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土曜日:お前は一般常識を知らなさすぎる

「あ、あれから……どうなりました?」


 診療所で顔を合わせた那須宮は、氷室の近くに桔梗がいないと知るやいなや、遠慮がちに声を掛けてくる。

 那須宮に心配されていると知った氷室は、誰にも吐き出せない胸の内を吐露(とろ)した。


「……家にいる」

「氷室先生のご自宅、ですか……」

「ああ。あいつ、一週間オフらしい」

「テレビで見ない日はないくらい売れっ子なのに、一週間間もお休みなんですか!?」


 那須宮は桔梗が一週間間纏まった休みを取ったと知り驚いていた。

 どうやら、芸能界では纏まった休みを取るような話を聞いたことがないらしい。


「はえー……桔梗ちゃん、頑張ったんですね。会うために……」


 那須宮は暗い表情で下を向いた。

 なにか後ろめたいことでもあるのだろうか。

 下を向き、頭を抱えて(うずくま)りたいのは氷室の方なのだが。


「男の人と女の子がひとつ屋根の下で暮らすって……色々問題があるような……?」

「問題しかない。那須宮、お前の部屋は1DKよりも広いか」

「い、いえ。ワンルームです。家賃が安いに越したことはないので……」


 那須宮と桔梗は同性だ。

 複数部屋のあるマンションで暮らしているようならば桔梗を押し付けようとしたが……そううまくはいかないようだ。


(宅急便で返送できたらいいんだが)


 桔梗は弟、吉更に頼んで荷物をこちらに送ってくる。

 その際、荷物を受け取るかわりに桔梗を自宅まで返品できないかと考えてやめた。


(人体をダンボール箱に詰め込み発送などすれば、あいつが死ぬ可能性だってある)


 元国民的アイドルで芸能人の愛知桔梗が沖縄から発送された荷物の中で遺体となって発見されたなら、真っ先に疑われるのは氷室だ。

 さすがに死んでほしいと思うほど嫌いなわけではない為、それを氷室が実行に移すようなことはないが……。


「俺が犯罪者になった時は、この診療所に迷惑がかからないようにする」

「ひ、ひええっ。縁起が悪いこと言わないでください……!」


 桔梗は氷室からの愛を待ち望んでいる。

 氷室が犯罪者となる日がくるならば、暴行容疑か殺人事件のどちらかになるだろう。

 桔梗が保護者同然の焔華に黙って、氷室へ会いにきた家出少女であれば、また別の罪にもなるだろうが──。


 桔梗は20歳になった。


 氷室にとっては少女でも、世間からしてみれば大人の女性だ。

 何があっても全て桔梗の自己責任。

 子どもだからでは許されない微妙な年頃の女に迫られ、成り行きで同棲することになってしまった氷室は頭が痛くて仕方なかった。


「そうだ……っ。昨日、桔梗ちゃんが砂浜でPV撮影をしていたと、目撃情報がSNSで掲載されていましたよ!」


 那須宮は砂浜でPV撮影を行う桔梗の姿をファンが撮影し、SNSに掲載した画像を氷室へ見せてくる。

 その拡散力は凄まじく、場所は何処だとお祭り騒ぎになっていた。

「い、今のところ、白雪先生が桔梗ちゃんと顔を合わせた話は表に出ていないようですが……。桔梗ちゃんがこのあたりを彷徨っている所がファンに見つかったら、大騒ぎになるんじゃ……?」

「そうだな」

「し、白雪先生、大丈夫ですか……?」

「心配するくらいなら、あいつと一緒に暮らしてくれ」

「そ、それは……ちょっと……」


 桔梗は那須宮を恋敵であると疑っている。

 この状況で二人を一緒にしたら、殺人事件が置きかねない。

 那須宮の氷室を心配することはあっても手を差し伸べてくるつもりはないようなので、氷室一人でどうにかこの一週間間を乗り切るしかないだろう。


(最悪は診療所に泊まり込むしかないな)


 氷室の自宅はワンルームだ。

 桔梗と揉めればお互いに逃げ場がなくなる。

 診療所の電気が点いていれば昼夜問わずに患者がやってきて、氷室は治療に明け暮れることになるだろう。

 やっと人間らしいまともな生活を営めるようになったと思えばすぐこれだ。

 氷室は深いため息をつくと、訪れる患者の診察に専念した。



 朝から晩まで氷室の自宅に籠もっている桔梗から、仕事中に連絡が来てもおかしくないと氷室は警戒していたのだが……。


 桔梗から連絡がくることはなかった。


 氷室が桔梗からの連絡を拒絶し、桔梗の声を聞きたくないと考えている際に連絡がくるより、自宅に戻れば桔梗がいる事実の方が精神的に楽なのは、顔を合わせなければストレスがかかることはないからだろうか。

 氷室は日付が変更するまで飲食店で暇を潰そうかと一瞬考えて、やめた。

 桔梗はマスコミ対策の為、外へ出れないのだ。

 出前を頼もうにも、男名義の部屋に桔梗がいると知られるような展開は避けたいはず。

 置き配を使いこなして配達人と顔を合わせることなく夕食を手に入れられたら(たい)したものだが、物陰で出待ちされ、愛知桔梗とバレる危険性もあるだろう。

 徹底的にリスク回避をするならば、桔梗は自分で何かをしようと思わないはずだ。


(餓死されてもな……)


