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嘘の手紙と電話の相手

 そこに氷室はいない。

 一枚の手紙が置かれているだけだ。


『白雪氷室さんは本日、仕事の都合でスタジオには来られませんでした。お手紙を預かりましたので、どうぞ手に取り、読み上げください』


 氷室は桔梗に対して、『俺とお前の道が、二度と交わることのないよう願っている』と書いた手紙をスタッフに預けている。

 放送時に改変したいなら好きにしろとスタッフへ告げた為、放送内で読み上げられる内容はテレビ局の都合がいいように改変されているに違いない。

 氷室は手紙の内容が捏造されることをある程度覚悟をした上で、番組の内容を確認する。


『愛知桔梗様。本日は仕事の都合でスタジオに行けないことをお許しください。テレビの中で輝く貴方を見て、大きくなったな、といつも感慨(かんがい)深いです。またいつか、会える日を楽しみにしています』


 桔梗は手紙を読み上げると、ポロポロ涙を流した。

 手紙の内容と筆跡を確認すれば、まず氷室の直筆メッセージではないことなどすぐにわかるだろうに。

 番組の視聴率を高めるために泣く演技まで強要されるのだから、芸能人は大変だ。


「し、白雪先生……。あの手紙……」

「俺がまた会える日を待ち望んでいるなど、書くわけがないだろう。俺はできることなら、2度と会いたくない」

「……愛知桔梗ちゃんが……白雪先生を好きだから、ですか……?」


 天門総合病院に桔梗が入院していたことを知る人物ならば、桔梗が氷室に好意を抱いていたことは疑う余地のない事実である。

 那須宮からの控えめな問いかけに氷室が小さく頷けば。

 彼女はコメントを求められて言葉を紡ぐ桔梗を、テレビ越しにぼんやりと見つめた。


『今日は会えませんでしたが、いつかまた巡り会える日を夢見て、芸能活動を続けながら、先生に私の活躍を見てもらいたいです』


 桔梗の出演パートが終わりを告げる。

 CM開けからは、別の芸能人が会いたい人との再会を夢見て、情報提供を呼びかけた結果が放送されるらしい。


「……付き合って貰って悪かったな」

「い、いえ。私は全然。何もしていません。で、でも……その、白雪先生は……大丈夫、ですか……?」

「心配されるようなことはない」

「でも、顔色が……」

「……顔を洗ってくる」


 桔梗の番組出演は終了した。

 これ以上番組を観覧し続ける理由などないだろう。

 氷室は1度席を外すと、洗面台に向かった。


(……酷い顔だな……)


 自分でも驚くほど酷い顔をしていると気づいた氷室は蛇口を捻り、水を出してパシャパシャと洗い始める。


(生きた心地がしなかった)


 氷室のせいで、大人気の元国民的アイドル──マルチタレントの桔梗が芸能界から姿を消すことになると思えば、気が気ではなくなるのは当然のことだ。

 Imitation Queenは一時期、スキャンダルの宝庫として有名だった時期があるらしい。

 アイドルグループの一員として名を連ねている間、週刊文冬にすっぱ抜かれなかったアイドルは、神奈川焔華(かながわほのか)愛知桔梗(あいちききょう)のみ。

 それ以外のアイドルたちは全員週刊文冬にスキャンダルをすっぱ抜かれ、グループを追われることになったり、後ろ指を刺されながら生きることになったそうだ。


(あいつには、後ろ暗い話が多すぎる)


 天門総合病院への入院と事件の関与。

 6年前までは双子の弟である吉更と頻繁に入れ替わり、アイドル活動をしていたこと。

 そして、氷室との初対面が6年前にライブステージから転落した際だと嘘をついて、もう一度会いたいと番組に広く情報を呼びかけたこと──。

 桔梗本人は氷室のことを「命の恩人」であると番組で紹介したが、氷室は男だ。

 芸能人の女が姿をくらました男を探せば、元彼か好きな人かと邪推(じゃすい)するのは当然のことだろう。

 実際、診療所に通う子どもたちからは「桔梗と氷室が交際していた」と勘違いされている。

 診療所で働く氷室の姿を知る人間ならば、氷室と桔梗が恋愛関係に発展していることは暗黙の了解として、まことしやかに囁かれていた。


(あいつはどうするつもりだ)


 桔梗がこれからどうするつもりなのかなど、氷室が自身に問いかけた所でわかるはずもない。

 その答えは、桔梗しか持っていないからだ。

 番組スタッフは氷室が今どこで何をしているのかはっきりと認識している。

 番組の視聴率次第では、氷室の意志を無視して桔梗と合わせようとしてくる可能性も考慮(こうりょ)するべきだろう。


(放送が終われば、きっと誰の心にも残らない。患者が騒ぎ立てるようなことはなくなるだろ)


 面倒なことが起きるとしたら。

 ほとぼりが覚めた頃に、桔梗が氷室の前へ姿を見せることだ。

 大人になった桔梗は、美しくなった。

 テレビ越しに見れば、氷室は嫌悪感の方が先に立つ。

 だが、面と向かって言葉を交わし、触れ合う距離に桔梗が現れたとしたら。

 氷室は、胸の高鳴りを抑えきれる自信などなかった。


(冗談じゃない。俺とあいつに年の差がいくつあると思っている。どんなに美しくなったとしても……。俺が愛するのは美月だけだ……)


