多いのだ。
芸能人の桔梗や、一般的に高給取りと言われる医者として働く氷室からしてみれば、10万などはした金の範疇ではあるが──。
(何でもかんでも買い与えてやると無責任なことを言うのもな……)
氷室は悩んでいた。
好きなものを選んでいいと口にしてしまった手前、今更「金額が高すぎる。別のものを選び直してくれ」と言うのは憚られる。
「……やっぱりやめる。好きなものを選んでいいなら、氷室先生とお揃いがいい」
サンシェスタルベールには、紳士服の取り扱いがなかった。
女性向けハイブランドの服では、どうやっても氷室とお揃いにはできない。
氷室が女装でもしない限りは。
「氷室先生はお洋服にこだわり、ある?」
「こだわりなんざ、あるわけねぇ」
「じゃあ、私の独断と偏見で選んでいい?氷室先生は、かっちりフォーマルな感じがいいと思うから……」
桔梗がカートに続々と、アイテムを選択して入れていく。
紺のテーラードジャケットからはじまり、白のニット、スキニーパンツ、黒の革靴は30代から40代向けの清潔感溢れるコーディネートだった。
服にこだわりがない氷室は、「これを氷室先生に着てほしい」と言われても、拒否するつもりなどない。
今回だけは彼女の好きにさせてやるつもりだったが、彼女の選んだ服には一つだけ問題があった。
「サイズ。Mじゃ入らねえよ」
「えっ。氷室先生、太っていないのにMじゃ入らないの……?」
「肩幅がつっかえる。弟もだいぶ背が伸びたろ。あいつMで入るのか」
「最近、きーちゃんに洋服をプレゼントしたことないもの……。とりあえずMサイズを買えばいいって、焔華さんが」
「……よくわかんねえなら、男の服を勝手に選ぶのはやめとけ。失敗するぞ」
氷室は桔梗の手から一度スマートフォンを奪い取ると、サイズを確認した上で桔梗の選んだ洋服をカートに入れ直す。
桔梗は感心したように、氷室がサイズを確認した上でカートに商品を入れ直す光景を見ながら、釘を差した氷室と目を合わせて微笑んだ。
「はーい。ごめんなさい。ねぇ、氷室先生。今度は氷室先生が私に似合いそうな服を選んで欲しいな……なんて……」
「……文句を言うなよ」
「言わない!」
もじもじと人差し指同士を合わせて氷室に提案してきた桔梗は、スマートフォンを渡そうとしていた手を握り直し画面を見つめたことに喜んでいた。
ルンルン気分でImitation Queenの曲を口ずさむ桔梗は、相変わらず歌だけは自信があるらしい。
(俺と遊んでいる暇があるなら、自慢できる所のない内面とやらを磨く努力をするべきではないのか)
いっそのこと開き直り、愛知桔梗が自慢できるものは歌であると堂々言い放って欲しい物だが。
自分の取り柄などあるわけがないと、自身を全否定する桔梗がそうした選択肢を取るのは難しいかもしれない。
(あまり短いスカートの丈はよくない。目に毒すぎる)
桔梗が美しい身体付きを持って生まれたことは認めるが、氷室の隣で最高に輝かれては平常心ではいられなくなってしまう。
氷室は桔梗の魅力が8割程度に抑えられるようなコーディネートを選択肢し、桔梗へスマートフォンを返した。
「氷室先生とカラーリングが真逆なの、カップルって感じがしてすごく好き」
白のロングスカートは美しい足が全て覆い隠されるくるぶし丈のものを選択した。
黒のブラウスはセーラー襟付きで、襟元には桔梗の花が刺繍されている。
グレーのテーラードジャケット、茶色のローファーを選択した氷室はスマートフォン桔梗に返す。
氷室とはトップスとボトムスが真逆のカラーリングに、桔梗は喜んでいた。
(「これじゃ氷室先生を悩殺できない」とクレームが来るかと思ったが……)
