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番組としては盛り上がる引き

(真剣に見てどうする)


 話半分に聞いていればいいのだ。

 カセットコンロの火を止めた氷室は、小皿に鍋の中身を取り分け、胡麻ダレにつけて口へと運ぶ。

 熱々の具材を口に運んだせいで火傷したが、熱いなど言ってもいられない。

 多少の痛みを感じてでも。

 今すぐに記憶から、桔梗の声を消し去りたかった。


『先生』


 氷室の脳内に、何度も何度も。

 桔梗の声が木霊する。

 6年前よりも随分と低くなったその声は、氷室を底なし沼へと引きずり込んでいく。

 妖艶さを兼ね備えているのが、恐ろしくてたまらない。

 アイドルとして活動しただけの人間はごまんといる。

 アイドルを引退した後も芸能界で輝き続ける元アイドルは、そう多くはないだろう。

 桔梗は元アイドルとして、大きな舞台に場所を移しても輝ける一握りの成功者だ。


(あいつの間で油断なんてしたら、一気に足元を救われる)


 桔梗の声を一度聞けば、氷室がどんなに美月のことを考えていたとしても。

 どうしてだかわからないが、上書きされてしまうのだ。

 あれほど大好きでたまらないはずだった美月の声よりも、桔梗の声が頭の中に木霊しているなど……氷室は信じられなかった。

 彼女の声が、耳障りで仕方ない。


(子供だったから、まだ自制が利いた……)


 大人になった桔梗と顔を合わせたりなどすれば――氷室は今度こそ、逃げられないだろう。

 そうした予感を感じているからこそ。

 氷室は美月を愛し、彼女以外と結婚する気などないと頑なに桔梗を拒むのだ。


(……俺は本当に……まだ……)


 美月のことが好きなのか、と。

 自分の心に問いかけてみても、そうだと力強い答えが返ってくることはない。


(……弱気になってどうする)


 久しぶりにアルコールに近い成分を、体内の中に摂取したからだろうか。

 あまりよくない傾向だ。


(この場に桔梗がいなくてよかった)


 氷室は心底、安堵していた。

 桔梗がいれば、間違いが起きてもおかしくない。

 弱っている氷室を見たら、桔梗は絶対に黙ってなどいなかっただろう。


『スタジオには、前回の番組終了後からたくさんの情報提供が寄せられました。皆様、ご協力頂きまして誠にありがとうございます』

『皆様ご協力頂きましてありがとうございました』

『その情報提供により、白雪氷室さんの居場所が特定できたかどうか。こちらのVTRにまとめましたので、ご覧ください!』


 氷室が勢いよく熱々の鍋を平らげた所で、今回のメインイベント。

 前回放送していなかった新規VTRが放送される。

 ノンアルコールビールを一本飲み干し、鬱々とした気持ちになり始めた氷室は、勢いよくカニの甲羅から足を剥ぎ取る。

 バキッと足の殻が音を立てたことにより、那須宮が「な、何の音ですか」と。

 肩を揺らしながら、氷室を凝視していた。


「す、凄い音、しましたけど……?」

「ストレス発散しないとやっていられない。我慢してくれ」

「わ、私は……いい、ですけど……。その……あっ。わざわざ殻まで身を出しやすくしてくださって……あ、ありがとうございます……」


 チョキチョキとハサミで切れ込みを入れ、優先的に那須宮へと渡してやれば。

 彼女は律儀に氷室へお礼を告げた。

 食べやすいようにハサミのような形をした先端と、持ち手部分がスプーンの形をしているカニスプーンを持参してきた氷室のお陰で、那須宮は苦戦することなく蟹脚の身を掬い取り、満面の笑みで食べ進めている。


(美月がいた頃は、年末年始にテーブルを囲んで蟹を食べるのが恒例だった……)


 まるで昔に戻ったようだ。

 氷室は昔を思い出してじーんと来たが、残念ながら今隣にいるのは美月ではなく那須宮だ。

 弱音を吐きだすことなどできるはずもなく。

 氷室は美月との思い出をかき消すと、なんてことのないように振る舞った。


『番組には、数え切れないほどたくさんの情報提供が寄せられました。中でも多かった情報提供は、彼に命を助けられたと言う報告です』


 新たな再現VTRが再生されると、桔梗は実際に「命を救われた」と番組へ情報提供をした大学生から直接話を聞くことになった。

 大学生はVTRの中で、氷室にお礼を言いたいと桔梗に告げる。


『僕は小学生の頃……カップルに助けられました。彼女さんらしき人から、氷室と呼ばれていたので間違いありません。あの二人が助けてくれなければ、僕は死んでいたんです』


 番組は急遽氷室に命を救われた人々に声を掛け、寄せ書きを作成したらしい。

 スタジオでの生出演が叶うならば桔梗が、難しいようならば郵送でスタッフが届けると番組内で約束している。

 氷室が今こうして那須宮と共に診療所で食事をしている以上、氷室があの寄せ書きをテレビカメラの前で桔梗から直接手渡しで受け取ることはない。


(あれを受け取るべきは美月だろ……)