 氷室は必要以上に冷蔵庫へ食材を買い込んでいない。

 昼食はカップラーメンを適当に食べろと命じて家を出てきたが……。

 これから一週間間共に過ごすつもりならば、ある程度食材を買い込んでおく必要があるだろう。


 コンビニでは高くつく。


 閉店時間間際のスーパーならば人はそれほど多くないかもしれないが、女の影など一切なかった氷室が突然若い女とベタベタひっつきながら買い物をしていると知られたら、その女が誰なのかは当然近隣住民の間で騒ぎになるだろう。


(あいつに欲しい物を聞くのか……)


 自宅で大人しく、桔梗が待っているかすらもわからない状態ではあるが──。

 氷室はひとつ屋根の下で彼女と暮らすことだけはどうにか目を瞑って耐えても、極力桔梗と会話をしたくなかった。


 会話をすれば、付け入る隙を与えてしまうからだ。

 桔梗は美月から氷室を奪い取りたい。

 氷室は美月と交際しているつもりで、桔梗の思いに答えることは浮気だと思っている。

 氷室が美月と自然消滅したことを受け入れさえすれば、桔梗は氷室と胸を張って交際できるのだ。

 当然、あの手この手を使って美月と破局していることを氷室に理解させようとするだろう。


 明日は日曜日。


 当番医ではないため、明日は一日休日だ。

 氷室はひとまず桔梗に黙って二人分の食材を買い込むと、買い物袋をぶら下げて帰路についた。


「遅い」


 鍵穴に鍵を差し込み右に回せば、カチャリと鍵が開く音がする。


 買い物袋を一度片方だけ廊下に置き、ドアを勢いよく開けた氷室は、廊下に置いた買い物袋を素早く手に取り開いたドアに身体を滑り込ませて玄関ポーチの内側に足を踏み入れる。


「他に言うことあるだろ」


 氷室は後方から自動で閉まるドアの音を聞きながら、ぷっくりと両頬を膨らませて不機嫌そうに帰宅が遅いと文句を告げた桔梗を低い声で批難した。


「おかえりなさい、氷室先生」

「……ただいま」


 氷室は桔梗に向けて挨拶などしたくなかったが……。

 これから一緒に過ごすのであれば、こうしてコミュニケーションを取るのは大事だろう。

 氷室は極力桔梗と会話をしたくないほど嫌いではあるが、桔梗はまだ大人になったばかり。


(これはこいつの為にもなることだ)


 いつか桔梗の旦那となる男に、「昔好きだった人は挨拶をしなかった」と桔梗が宣言するのだけは避けたい氷室は、仕方なく桔梗へ一般常識を教えてやることにした。


「買い物に行ったの?」

「ああ」

「私も行きたかった」

「気軽に行けないだろ、お前は。SNSで目撃情報が拡散されているらしいな」

「きーちゃんに、お前有名人じゃんって言われたよ」

「なんて返したんだ」

「元国民的アイドルグループに所属していた愛知桔梗に掛かれば、数百倍の伸びしろがある」

「自意識過剰だな」


 ナルシストは嫌われるぞと言われた桔梗は、手を洗い買い物袋をキッチンまで持って行って冷蔵庫に詰め込み始める氷室の背中を追いかけてきた。

 ベッタリと桔梗が腕に手を絡めてくるかもしれないと警戒していた氷室は、拍子抜けする。

 桔梗が素直に買い物袋の中から冷蔵庫に食材を移す氷室を手伝う為に次々と、氷室の手に食材を握らせてきたからだ。

 氷室は暫く無言で買い物袋の中から差し出される食材を冷蔵庫に詰め込んでいたが、冷蔵庫に中にある紙箱を入れようとして固まった。


「おい、カップスープは冷蔵庫に入れる必要ないだろ」

「そうなの?」

「中身は粉末だぞ」

「粉末……?」

「飲んだことないのか」


 桔梗は入院生活が長い。

 たとえ健康な身体を持っていたとしても、表向きは病に(おか)されたことになっている。

 芸能人の食生活がどのようなものかは知らないが、アイドルになってからは高級なものしか口にして来なかったのだろう。


「一般人の生活を身に着けさせたかったのかもしれないな……」

「一般人の生活って?カップスープを知らないことって、一般人の生活をしていない証拠になるの?」

「俺の食生活に合わせていたら、一週間も持たないぞ」


 氷室は時間さえあれば即席麺やおにぎりなどで済ますよりも自炊をするタイプだ。

 どうせ自炊をするなら一人分も二人分も調理方法は変わらない。

 桔梗が好む味を提供できるかどうかは、別の話だ。

 焔華は桔梗に「氷室を一週間で骨抜きにしてこい」と言ったが、本来の目的は氷室とお試し交際や同棲をさせることではない。

 焔華や吉更のような家族同然以外の人間と共同生活を行い、社会生活を身に着けてこいと言いたかったのだろう。

 氷室の使命は、桔梗から向けられる愛をのらりくらりと交わすことだけではない。

 のらりくらりと交わしながら一般常識を身につけることが、氷室に課せられた任務なのだ。


(そうでも思わなければ、やってなどいられない)


