逆切れアラサー女
「観光する場所なんて、海くらいしかないぞ」
「いいじゃん、海。俺、サーフィンもやるから」
「スケートボードだけではないのか」
「まぁね。ウェットスーツ着れば一年中楽しめるし、俺は好きだな。しろゆき先生って一軒家に住んでんの?俺も一緒に住んでいい?」
「どうしてそうなる。1DKに男二人で住むようなスペースはない」
「ちぇっ。桔梗にしろゆき先生の弱み、横流ししてやろうと思ったのに」
さり気なく双子の姉に、氷室の情報を流そうとしないでほしい。
ふてくされる吉更の表情は、男性らしく成長しても桔梗そっくりだ。
氷室は明らかに体格からして男性としか思えない吉更へ、疑いの眼差しを向けた。
「姉と入れ替わっていないだろうな」
「しろゆき先生、どんだけ桔梗が怖いんだよ。俺と桔梗、身体つきがもう全然違うじゃん。入れ替わりなんて無理」
「裏声使えば桔梗の声、出せなくはないでしょ」
「俺は出せるけど、桔梗は低い声出ねぇもん。昔みたいに頻繁にとは行かねーよ。それに、俺だけ桔梗の代わりやってもメリットねーし」
吉更が桔梗と入れ替わる際は、お互いのメリットを熟考していたらしい。
吉更が桔梗にはなれるが、桔梗が吉更になれない以上、彼が姉のふりをすることはない。
はっきりと氷室へ伝えたことにより、警戒心が薄れる──などと都合のいい展開になるはずもなく。
氷室はいつ何が起こってもいいように、適度な緊張感を持ったまま吉更と焔華を見つめていた。
「あのさ、俺。しろゆき先生に会ったら聞きたいことがあったんだけど」
「何だ」
「どうして無視したんだよ。あいつライブがあるたびに、しろゆき先生の家に関係者チケットを送っていたのに」
「俺だって毎回休みが取れるわけではない」
「しろゆき先生は6年前からずっとここの病院で働いているって聞いたぞ。東京の住所って実家?中身すら見ていなかったんだろ」
吉更は的確に氷室の行動を言い当てると、険しい表情をした。
桔梗が誰かを怒鳴りつけるような姿は見たことなかったが、弟の吉更は怒りの沸点が低い。
桔梗と一緒にいる吉更は姉に対して、ぶっきらぼうな態度ばかり取っていたが、なんだかんだで姉のことを大切に思っているのだろう。
(こいつらは全面的に桔梗の味方だ。どんな態度をとっても角が立つ)
焔華と吉更は、都合のいい桔梗の言葉だけを聞いてきた。
氷室に恋い焦がれる桔梗の態度だけを見て、こうして遠路はるばる氷室へ会いに来て、文句を言いに来たのだろう。
氷室が桔梗の思いに答えることのできない理由があると知れば、大人しく引き下がってくれるだろうか。
(微妙な所だな)
氷室はこの場をどうやって切り抜けようかと思考を巡らせながら、吉更と会話を続ける。
「桔梗はしろゆき先生のことが好きだって、わかっているのに。何で受け入れてやらないんだよ。あいつは金持っているし、若いし、悪い所は性格くらいしかないだろ」
「性格悪いって、女を選ぶ上で一番最悪だろうが」
「金よし容姿よし、天使みたいな性格の女だったら、しろゆき先生は桔梗のこと好きになるわけ?」
「そもそも天使のような性格の女って、何だよ。一体どんな女を思い浮かべているんだ」
吉更と焔華は声を合わせ、氷室の呆れ声に返答を返す。
二人の言う天使のような性格の女とは、「悪魔のような女と真逆の存在」だと告げて来た。
嘘つきでずる賢く、他人を蹴落とすことしか考えていない女とは真逆の──純粋無垢で穢れを知らない性格の女に、桔梗が生まれ変わったのならば。
(俺があの女を遠ざけるのは、性格が好みではないからだと考えているのか……)
氷室は深いため息をつくと、本人には言えない残酷な本音を口にする。
「世間一般の男が欲しがる完璧な女に興味はない。俺が愛する女は、この世界でたった一人だけだ」
「……誰なのよ、その女は。うちの桔梗よりも可愛くて金持ちで性格がいいわけ?」
桔梗は焔華の娘や妹ではないはずだが──。
面倒を見ているうちに、すっかり保護者としての立ち位置が定着しているらしい。
アイドルでもなければ、芸能人でもない。
一般女性にしては容姿は整っているかもしれないが。
今この場に美月がいたとして、焔華や吉更が美月を目にすれば。
きっと「なんでこんなおばさんのことが桔梗よりも好きなのか」と首を傾げるだろう。
