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再会のリグレットロマンス

「ぜぇっ、ぜー……ヒューッ、ヒュ……」


 一瞬何が起こったのか分からず思考を停止させた氷室は、患者の喘鳴音を聞いてすぐに思考をフル回転させた。

 この場にいるはずがない女が現れた所で、氷室が気にするべきはその女ではなく、苦しそうに喘鳴音を繰り返す少女だ。


「氷室先生──」

「姉ちゃん、姉ちゃん!キョウちゃんとヒーロー先生を会わせる為に演技していたんだろ?なあ!」

「演技ではない。寄ってたかって騒ぎ立てるな。症状が酷くなる」


 少年はもう大丈夫だと声を掛けるが、少女の呼吸が正常に戻ることはない。

 ひとまず少年を引き離し、桔梗を一目見ようと集まっていた観客たちから少女を抱き上げ遠ざけると、氷室は治療に当たる。


「し、白雪、先生……っ!」


 豊かな胸元を揺らして、白衣の天使が駆けて来た。

 呼吸が整わないうちにすぐ仕事の指示を受ける那須宮が気の毒ではあるが、患者は待ってなどくれないのだ。

 あれこれ指示をした氷室は、少女を落ち着かせることだけに集中していた。


「ご、ごめんなさい……先生……」

「落ち着いたならいい。吸入器は肌見放さず()てと言っただろう」

「お母さんにお使い、頼まれて……。弟と一緒に行って帰ってきたらね、キョウちゃんがいたの。それで私……」

「わかった。母親は自宅に居るんだな?」

「うん……」


 姉弟の自宅までは、歩いてそう遠くない。

 小さな子ども達二人で自宅まで帰しても問題はなさそうだが、また発作でも起きたら大変だ。

 氷室は那須宮と共に、仕方なく姉弟と自宅まで送っていくことにした。


「氷室先生──」

「愛知さん!撮影押してます!準備お願いします!」

「わかりました」


 桔梗は氷室と話をしたくて仕方ないようだったが、スタッフに声を掛けられ乱れた前髪を耳に掛けると、颯爽と砂浜を歩き始める。

 潮風に(なび)く桔梗の髪と後ろ姿だけでも、一般人からしてオーラが違う。

 氷室は自身が桔梗の後ろ姿に目を奪われていることを認識し、(かぶり)を振る。


(見とれてどうする)


 氷室は不思議そうな表情で見上げる小さな姉弟と目を合わせた。

 兄妹を安心させるように両手を繋いだ彼は、幼子を自宅へと送り届ける為に歩き出す。


「那須宮、お前は診療所に戻れ。いつまでも無人にしておくわけには行かないだろ」

「ひゃ、ひゃいぃ……っ」


 那須宮は「せっかくここまで走ってきたのに」と情けない悲鳴を上げた。

 鬼だの悪魔と罵られてもおかしくない状況であるにもかかわらず、氷室はつべこべ言わずにさっさと動けと那須宮を睨みつける。


「すげー。流石ヒーロー先生だぜ」


 氷室はドキュメンタリー番組で桔梗を助けた件が放送されると、氷室の名前を文字って子ども達から「ヒーロー先生」と呼ばれるようになっていた。

 氷室はヒーローと呼ばれるような善意を沖縄に来てから一度もしたことはないのだが──。

 子どもたちに大人気なくその呼び名で呼ぶなと睨みつけたせいで泣かれ、保護者に怒鳴られるのは面倒だ。

 氷室は仕方なくその呼び名で呼ばれることを受け入れていた。


「何故砂浜に愛知桔梗がいたんだ」

「撮影だって!」

「撮影……?」

「先生、ごめんなさい……。キョウちゃんに興奮して……」

「誰にだって失敗はある。次からは気をつけろ」


 これが大人ならば、アイドルが地元に来たくらいで喜ぶなとキレていた所だ。

 まだ小さな子どもたちを怒鳴りつける方がどうかしている。

 氷室は子どもたちをやさしく諭すと、叱りつけるようなことはしなかった。


「どうもありがとうございました……!」


 お使い活かせたきり、子どもたちが帰ってこない。

 心配していた母親の元に姉弟を送り届ければ、何度も何度も頭を下げて氷室へ感謝を伝えてくる。


(感謝の言葉を伝えるよりも診察費を払ってくれ)


