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噓八百並べられた再現VTR

「し、白雪先生。その発泡スチロールは…?」

「刺し身。食うだろ」

「わぁ…っ!」


 発泡スチロールの中には、タラバガニが1匹。

 マグロの房、エビ、イカ…。

 海の幸が詰め込まれている。

 氷室は診療終わり。

 包丁を手にすると、手際よく慣れた手付きで海の幸をまな板の上で捌いていく。

 これには那須宮も感動したようで、「外科に転科した方がいいんじゃ…」と声を上げていた。


(包丁を操る手が手慣れているからって、外科医になれと言われてもな…)


 マグロを一口大に切るなど、誰でもできることだ。

 わざわざ自慢するようなことではない。

 氷室は大皿の上へ刺し身を丁寧に盛り付けると、那須宮はキラキラした瞳をお皿に向けた。


「…自分で持ってきたもん、温めるなり何なりしてツマミにしろよ」

「いいんですか…!?」

「言っただろ、奢るって」

「あっ、ありがとうございます…!」


 那須宮は持参してきた電子レンジで調理可能なすき焼きの冷凍食品をパッケージから取り出す。

 慣れた手付きで個別梱包された小さな春雨を2つほど手に取り、冷凍食品の中に入れてから電子レンジで加熱を開始した。

 氷室は自宅から持参した卓上コンロをテーブルの上に置き、下ごしらえを自宅で終えた食材を温め、ひとり鍋に舌鼓を打つつもりだったので、那須宮が冷凍食品を温めている背中をジト目で見つめている。


(逆だろ…)


 料理上手でなくてはいけない女の那須宮が冷凍食品で、氷室が自宅から持参してきた調理セットを用いてひとり鍋を楽しむ。


(俺の考えが昭和なのか…)


 男女が婚姻した場合、女性が家庭に入り、家事全般をこなすのがまだまだ一般常識だろう。

 家事の分担、専業主夫などは男性社会ではまだ難しいものがある。

 昔に比べれば、多様性を認める社会となりつつあるが──。


(医療従事者の女が特殊なのか?)


 よくよく考えてみれば、美月も一人暮らしを始めてから一度も台所に立ったことがないと氷室に告げていたことを思い出す。

 氷室が初めて美月に手料理を振る舞おうとした所、埃の積もったコンロを前に驚愕したものだ。


『料理なんてしないわ。食事を取るのは生きるためよ。栄養が取れたらなんでもいいの。ガス代節約にもなるし…』


 本気でガス代を節約するつもりで、自炊をするつもりなどないのなら。

「キッチンのない部屋を借りろよ」と氷室は美月に告げたのだが、今どきキッチンがない部屋など殆どない。

 電気コンロ付きのオール電化は値が張る為、「こうして埃を被って置いておく方が経済的だ」と美月から説明を受けた氷室は、どうしようかと思った。


(もう、10年近くも経つのか…)


 あれは確か、氷室が22歳の時だ。


 10年もの前に起きた出来事を鮮明に覚えているなど、どうかしている。

 テーブルの上に簡易のガスコンロをセットし、電気ポットで沸かしたお湯と持参してきた食材を土鍋に入れた氷室は火をつけ、缶ビールを一本手に取った。


「あれ?白雪先生って…飲むんですか…?」

「ノンアルコールだ。醜態(しゅうたい)を晒すようなことはしない」

「そ、その心配はしていません…っ」


 那須宮は飲まなくてもやっていられるほど氷室が強い男だと勘違いしているが、氷室の心は案外豆腐メンタルだ。

 美月がいなくなった際の荒れようは特に酷かった。

 桔梗があのドキュメンタリー番組で、自分の都合がいいように話を作り上げたならば――素面で内容を確認し、冷製で居られる自信など氷室には存在しない。


「診療所の電気がついていれば、休診でもなんでも急に患者が飛び込んでくる可能性も否めない。ノンアルコールでも、多飲はしないから安心しろ」

「あっ。そ、そっか……患者さん……。で、できれば……放送終了後が、いいですね。最初から最後まで、通して見たいです」


 氷室と那須宮が二人揃ってドキュメンタリー番組を最初から最後まで観覧できるかどうかは、急患で呼び込んできた患者の容態にもよるだろう。


(急患なんて、来る方が(まれ)だ)


 来たときに考えればいいと、この時の氷室はあまり深く考えていなかった。

 那須宮は猫舌なのだろう。

 電子レンジで温めたすき焼を、持参してきたレンゲの上に取り分けてふーふーと息を吹き掛けて冷ますのに必死だ。

 氷室はその様子を見ながら、ノンアルコールビールの缶へちびちびと小刻みに口づけつつ刺し身を摘む。


『芸能人の、今会いたい人!』

『始まりました、芸能人の、今会いたい人!前回の放送からわずか4ヶ月、元旦スペシャルに相応しい内容をご用意しております。まずはこちらのVTRをご覧ください!』

『──それは、私がステージの上から転落したことで始まりました──』


 ノンアルコールのビール缶片手に刺し身をつまんでいた氷室は、テレビから聞こえてくるナレーションの声を聞いて固まった。


(この声……間違いない)


