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6年後の情報提供

 氷室がそのメールの存在を思い出したのは、桔梗がアイドルを卒業し――。

 モデル・女優・歌手として活躍する、マルチタレントとして有名になり始めた頃だった。

 10月21日の月曜日。


(今日も一週間が始まる)


 氷室が気だるい身体を引き摺るように診療所へ姿を見せれば、先に診療所で準備を勧めていた看護服姿の那須宮(なすみや)が叫ぶ。


「し、白雪(しらゆき)先生!昨日の特番っ。芸能人のもう一度会いたい!」

「何だそれは」


 那須宮は番組改変の時期に、不定期で日曜の20時から放送されるドキュメンタリー番組「芸能人のもう一度会いたい!」を見たか氷室に聞いてきた。

 入院設備のない、小さな診療所で働くようになってから。

 当番医として救急外来を任されることさえなければ、診療時間通りのシフトで自宅に戻れるようになってきてはいる。


 氷室はテレビを見る時間が増えたはずなのだが──。


 桔梗は大人気のマルチタレントだ。

 テレビをつけて面白い番組がないかとチャンネルを回していると、あどけない少女から大人の女性に変貌(へんぼう)()げた桔梗の姿を目にする機会が多くなっている。

 桔梗の姿を見ると、息抜きのつもりが返ってストレスになるので、氷室は自宅でテレビ番組を見ようとは思わなかった。


「あ、あの……。白雪先生、その番組で探されています……」


 氷室が番組を見ていないと知った那須宮は、絶望した様子でテレビ画面を撮影した画像を氷室に見せる。


『Imitation Queen元メンバー、愛知桔梗のもう一度会いたい人。白雪氷室さんの情報提供を頂ける方はこちらの番号にご連絡をお願い致します。情報の聞き取りをしに、愛知桔梗があなたへ会いに行くかもしれません!』


 氷室と愛知桔梗の名前と共に、連絡先のフリーダイヤルが掲載されている。

 那須宮から情報提供を呼び掛けられている画像を見る羽目になった氷室は頭を抱えた。


(あのメールは、そういうことか……)


 実家に送付されて来た、芸能事務所からの手紙を開封せず、妹に受け取りを任せていたツケが回って来たのかもしれない。

 アイドルは恋愛禁止だが、芸能人は恋愛を禁止されているわけではなかった。

 当然不倫や浮気など道徳に反することをしたことが分かれば週刊誌にすっぱ抜かれ、非難されることはある。


 しかし一般男性との結婚発表などでは、祝福されることの方が多いように思う。


 氷室が桔梗と交流を断つのなら、興信所でもなんでも使って氷室との縁を手繰り寄せると発言していた桔梗は、本気で再会を果たし、氷室と添い遂げるつもりなのだろう。


 6年経とうが、10年経とうが。


 面と向かって美月に拒絶されたとしても──氷室は、美月を愛し続ける。

 それこそ、死ぬまで。

 氷室は、自身の気持ちが変わることはないと信じていた。


「元Imitation Queenの愛知桔梗ちゃんって……あ、天門総合病院に入院していた……患者さん、ですよね……?」

「……そうだな」

「……白雪先生を訪ねて、ここまで来るんでしょうか……?」


 氷室が沖縄の診療所で働いていることは、妹の鈴瑚さえも知らない。

 ただ、氷室は沖縄で6年近く一つの診療所で内科医として働いてきたのだ。

 当然この診療所にやってくる近隣住民には顔が割れている。

 患者たちが氷室のプライベートに関してそっとしておいてくれたなら、本人がこの場にやってくることはないが──たった一人でも芸能人に会ってみたいと欲を出す人間がいれば、氷室がこの診療所で働いていることが番組から桔梗へ伝えられることだろう。


「誰かが番組に、情報提供をすればな」

「ひええ……っ。ゆ、有名人ですよね……。今日の診療、大丈夫でしょうか……テレビで氷室先生が探されていることを報告しに、患者さんではない方までやってきててんやわんやになるんじゃ……?」