靴のサイズを選択した以外は、Mサイズのまま注文を確定した桔梗が満足しているようで、氷室は安心する。
「今から頼んだら到着は早くて2日後……最終日はこれから買うお洋服を着て、デートしてね」
「デートなんざする時間ねえだろ。俺は仕事だぞ」
「夜までいるもの」
「飛行機は夜遅くまで飛んでいないぞ」
「残念でした。20時45分が最終便よ。先生の仕事終わり、少しだけなら言葉交わせるはず」
20時45分が最終便だとしても、飛行機が離陸するギリギリの時間に空港へ飛び込めばいいわけではない。
診療所の診療終了時間は17時だが、患者の状況により診療時間が延びる可能性は大いにあった。
空港までの移動時間は車で約1時間半。
診療時間通りに終われば余裕で間に合うが、診療時間が伸びれば桔梗と言葉を交わす時間などほぼないだろう。
「診療時間終了後すぐ、患者と従業員が完全に居なくなった状態になるわけじゃねぇんだぞ」
「診療所の従業員は氷室先生と那須宮さんだけでしょ。那須宮さんは私と氷室先生の関係を知っているし、週刊誌にリークされたら犯人が特定される状態で流すとは思えない」
「那須宮はいいが、うちは事務もいるからな……」
氷室は事務員とほとんど言葉を交わすことなく一日を終えるが……。
桔梗が氷室へ会いに来たなどと騒ぎになれば、面倒なことになる。
那須宮はいいとしても、本気で最終日に桔梗と会うつもりならば事務員だけはさっさと帰さなければ。
(めんどくせえ……)
桔梗は東京、氷室は沖縄。
もしも氷室が4日間の間に桔梗を好きになったとしても、桔梗が芸能人であることをやめて沖縄に越してくるか、氷室が住居を移さない限りは遠距離恋愛だ。
うまくいくはずなどない。
(俺と美月だって、6年間遠距離恋愛しているようなもんだったからな。俺はなんとも思わねぇが……)
氷室は美月に手紙で別れを告げられても交際しているつもりで、思いを募らせていた。
今更桔梗を好きになったとしても、氷室は遠距離恋愛になったとしても毎日顔を合わせなくとも問題はないが、桔梗はまだ精神的に幼い。
氷室が好きで仕方のない桔梗が、氷室が側にいない状態で何ヶ月も耐えられるとは、とても思えなかった。
「いつでも氷室先生を思い出せるように、この白衣。欲しいな……」
「俺を思い出せるようにって、どういうことだよ……。白衣がなくたって、思い出せるだろ」
「白衣を着ると、匂いやぬくもりを感じるでしょ。氷室先生に抱きしめられているようで安心するの」
女性側からあまり聞かない感想が飛び出てきた氷室は、ジト目で桔梗を見つめる。
「変態」と口に出さずとも目で訴えかけている氷室の視線を感じた桔梗は、ぎゅっと白衣の裾をにぎりしめて無理やり引き剥がされないように小さくなった。
「新しい白衣はちゃんと買う」
「……変なことに使うなよ」
「うん」
桔梗は氷室の言う「変なこと」の意味を明らかに理解していなかった。
氷室の許可を得て白衣を手に入れた桔梗は、今にも小躍りしそうなほどごきげんな様子で白衣を握りしめる。
(使い古しの白衣を貰う約束をして、何がそんなに嬉しいんだ……ガキの頃に好きな女のリコーダーを舐めたいと思うようなもんか……?)
氷室は幼少期に、誰かを好きになったことなどない。
気味の悪い例え話を思い浮かべて薄気味悪い気分になった氷室は、桔梗の喜ぶ姿を横目で盗み見る。
ブカブカの白衣を羽織る桔梗は、氷室の心に形容し難い思いを抱かせていた。
(ただ白衣を羽織っているだけだってのに……)
心の奥底に芽生えた小さな芽が、これ以上大きく育たないように。
氷室は何がそこまで桔梗の姿を魅力的に感じさせるのかについて深く考えることはせず、桔梗の隣でぼんやりと時が過ぎ去るのを待った。