 氷室は人助けに奔走する美月のサポートをしていただけで、自分が誰かの命を救ったつもりなど一切なかった。

 美月が先人を切って助かるはずのない命を助けようとするから、氷室は美月が巻き添えで命を落とさぬように美月を守っただけ。

 誰かの命を救おうなど、考えたこともない。


(俺の名前で色紙を送られても困るんだよな……)


 氷室がうんざりとした様子を見せれば、対照的に那須宮はテレビ番組の言葉を真に受けて氷室へ問いかけてきた。


「し、白雪先生。寄せ書きですって。どこか、病院に飾りましょうか……?」

「届いた時に考えればいい」


 そもそもそんな寄せ書きなど存在するのかと、氷室は半信半疑だった。

 後ほどその寄せ書きを抱きしめた桔梗がカメラの前に姿を見せたことにより、寄せ書きが存在することを知ってしまい、いろいろな意味で微妙な気持ちになってしまう。


(筆跡を替え、ペンの色を変え……架空の人物とエピソードを生み出してまで、視聴率が欲しいのか……)


 番組が用意した小道具だと信じて疑っていない氷室は、「好きにさせろ」と那須宮につぶやくと勢いよく蟹をむさぼり食い始めた。


『彼は横浜の総合病院に勤務していました。現在、救急外来のみ診療を行っているA病院で、情報は全く得られません』


 横浜の総合病院、現在は救急外来のみ。

 その言葉だけで、氷室が天門総合病院で働いていたことはあの事件を知る人々ならば、すぐにでも関連付けられるだろう。

 那須宮によるとSNSでは「A病院」が検索ワード上位に食い込むほど大盛り上がりだった。


(あいつは何を考えてんだ……)


 天門総合病院の名を出せば、どこかから必ず愛知桔梗が入院していた事実が漏れる。

 週刊文冬(ぶんとう)にすっぱ抜かれたら、桔梗の芸能人としての華々しい人生は即終了だ。


 少しでも長く芸能人として輝き続けるつもりなら。

 彼女は天門総合病院の話など出すべきではなかった。


(まさかあいつ……。俺に芸能界を追われた責任を取れと迫るつもりか)


 冗談じゃないと笑い飛ばせればいいのだが──。


 桔梗が手段を選ばない女だとよく理解している氷室は、軽々しく冗談だとは笑い飛ばせそうになかった。


『そこでスタッフは、複数の目撃情報を頼りにある場所へ連絡を取ります。そこは小さな診療所。番組スタッフは事情を説明。まずは本人の在籍確認をします。すると──』


 桔梗の声で、氷室が体験したことが淡々と告げられる。

 番組スタッフから診療所宛に連絡があり、会うことになったこと。

 桔梗とスタジオで会うか、この場で手紙を書いてほしいこと。

 VTRの再生を終えた番組は、CMの後スタジオに生放送で桔梗を呼んで、氷室と感動の再会ができたのかについて。

 エンターテイメントとして、消費しようとしている。


(悪趣味な番組だ……)


 食事を終えた氷室は蟹の頭を那須宮に無言で押し付けると、緊張の面持ちでスタジオに設置された扉の前に立つ桔梗を睨みつける。

 紫色の、肩口がシースルーになっている。

 普段着とは到底思えない扇情的(せんじょうてき)なAラインのパーティドレスを身に纏った桔梗は、黒のハイヒールを履いて扉の前に立っていた。

 耳飾りは、6年前と変わらず雪の結晶と桔梗の花弁を象ったピアスであるかに思われたが――。

 彼女の両耳には、桔梗の花弁を象ったイヤリングが揃って光り輝いている。


(天門紗雪と交換し直したのか?)


 桔梗の耳から雪の結晶を象ったイヤリングが消えているのならば、元の持ち主である天門紗雪と交換したとしか考えられない。

 あの二人にまだ交流があるのか、そ氷室が病院を去った後交換したのかは不明だが──。

 真意など、探るだけ無駄だ。


『それでは、愛知桔梗さん!扉をお開けください!』


 桔梗はドアノブに手を掛け右側に回すと、司会進行役のアナウンサーに促されるまま──勢いよくドアを開けた。

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