「そうなるなら、もうそうなっているだろ」

「だ、大丈夫ですよね……?」


 大丈夫かどうかは、氷室に聞かれてもわかるはずなどない。


 心配性の那須宮に「なるようにしかならない。仕事に集中しろよ」と声を掛けた氷室に、いっぱいいっぱいな様子の返事が返ってくる。

 先が思いやられると診療開始前に頭を抱えた氷室は、診療開始前時刻を過ぎてからも診療室で頭を抱える羽目になるとは思わなかった。


「あっ!ひむろせんせー!ききょーちゃんに探されているんでしょ!?あたし、お電話したい!お電話したら、ききょーちゃんが会いに来てくれるんだって!」

「こら!やめなさい!」


 愛知桔梗のファンである、喘息の症状で苦しむ小学生の子どもが、氷室に無邪気な声を上げる。

 付き添いの保護者は慌てて失礼な態度を取るなと子どもを叱りつけたが、少女はあっけらかんとしていた。

 このあどけない少女を皮切りに、診療室へ顔を出す患者の8割から桔梗との関係を根掘り葉掘り質問された氷室が、診療をすっぽかして逃げたくなったのは無理もないことだ。

 氷室をこの小さな診療所に雇い入れてくれた恩師は、すでに高齢で診療には(たずさ)わっていない。

 氷室が逃げ出せば、この診療所で診療してくれる医者の代わりなどいないのだ。

 氷室が午後の診療を終える頃には、だんだん覇気(はき)がなくなっていき──ついにはげっそりとした顔で、地を這うような声を出すようになってしまった。


「ひむろせんせいこわいぃい……っ!」


 診療終了時間ギリギリに飛び込んできた体調を崩した子どもが、氷室の覇気(はき)がなく、げっそりとした表情を見て泣き出す。

 氷室は最後の力を振り絞り作り笑いを浮かべると、どうにか無事に診療を終えた。


「あー…………やっと終わった……」


 誰も見ていないことをいいことに、氷室は診療室の窓ガラスをカラカラと左に引くと、白衣のポケットから煙草を取り出す。


 上半身を外に乗り出して煙草を口に(くわ)え、ライターで火をつけた氷室は、口に(くわ)えた煙草の煙を吐き出した。


(ほとぼりが冷めるまでこんなやり取りを何日も続けるなんざ、絶対無理だ……)


 総合病院に勤務していれば、今頃氷室はクビになっているだろう。

 個人経営の小さな診療所だからこそ、どうにか回っているだけだ。


(テレビの力ってすげぇな……)


 当然、一般人がSNSやテレビで呼びかけた所で、大した情報は得られないだろう。

 元国民的アイドルが情報提供のお礼に、情報提供者へ会いに行くかもしれないと事前に告知しているからこそ。氷室のことを知る患者たちは、情報提供をしてもいいかとさりげなく氷室に聞いてくるのだ。


(テレビの力を使って、芸能人特権で探さなきゃいけねえのは美月だろ)


 氷室の心が美月のものであることを、桔梗もよく理解している。

 氷室の心を桔梗が得るには、まず氷室へ美月を会わせ、双方合意の上で破局する必要があった。

 新しい恋を氷室が(はぐく)む可能性は、美月との恋を精算してからしかありえない。

 美月との恋を氷室が諦めるつもりなどない時点で、美月を探し出して氷室に会わせたとしても。


 桔梗が氷室と交際する可能性は限りなく低いのだが……。氷室にとって美月は愛する人。

 桔梗にとって美月は邪魔な存在で、美月は氷室に手紙で別れを告げた人なのだろう。


(……あいつがテレビの力を使って俺へ会いに来るのは、避けようがない)


 問題は氷室へ会いに来た桔梗のアプローチをどう断り、二度と会いに来ないように関係を断つかを考えるだけだ。


(一回り年下のガキを、傷つけないように遠ざけるなんざ無理だろ……)


 どうして俺がしなくてもいい苦労をしなければ行けないのかと、氷室が煙草を吸い終えた時だった。

 控えめなノックの音と共に、ドアからちょこんと顔を出して怯えた様子の那須宮と目が合ったのは。


「どうした」

「あ、あの……。テレビ局の方から、白雪先生宛にお電話が入っています……」


 携帯灰皿を使って煙草を消した氷室は、深いため息を吐いて窓を閉めると、覚悟を決めて電話に出た。

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