 感謝の言葉よりも診察料を支払えと口にするわけにもいかない。

 一刻も早く桔梗の前から姿を消したい一心で、氷室が勝手にタダ働きをしただけだ。

 領収書がない状況で、金銭のやり取りをすれば後々面倒なことにもなりかねない。

 金銭面を心配する母親に、後日徴収すると告げた氷室は幼い兄妹別れてのんびりと診療所へ戻る。

 来た道を一人で引き換えしていくその足取りは、亀のように遅かった。


(撮影なら……数十分じゃ終わらないだろう)


 診療所に戻るには、どうしても浜辺の真横を通らなければならない。

 できれば2度と桔梗と顔を合わせたくない氷室は、どうにか撮影終了した後を狙って無人となった砂浜を横目に診療所まで戻りたかったのだが……。

 考えを巡らせている間、はたと気づく。


(あいつが撮影中なら、まず俺に声を掛けくることはないのか……)


 幼い兄妹の話によれば、桔梗は新曲の撮影をしているらしい。

 撮影のNGを出してまで接触してくることはまずないと考えた氷室は、先程まで亀のように重い足取りが嘘のようにローファーの音を響かせて、アスファルトの上を疾走し始めた。


(くそ。もっと早くに気づけばよかった……)


 桔梗と会いたくない一心で思考停止してしまうのも考えものだ。

 氷室は時間を無駄にしたことを悔やみながら、さっさと海岸沿いの道を抜けようと足を動かす。


『僕たちは 旅の途中』


 近所迷惑なのではないかと、心配せずにはいられない。

 もう少しで海岸沿いの国道から氷室が抜けようとしていた時だった。

 大音量のBGMを背に、桔梗の歌が聞こえてきたのは。

 桔梗の活躍を一目見ようと、先程氷室が少女を助けるために砂浜へ顔をした時の数倍はいるであろうギャラリー達に見守れながら。

 桔梗は波音に負けないくらいの歌声を、マイク越しに響かせている。


(あいつ、踊れるようになったのか)


 氷室が歌声に誘われるように足を止めたのは無理もない。

 歌の桔梗、ダンスの吉更──。

 6年前は明確に役割分担されていたはずのパフォーマンスが、桔梗一人に集約されていることに気がついたからだ。

 砂浜に足を取られることもなく、桔梗は左右の足を激しく動かし複雑なステップを踏みながら。

 マイクを持っていない左手で、揺れるフィッシュテールスカートの裾を持ち上げる。

 その動きは社交ダンスに近いだろうか。

 男を誘う情熱的なダンス──。

 タンゴの振り付けをイメージした仕草を取りながら、桔梗は美しい歌声を響かせる。


『フィッシュテール (ひるがえ)して踊る』


 スカートの裾を左手で持ち上げ泳ぐように左右へ動かした桔梗は、くすりと笑みを浮かべるとくるりとその場で回転し、勢いそのままにカメラへ向かってスカートを勢いよく前に蹴り上げた。


『青い海 波しぶきあげて』


 スカートの裾から下着が見えてしまうのではないかと心配してしまうほどに。

 際どいアングルから、両足を砂浜に戻した彼女は再び歌い踊りだす。


『君の元へ泳いで行きたい』


 腕を交互にぴんと伸ばしてクロールらしき水を掻き分ける振り付けを披露した桔梗は、順調に一番盛り上がるサビを歌いこなしていく。


『また会えると信じている』


 また会える。

 それは誰に向けて歌われているのか──。

 成長した桔梗のパフォーマンスを食い入るように見つめていると、桔梗と氷室の視線が混ざり合う。


(くそ。目があっちまった)


 曲が終わった後、あの場所から大声で叫ばれては堪らない。

 氷室が慌てて踵を返そうとした時、桔梗の歌声が耳を掠めた。


『再会のリグレットロマンス』


 リグレットは後悔。

 ロマンスは恋愛。

 直訳すると、再会したことを後悔するような恋愛、だろうか。

 桔梗ならば、「愛したことを後悔したくないから再会したいと思う」とでも言いたそうな歌詞に吐き気がする。


『別カメアングルでもう一回お願いします!』

『はーい!』


 踊り終えた桔梗が元気いっぱいにスタッフへ返事をする声が聞こえた氷室は、彼女が追いかけてくることなど当面ないことに安堵しながら、診療所へ向かった。

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