6年もの時間は、簡単には取り返せない程に長い時間だ。
26歳だった氷室も32歳となり、美月は生きていれば35歳になる。
焔華の年齢がいくつなのか氷室は知らないが、20歳になったばかりの双子からしてみれば、充分おばさんの分類に入るはずだ。
「愛知桔梗は、俺が愛する女には絶対になれない。もう、十分青春を無駄にしただろう。子どもを産む喜びさえも無駄にする前に、叶わぬ恋などするのはやめろとあいつに言っておいてくれ」
「ちょっと!その言葉は聞き捨てならないわ!女は子どもを産む道具じゃないんだけど!?」
氷室はわざと怒らせるようなことを言って二人を追い出そうとしたのだが、焔華は氷室が想定していた部分ではない場所で怒り狂った。
「勝手に女の幸せを決めんな!愛する人のことを考えるだけで、幸せな女だっているのよ……!」
ダン、と。
履いているハイヒールの靴を勢いよくテーブルの足に叩きつけた彼女は、目に涙を潤ませて。
氷室を鬼の形相で睨みつけた。
この様子には吉更も驚いているようで、焔華にどんな言葉を掛けてやればいいのかと困惑している。
「あんたは自分のことしか考えてない!どうせ、好きでもない女に言い寄られても気持ち悪いだけとか思っているんでしょ!?」
「焔華さん?」
「大好きな人にある日突然お前は恋愛対象外だって言われて、他の女といちゃつく姿を見るためになった挙げ句苦しむ女の気持ちなんて、あんたには一生理解できないでしょうね!」
「焔華さん、何言ってんだよ。落ち着けって」
「あんたがあの子の気持ちに答えるつもりがなくたって、あの子があんたに向ける好意を否定するようなことは許さないわ!」
一体何の権限があって氷室に説教のような話をしてくるのだろう。
話を聞いていた吉更は堪え切れずに涙を流す焔華を止めようとするが、焔華は止まらない。
「はじめてあんたとあの子に会った時から、こうなるんじゃないかと危惧していたのよ……!あの子にはあたしと同じ思いだけはさせたくなかった!なのに……。あんたはまだ夢を見ている。現実を見なさいよ!あんたと元カノが復縁するなんてありえない!」
「それを決めるのはお前じゃないだろ」
「本気で元カノと復縁できると思っているなら、イカれているわ」
「イカれてんのはどっちだよ……更年期か」
「ふざけんな!」
焔華は呆れ顔の氷室を視界に捉えると、顔を赤くして診療所から出て行ってしまった。
氷室との温度差に、恥ずかしくなってしまったのだろうか。
焔華を止めようとしていた吉更は、彼女の背中と椅子に座る氷室を交互に見つめる。
どうやら、普段なかなか面と向かって話ができない氷室と話をするため、この場に残るらしい。
「しろゆき先生は全面的に俺があいつの味方しているんだと勘違いしてたろ。焔華さんの前ではその方が都合良かったからそうしただけで、俺は別にどっちでもいい。しろゆき先生が桔梗と結婚しても、しなくても」
このまま焔華を追いかけて吉更も診療所を出ていくと思っていた氷室は、見るからに落胆している。
吉更の言葉を話半分に聞いていた氷室は、桔梗と氷室が必ずしも結ばれる必要はないのだと告げた吉更の言葉を耳にして、意識を切り替えた。
「俺はしろゆき先生のこと、嫌いじゃなかった。俺とあいつのこと助けてくれたし。しろゆき先生なら、あいつのこと幸せにしてくれそうだなと思ってたよ。でも──」
はじめて出会ったときから氷室を警戒しているように見えた吉更は、どうやら信頼をしていてくれたようだ。
天門総合病院の件とライブ中ステージから落ちた桔梗を助けたことでポイントを稼いだからだろうか。
結局稼いだポイントは、どんどんと減ってしまっているようだが。
「焔華さんを泣かしたのは許さない」
「……そうかよ」
許さないと言われても、氷室にはどうしようもない。
恨むなら勝手に恨んでくれとしか言いようがないのだ。誰に好かれようが、嫌われようが氷室はどうでもいい。
氷室が愛を返すのは、美月だけなのだから。
(どいつもこいつも好き放題言いやがって……。俺は無料のサウンドバッグじゃねぇぞ)
吉更の背中を見送った氷室は、椅子の背もたれに背中を預ける。
(もう何も考えたくない……)
ゆっくりと目を瞑った氷室は、意識を手放した。