 氷室は気づいていなかった。


「美月が好き」だと繰り返し思い込まなければ、大人になった桔梗の姿を思い浮かべてしまうほど、彼女のことを気にしている自分がいることに。


(恋愛は、一方通行の思いだけじゃ進展などしない……)


 恋愛は相互通行だ。

 お互いに好意を抱いていると認識することではじめて、交際に発展する。

 だが、お互い恋愛感情を抱いていなくても始まる恋がないわけではない。

 一方の強い思いに流されるように関係を持ち、身体からの関係から始めて、友情が愛情に変わり──そして憧れが恋心に変わることだってあるのだ。


 桔梗は、氷室を何故好きになったのだろう。

 氷室にはそれがわからない。

 だからこそ余計に、得体のしれない桔梗の好意が気持ち悪く感じるのだろう。

 桔梗が氷室を「将来の伴侶」と決めつけた理由が分かる日がきたら──。


(……あいつが俺のことを好きな理由を知った所で、俺があいつに(なび)く可能性などないだろ……)


 氷室は必死に美月が好きだと自身に言い聞かせ、桔梗の愛を拒み続ける。

 今はまだ、桔梗が近くにいないからいい。

 けれどもしも。

 桔梗が氷室の元へ姿を見せ──氷室を責めるようなことがあれば。

 氷室は、自分がどんな行動を取るのか考えたくもなかった。


「やっぱり……ですよ……」


 氷室が洗面所から移動し待合室に戻ってくると、那須宮が誰かと話をしている声が聞こえてくる。

 どうやら、那須宮はスマートフォンを片手に誰かと電話をしているらしい。

 彼女は話に夢中で、氷室が戻ってきたことに気づく様子がなかった。


「わたしは……納得できません……。6年経っても……白雪先生は……」


 その言葉に続く話題があるとすれば、美月のことしかないだろう。


(6年経っても?)


 那須宮は氷室に自然消滅した彼女がいることを話したが、それが美月であるとは話していない。

 天門総合病院の院長と手術室にいた連中は、美月と交際関係にあったことを打ち明けた氷室の言葉を聞いている。

 彼らが外部にその話を漏らす前に、警察に身柄を拘束されているのだ。

 氷室と美月が交際していたことを那須宮が知るはずもない。


「那須宮?誰と電話している」

「あ……っ。え、えっと。こ、これは……っ!」


 那須宮は氷室の低い声を聞き、通話を繋げたまま慌てたように振り返る。

 氷室に言い訳をしようと口を開いた那須宮を鋭い視線で氷室が睨みつけると、奇声を上げた那須宮が慌ててスマートフォンを耳に近づけた。


「ひゃあ!ま、待って!まだ話したいことが……!」


 どうやら、氷室に気づかれたことを知った相手が電話を切ろうとしたらしい。

 氷室は那須宮の電話相手を確かめる為に彼女からスマートフォンを取り上げたかったが、電話帳に相手の名前が登録されていなければ、誰かを確かめる術などなかった。

 那須宮との関係を悪化させれば、氷室は診療所を一人で切り盛りしなければならない。

 恩師はすでに運営を氷室と那須宮に任せ、隠居状態だからだ。

 この場で無理して電話の相手を聞き出す必要はない。

 けれど、気にならないと言えば嘘になると考えた氷室は――。


「あわわ……切れちゃった…………」

「かけ直せばいいだろ」

「な、なかなか連絡が繋がらない人なんです。忙しいみたいで……」

「医療従事者か」


 慌てる那須宮へ、氷室はさり気なく電話の相手に探りを入れるが、彼女は曖昧に笑って誤魔化そうとした。

 誤魔化そうとした時点で、氷室の想像が当たっていると肯定しているようなものだろう。


(具体的な名前を出さない辺り……)


 那須宮は、氷室が天門総合病院に務め始める1年半前に病院で働き始めた新人看護師だ。

 氷室が病院で働き始めたのは、美月が消えた半年後。

 つまり、美月と那須宮は1年間、一緒の病院で働いていたことになる。

 氷室は、2人にプライベートでの交流があったなど聞いたことなどなかった。


(学生時代、すれ違っただけでも友達だとカテゴライズしそうなほどの勢いだったからな……)


 美月はコミュニケーション能力が恐ろしく高い。

 仲のいい、友人と呼べる人間が皆無の氷室を彼氏にしたくらいだ。

 いつも緊張状態で発話に問題がある那須宮とだって、プライベートで連絡を取り合う仲であったとしてもおかしくはない。


「し、白雪先生。顔色、少しだけ良くなったみたいですね」

「お前のせいで、よくなった顔色が違う意味で悪くなった」

「ひええっ。わ、わたしのせいですか……!?」

「冗談だ」


 この場で那須宮を問いただした所で、美月本人と氷室が言葉を交わせる訳では無い。


(電話相手が誰だったかは、忘れよう)


 氷室は後片付けを済ませると、診療所の鍵を閉めて那須宮と別れた。

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