 テレビのバラエティ企画で、料理の名前をお題として出題し、芸能人に買い物へ行かせる番組があった。

 今のままではその番組に出演すれば、とんでもない食材を選んでしまうだろう。


「氷室先生と一緒にご飯を食べるのが飽きてしまったなど……、私は絶対口にしない」


 氷室はため息をつくと、冷蔵庫に詰め込んだばかりの食材を慣れた手付きでシンクの上に取り出し、桔梗へ質問した。


「今テーブルに並べた食材で、俺が何を作ろうとしているか当ててみろ」


 材料はシンプルだ。

 卵2個、即席パックご飯、ケチャップに鶏もも肉、玉ねぎ。

 食材を見てパッと笑顔を浮かべた桔梗は、元気よく料理の名前を口にした。


炒飯(チャーハン)!」

「どうしてそうなる」

「えっ。ケチャップ炒飯(チャーハン)を作るんじゃないの?」

「ケチャップ炒飯(チャーハン)って何だよ……」


 氷室はオムライスを作るつもりで桔梗の前に食材を並べたのだが、桔梗は氷室が炒飯(チャーハン)を作るつもりだと自信満々に答えてみせた。

 微妙な反応をした氷室を納得させる為だろう。

 ケチャップを販売している有名食品メーカーが公式サイトに載せているレシピをスマートフォンに表示して力説する。


「この食材にケチャップと言えば、ケチャップ炒飯(チャーハン)だよ。私、ケチャップのCMに出演したことがあって食べたけど、すごく美味しかったんだ!」

「出演したCMの企業には喜ばれる神回答だが、常識を図るクイズならばお前の回答は5点だぞ」

「赤点なの?」

「当たり前だろ。今から作ってやるから、座っていろよ」

「はーい。何ができるかな。楽しみ。そうだ。氷室先生が料理している姿、撮影してもいい?きーちゃんに送るの」

「流出したら困るような動画を撮影するな」


 非常識にも程がある桔梗の行動に突っ込みを入れるだけでも疲弊(ひへい)する。

 興味深そうに料理を始める氷室の背中を見つめる桔梗の熱視線から逃れるように、料理を作ることに集中した。


「氷室先生は駄目だしの天才ね」

「反抗すれば、痛い目を見るのはお前だぞ」

「はーい。氷室先生に従いまーす」


 本当に従うつもりなどあるのだろうか。

 返事だけは威勢がいいのに気分を良くして、気がついた時には火だるまになっていたなど明らかになれば……。

 監督不行(ふゆき)き届きで怒られるのは氷室なのだ。


「氷室先生。いい子にしていたら、私にご褒美をくれる?」

「……何が欲しい」

「氷室先生からの愛が欲しいな」


 桔梗は卑怯だ。

 氷室が嫌だとこの場で断れば、料理をしている氷室の後ろ姿を撮影し、愛知桔梗の公式SNSへ投稿しかねない。

 絶対に断られることがないとわかっているからこそ、自信満々に桔梗は氷室を誘うのだ。


「気が向いたらな」

「絶対、絶対よ。約束してくれないなら、公式SNSで氷室先生と再会して一緒に暮らすことになったことをファンの皆に報告する」

「火だるまになるぞ」

「火だるまになったら、先生が助けてくれるでしょ」


 桔梗が氷室の名前を出して同棲しているなどと投稿すれば、ただでは済まない。

 氷室と桔梗は世間の目から逃れる為、愛の逃避行をする羽目になるだろう。


(昔から変わらねえな……)


 桔梗は持ちうるすべての武器を使って、氷室を自らのものにしようと画策(かくさく)している。

 氷室は桔梗のものになるわけがないと必死に抗っているが、いつまで持つかはわからない。


「俺に従うんじゃなかったのか」

「従うよ?氷室先生が、私にご褒美をくれるならね」

「今すぐ追い出してやってもいいんだぞ」

「氷室先生は私を追い出したりしない。私を追い出した後、何かあったら自分の責任になるから。責任なんて、取りたくないでしょ」


 桔梗との会話は疲れる。

 氷室は女と会話をする機会があるとすれば、くだらない会話を適度にしながらのんびりと過ごしたかった。


(こいつとの会話を長続きさせれば、いつ墓穴を掘ってもおかしくない)


 氷室は面倒になって、フライパンの取っ手を手に持ち、大きく上下に揺すりながら──桔梗が待ち望んだ言葉を口にした。


「わかった。わかったから、大人しくしていろ」

「はーい。氷室先生は、文句を言いながらも私を優先してくれるから大好きよ」


(最後は折れてくれるから好きだと口にされたって、喜べるわけないだろ……)


 桔梗は本当に、心の底から折れて貰えて嬉しいと思っているのだろうか?

 氷室は本心とは到底思えない氷室の言葉を聞き流しながら、調理に専念した。

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