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金曜日:悪夢と再会

 元旦の特別番組は、大盛況だったらしい。

 氷室の元にやってくる患者たちが、桔梗の話をしなくなる時間など永遠に訪れないのではないかと思うほど、氷室は1日数百回は桔梗の名前を聞いていた。


(またかよ……俺はいつまで悪夢の中にいればいいんだ……?)


 氷室が心の中で問いかけてみても、状況は一向に変化しない。

 ほとぼりが冷めるまで待つにも限界があった氷室は、耳がタコになるほど桔梗の話を聞かされた影響で、日に日に顔色が悪くなっていく。


「し、白雪先生……。顔色が、悪いです……。お休みした方が……」

「体調はすこぶるいい。患者からの精神攻撃に疲弊(ひへい)しているだけだ。気にするな」

「で、でも……っ。し、白雪先生が……。お、思い詰めて……っ!」

「俺が自殺するような人間に見えるのかよ」

「み、みんなそうやって言うんですよ……!」


 死にたいと日常的に口ずさむ人間よりも、一切そうした言葉を口に出さない人間が危ないとはよく噂されるものだ。

 那須宮は氷室が、「ある日突然帰らぬ人になったらどうしよう」と心配しているのだろう。

 彼女は医者思いのいい看護師だ。

 本気で那須宮が自分を心配していることに気づいた氷室は、思い詰めているように見える理由を説明してやることにした。


「寝れないだけだ」


 氷室は元旦の日、診療所で那須宮と共に桔梗が出演していたドキュメンタリー番組を観覧してから、悪夢に(うな)され浅い眠りを繰り返している。

 総合病院時代は患者が運び込まれてくれば、いやでも叩き起こされるのだ。

 熟睡など夢のまた夢で、浅い眠りが当然だった。

 1度深い眠りが当たり前になってしまえば、身体が不調を訴えるのは当然のことだ。


(俺も年を取ったな……)


 氷室は32歳。

 年配の男性からしてみればまだまだ若造だが、そろそろいい年に数えられる年齢だ。

 20代であれば毎日浅い眠りを繰り返そうともきちんと身体がついてきていたが、これからは年を重ねるごとにどんどん衰えていく。


(身体が言うことを利かなくなる時期は、そう遠い未来の話ではない)


遠い目をした氷室は、着々とソファの上に氷室が眠れるように場所を作った那須宮がキラキラとした瞳を向けてくることに気づく。


「じゃ、じゃあ!少しの間だけでもいいですから、寝ましょう!どうぞ!」


 珍しく順番待ちをしている患者がいない静かな診療所は、お昼寝をするにはぴったりな時間だ。

 氷室は那須宮に促されるがまま、ソファに寝転がり目を閉じる。


「……どうせすぐ起きる」

「そ、それでも!少しだけでもいいですから、しっかり睡眠を取ってください……!」

「……患者が来たら、叩き起こせよ」

「も、もちろんです……!」


 那須宮と会話を終えた氷室は、ものの数分で眠りの国へと誘われる。

 視界が一面漆黒に塗りつぶされた時。

 氷室はいつも、彼女が自分の名前を呼ぶ声によって悪夢へと突き落とされる。


『氷室先生』


 舌っ足らずで綺麗なソプラノボイスは、6年前の愛知桔梗だ。

 入院着を身に纏う少女の幻影が視界の端に映り込んだことを確認すれば、背後からアルトボイスが聞こえてきた。


『私との将来、考えてくれたでしょ』


 どんな手段を使っても。

 桔梗は20歳になったら、氷室を迎えに行くとライブ直前に告げた。

 悪夢の中で。

 大人になった桔梗がImitation Queen時代のアイドル衣装に身を包み、氷室へ手伸ばす。

 氷室が、幻影であると理解しているならば。

 桔梗の手を取るはずないのに――幻影の彼女は、聖母のように氷室を受け止めようと両手を大きく広げた。


『我慢しなくていいの。私しか見てないよ』


 我慢などしていない。

 氷室が愛しているのは美月だけだ。

 桔梗ではない。


『私は先生のことが好き』


 氷室は桔梗を苦手としている。


『早く私を好きになって』


 氷室は桔梗など眼中にない。


『氷室先生。私と、幸せになりましょう』


 氷室が男としての幸せを、掴み取ることがあるとすれば──。

 それは桔梗ではなく、美月であるべきだ。

 美月こそ、氷室に相応しい女で。

 桔梗は氷室にとって――。


「せ……っ、白雪先生!」


 氷室は那須宮の呼びかけに答え、はっと目を覚ました。

 額から溢れる汗を拭った氷室は、那須宮の隣に見覚えのある小さな少年がいることに気づく。


「どうした」

「先生!妹が砂浜で喘息発作起こして苦しそうなんだ!」

「吸入器は」

「家に戻るよりも先生呼んだほうが早いだろ!?」


 医者はただで面倒を見てくれるわけではないのだ。

 氷室が手を出せば治療費が(かさ)む。

 吸入器さえ手元にあれば落ち着くような症状で、わざわざ医師を呼びつけないでくれ──などと。

 大人げなく、馬鹿正直に小さな子どもへ伝えられるはずもない。


「わかった。案内してくれ」

「先生!こっちだ!」


 氷室は寝起きの身体を無理やり起こすと、全速力で駆けていく少年の後を追いかける。


「那須宮!鍵かけてゆっくりこい!コケるなよ!」

「ひゃ、ひゃい……っ」


 氷室が走りながら那須宮へ診療所の鍵を投げれば、大きな胸元を揺らしてヘロヘロになっている彼女の姿を捉える。

 那須宮は体力がなく、足は遅いほうだ。

 彼女のペースに合わせていては日が暮れる。

 氷室は吸入器を白衣のポケットに突っ込み、全速力で少年の後を追う。


(でかい病院辞めて、アラサーになっても……結局患者を求めて昔と変わらず全力疾走かよ……)


 氷室は少年の背中を追いかけ、徒歩5分ほどの砂浜にやってきた。

 走れば3分と掛からない。海は道路を挟んですぐそこだ。


(なんだ……?)


 砂浜には人だかりができていた。

 小さな子ども達の集団かと思ったら、集まっている人々の中には大人たちもいる。

 子どもたちが遊んでいる時に喘息発作を起こして大変だと氷室を呼び来たのではないならば、周りの大人は一体何していたのだ。

 氷室が思わず少年の妹を治療したあと、人だかりの大人たちに正義感を振りかざして文句の一つも行ってやろうとした時──大人たちが何を目当てにこの砂浜に集まっていたのか気づいてしまった。


「大丈夫だよ。大丈夫……。もう少しで、お医者様が来てくれるからね」

「けほっ。げほ、げほ……っ。ひぃっ、ふー……ぜぇ……っ、ぜぇ……っ」


 胸元で切り揃えられた、漆黒の髪に見える──光に反射されて輝くダークパープルのウェービーヘア。

 耳元には紫色の花弁を象ったイヤリングが両耳につけられている。

 控えめな胸元を大きく見せるためなのか、フリルがふんだんにあしらわれた大人っぽい白のブラウスを着用しているようだ。

 くるぶしが隠れる程に長いフィッシュテールのスカートが砂に汚れることも(いと)わずに。

 喘息発作を起こして苦しそうに息を吸い込む少女の背中を撫でながら、しゃがみこんでいる年若い女の名は──。


「姉ちゃん!ヒーロー先生連れてきた!もう、演技しなくていいぜ!」

「──氷室、先生?」


 氷室がこの世で一番、顔を合わせたくなかった女だった。

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