桔梗の誇れる内面を探せ
「氷室先生!バスタオル、取ってきたよ。髪、乾かして!」
桔梗は子犬のように、キャンキャン吠えながら氷室に強請る。
ベランダに繋がる窓を施錠し遮光カーテンを閉めた氷室は、勢いよく抱きついてきた桔梗をベッドの縁に腰掛けるように促すと、自らもベッド上に乗り、胡座をかいて桔梗の背後に座った。
「向かい合わせでも、髪は乾かせるよ」
「乾かしてやらないぞ」
「約束は守らないと駄目。ちゃんと、最後まで乾かして」
桔梗は低い声で氷室を批難した。
期待させといて落とすようなことはするなとご立腹らしいが、態勢が気に食わないと異を唱えた桔梗が悪いのだ。
氷室は悪くない。
酒の力を借りて桔梗と向き合うことにした氷室は、バスタオルでバサバサと桔梗の髪を乾かしながら、彼女へ話しかけることにした。
「俺が美月に抱いている感情が、恋愛感情ではなく憧れの感情だとして」
「だとしても?」
「俺と美月が交際していた事実は変わらない。俺は、あいつと付き合ったことに後悔するようなことはない。俺がお前のことをもし、」
「もし?」
「好きになることがあるとすれば。お前と俺が交際するメリットはなんだ」
桔梗は氷室の語尾を繰り返しながら、謎の相槌を打っていた。
氷室から桔梗の表情を窺い知ることのできない状態ではあるが、桔梗が考えていることは声のトーンである程度わかる。
「美月先生との交際を決めたときも、恋愛感情どうこうではなくメリットのあるなしで決めたのね。氷室先生って、恋愛初心者?」
「恋愛初心者なわけあるか。何年美月と交際していたと思っている」
「交際期間と恋愛経験値はイコールではないよ。氷室先生が美月先生に恋をしていなかったとしたら、私が氷室先生の初恋になるのね!嬉しいなぁ。初恋、私のものになるんだ……」
桔梗は頬に手を当てて嬉しそうな声を上げる。
突っ込み所しかない発言ではあるが、下手に揚げ足を取ろうとすれば足元を掬われるのは氷室だ。
桔梗の発言には目を瞑り、氷室は答えを急かした。
「私と氷室先生と交際するメリットは……やっぱり若さかな。男の人は、皆学生が好きなんだって!芸能活動に専念する必要があったから……大学には通わなかったけれど……4年制大学なら、2年生だよ!まだ学生の範疇!」
「学生じゃねえならノーカンだろ。力説すんな」
「あっ、髪の毛、ぐちゃぐちゃになっちゃう……っ」
氷室が頭皮に残った水滴をバスタオルに吸わせようと、髪の根本まで指を入れる。
かき混ぜるように髪を触ったことを気にしているのだろう。
桔梗は大きな声を上げて、頭のてっぺんに両手を持ってきていた。
「若さは歳を重ねるごとに消耗していく。永遠に年を取らないわけではない。何か他にないのかよ」
「はい!売れっ子の芸能人と交際できるのは、すごいメリットのはず!」
「芸能人なんざ興味ねぇ。次」
「ええ……?私と付き合ったら、氷室先生に与えるメリット……。あ、ATM扱いしない。自分の食い扶持は自分で稼ぐ」
「当たり前だろ。次」
「家事は全部やる」
「オムライスも食ったことない奴に、料理ができるとは思えない」
「で、できるよ。練習すれば、あっと驚かせる料理を作って見せるから」
「他には?」
氷室はああいえばこう言う桔梗が音を上げるまで、ひたすら質問攻めにした。
桔梗の口から出てくる「彼女にしたら氷室が得られるメリット」は、世間一般的な「嫁」としての理想像ばかりだ。
女として男に尽くすべきことを羅列されたって、氷室の心には響かない。
氷室は愛知桔梗でなければならない理由を、本人の口から聞き出したかった。
「若さ、金、容姿、名誉……誇れる内面はねえのかよ」
「氷室先生が……私を好きになってくれそうな……誇れる内面……?」
桔梗はこてりと首を傾げ、必須に答えを見つけ出そうと唸っている。
愛知桔梗には、どうやら誇れる内面など存在しないらしい。