 テレビから聞こえてきた声の主は、Imitation Queenの元アイドル。

 愛知桔梗だ。

 氷室がこの番組を観覧しなければならなくなってしまった原因でもある。


「し、白雪先生……」


 氷室が動きを止めたことに気づいたのだろう。

 那須宮も氷室の様子を不安そうに窺いながら、テレビから流れる映像を確認している。


『6年前──神奈川シーマリンドームで行われたImitation Queenのライブ。来場者数は1万五千人。チケット抽選に落選してしまったファンの方に向けた同時生配信では、ピーク時には遠く及ばないものの、50万人の方が同時視聴しました』


 桔梗の、一度聞いたら忘れない妖艶な声で。

 淡々と事実が紡がれていく。

 那須宮は氷室が難しい顔をして動きを止めていることに気づいたのだろう。

 温めたすき焼きが冷めるまで、スマートフォンを使ってSNSで番組の感想を検索することにしたらしい。


「こ、この内容……どうやら、再放送のようです」


 氷室の情報提供を呼びかけるために作成したVTRを、放送時間の関係上、一部端折り放送しているようだ。

 SNSには、4ヶ月前にこの放送を見たファンたちから「何度見ても泣ける」「キョウちゃんの事故シーン再放送クルー?」などと書き込まれている。


『当時、このライブを視聴していたファンの皆さんは、驚いたことでしょう。私が初のセンターを務める楽曲──Secret(シークレット) love(ラブ)で、裏センターを務めるImitation Queen4期生。七色虹花(なないろにじか)先輩の再来と歌われる宇都宮鏡花(うつのみやきょうか)先輩と接触し──高さ5mのステージから転落したのですから』


 桔梗は当時のライブ映像に合わせて淡々とナレーションを行う。

 愛知桔梗と宇都宮鏡花が背中合わせに歌唱した後。

 前に躍り出ようとした鏡花と桔梗の肩が勢いよく接触。

 桔梗が背中からステージ下に転落する様子がテレビで放送された。


(頭からではないな。背中から落ちたのか……)


 桔梗はカメラから消える瞬間、咄嗟に身体を丸めて頭を守っている。

 そのお陰で、大した怪我なく、後遺症が残ることもなく。

 アイドルとして活動が再開できたのだろう。


『この日、会場内にはたくさんのファンが私達のステージを見に来てくださいました。スタッフの方が呼びかけるよりも早く。私がステージから転落したことを確認し、私を助けようとしてくださったお医者様が居たのです』


 桔梗役の子役が、俺と桔梗の会話を再現しているが──。

 桔梗が嘘を製作スタッフに告げたのか、感動の再会を演出するために番組側が指示したのかは、氷室にわかるはずもない。


『そのお医者様は、私を助けるため必死になってくださいました。意識を失わないように声を掛け、手を握り。階段から落ちてパニックに陥った私を落ち着かせてくださったのです』


 耳障りのいい発言だけが羅列された再現VTRは、真実が1ミリも公表されていない酷いものだった。


『あの、お名前を……』

『名乗る名を持ち合わせてなどいない。一介の内科医です』


 再現VTRの中では、スタッフに医療従事者であることを証明する為にある病院の従業員証を身分証明として提出したことになっている。

 しかし、氷室と桔梗の初対面はライブ会場ではなく天門総合病院だ。

 よくよく当時会場に来ていた観客から話を聞けば、関係者席から桔梗そっくりの人物と共に飛び出て来て、治療に当たったと簡単にわかるはずなのだが──。

 都合の悪い事実は、桔梗本人の口から語らせる嘘によって覆い隠すつもりのようだ。


「し、白雪先生。名乗る名を持ち合わせていない一介の内科医──」

「言うわけ無いだろ」

「ひぃっ。で、ですよね……」


 苛立つ氷室が問いかけてきた那須宮をひと睨みすれば。

 苦笑いを浮かべた彼女はすき焼きが冷めたことを確認してから、黙々と頬張り始めた。

 どうやら、口は災いの元だと認識したらしい。


(どんな内容を放送したかは、最低限聞くべきだったな……)


 氷室は今更ながらに制作スタッフと桔梗にクレームを入れたくてたまらなくなった。

 フルネームを同意なく全国に発信されている氷室は、見知らぬ人からも「キザな自己紹介をして去って行った謎の内科医」として認識される羽目になったのだ。


『私は当時、お礼すらまともに言えませんでした。もう一度会って、しっかりと感謝の気持ちを伝えたい。それが、この番組に捜索をお願いした理由です』


 再現VTRの再生が一度終わりを告げると、生放送中のスタジオに場面が切り替わる。

 司会者とコメンテーター、ゲストなどが入り乱れてVTRの感想を言い合うタイミングになって。

 氷室は、ぐつぐつと煮立つ鍋の音を聞くことで我に返った。

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