(両親から生まれながらにして悪魔と罵られ、死を望まれてきた女だ。自尊心は恐ろしく低いようだ……)
氷室の前では何かと自信満々な様子を見せる桔梗も、いざ「愛知桔梗の誇れる内面」を問われると黙ってしまう。
彼女には自分がないのかもしれない。
桔梗は天門総合病院に入院する前までは、常に吉更と一緒にいた。
天使として両親から常に愛される姿を見て生きてきた桔梗は、他人に誇れるような中身がなくとも生きていけたのだ。
(全部弟の真似事だったってことか)
愛知桔梗と愛知吉更には男女の性差もあり、6年前は考え方もかなり異なるように見えたのだが……。
氷室の勘違いだったか、桔梗が自らの内面の良さに気づいていない可能性が高い。
「お前は俺が好きだと叫ぶ前に、自分を好きになる努力から始めろよ」
「自分を、好きになる努力……」
「そうだ。誰にも負けない誇れる内面を、一つでもいいから作ってみろ」
「例えば?性格がいいとか?」
「性格がいいだけで好きになるかよ。俺は美月の、誰にも真似できないほど強い正義感に憧れたんだ」
空島美月は正義感の強い女だった。
曲がったことが大嫌いで、自分が不利益を被る代わりに誰かの命を助けることができるなら、喜んで不利益を被る。
気の強い女は、同性から嫌われると聞いたことがある。
美月は不正をする人間には嫌われていたが、弱き者たちからは絶大な人気を誇っていた。
「……私も、美月先生のような正義感を持てば……氷室先生に愛して貰えるの?」
「言ったろ。お前は美月になれない。美月になろうとするな。お前にしか誇れない内面を探して、俺に報告しろ。恋をするかどうかはそれからだ」
「……私の回答次第では、氷室先生の彼女になれるの」
「……検討はしてやる」
「やだ。検討ではなく、確証が欲しい」
桔梗は自分が死んでもいいと思えるほどに大嫌いだと氷室へ告げた。
氷室から好きになってもらうためとは言え、自分の内面と向き合うことには抵抗があるのだろう。
「前髪も乾かしてやるから、こっちを向け」
「ねえ、氷室先生。内面と向き合って、私のいい所を探せたら……。私を好きになってくれる?お嫁さんにしてくれると約束してくれたら、頑張るよ。すぐにでも隠された魅力を伝えられるようにする」
氷室の方へ身体を向けた桔梗は、きらきらと瞳を輝かせて氷室を見上げた。
まるで夜空に輝く満天の星々みたいに。
氷室が好きになってくれるかもしれないと期待を込めた瞳を見せる桔梗は、氷室からの答えを待ちわびていた。
「確証がなくたって、お前は自分の内面と向き合えるだろ」
「氷室先生っ」
「ほら。髪。だいぶ乾いたろ。おこちゃまはさっさと寝ろよ」
「わ……っ」
わしゃわしゃと髪をバスタオルでかき混ぜ水滴を拭った氷室は、桔梗の両肩を勢いよく押してベッドへと突き飛ばした。
背中からベッドへ倒れた桔梗は、ただでは転ばないとばかりにグイグイと氷室の腕を引っ張り、ベッドに横たわらせようとする。
「桔梗。一人で寝れるだろ」
「……やだ……。氷室先生と、一緒がいい……」
「子どもみたいなわがまま言うな」
「……今だけは、子供扱いしてもいいよ」
氷室が面食らって力を抜いたからだろう。
桔梗は氷室の腕を引っ張りベッドに横たわらせることに成功すると、ぎゅっと抱きついて離さない。
「おい……布団掛けろよ……風邪引くぞ」
「暖房つけて眠るから平気。おやすみなさい、氷室先生」
その電気代を支払うのは誰だと思っているのだろうか……。
氷室が再び桔梗の名前を呼んだことがよほど嬉しかったのだろう。
桔梗は満足そうに微笑むと、目を閉じた。
お休み3秒とはこのことか。
6年前にも似たような光景を見たことがある氷室は、以前のように桔梗の前から姿を消す必要がないことに気づき、暖房をつけてやると──自身もゆっくり瞼を閉じた。




