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公演前の約束とライブ

『氷室先生、久しぶり』


 氷室はスマートフォンから着信音が聞こえてきたことだけを確認して、誰から着信が掛かってきているかを確認せずに電話に出た結果――愛知姉弟の声を聞く羽目になった。

 話し方からして、おそらく姉の方だろう。

 氷室はいつ美月から連絡が掛かってきてもいいように、番号を変更するつもりはなかった。

 吉更のスマートフォンには氷室の番号が登録されているので、桔梗は電話をしてきたのだろう。


『私、氷室先生のお陰でアイドルとして活動できるようになったの。私がアイドルとして輝く姿、生で見てほしい』


 桔梗は半年後に行われるドームツアーに、氷室を招待したいと言ってきた。

 本来、関係者チケットは親族や友人などを招待する為に使用するものだが──桔梗は両親とあまり仲が良くない。

 チケットが余っているなら、氷室にアイドルとしての桔梗を見せたいと言うのだ。


『半年前なら、氷室先生の時間。予約できるでしょ』


 桔梗は有無を言わせぬ声音で氷室に語り掛けた。

 診療所は原則、日曜休みだ。

 当番医として診療所を開けることがない限り、氷室に予定はない。

 問題は沖縄と東京を往復すると、月曜日の午前中までに帰ってこられるかどうかだけだろうか。


「土曜は無理だぞ。仕事がある」

『日曜日の16時開場、17時公演。先生、難しい?』


 桔梗は本来であれば、天門総合病院の生体ドナーとして天門紗雪に肝臓を移植された後、口封じに殺害されるか、レシピエントとして移植待ちをしている患者に配布される運命にあった。

 寿命を迎えるまで生き続ける選択などなかった桔梗は、現在もImitation Queenのアイドルとして光り輝いている。

 美月に拒絶され、弱る氷室を慰めようとした桔梗に酷い態度を取ったことは、氷室の心に引っかかっていた。


(一度くらいは桔梗の願いを叶えてやってもいいか)


 氷室は桔梗の願いを叶えてやることにした。


「お前のお願いを聞くのは、これが最初で最後だ」

『氷室先生、来てくれるの?』

「……3日前にチケットを郵送してくれたら、なんとかする」

『絶対来て!私、氷室先生が来てくれなかったら、興信所でもなんでも使って、氷室先生の居場所を突き止める。押しかけるから。絶対よ』


 桔梗は明るい声でストーカー宣言をすると、ご機嫌な様子で通話を終える。


(早まったか……?)


 沖縄まで追いかけてきた桔梗の相手をするくらいなら、東京の実家を教えチケットを送付させるべきだ。

 一回だけ彼女の姿を見に行く方が、よほど精神的に楽だろう。


(俺は間違ってなどいない)


 氷室は自身に言い聞かせると、半年後に15歳となったばかりの桔梗と顔を合わせることになった。


 *


 顔を合わせると言っても、ステージ上と観客席だ。

 物理的な距離がある以上、言葉を交わせるわけもなく……。

 ステージの上からでは、氷室が観客席にきちんと座っているかすら確認できるはずもないと思っていた。


「氷室先生」


 そう、席に着き、隣にいる愛知吉更が愛知桔梗であることに気づくまでは。

 公演開始まで後10分もない短い時間まで、氷室と言葉を交わすためだけに吉更として観客席で氷室を待っているなど、どうかしている。

 氷室は人差し指を口元に当てた、吉更のふりをした桔梗深いため息を溢すと、ざわつく会場内にかき消えそうな声で彼女に問いかけた。


「そこまでして俺と話がしたいのか……」

「氷室先生、今日は来てくれてありがとう。どうしても自分の口で伝えたかったの。私が私の姿で伝えることはできないけど……。氷室先生なら、私ときーちゃんの違い、すぐにわかると思っていた。氷室先生は私のこと、大好きだもの」


 氷室は桔梗を大好きになったことなど一度もないのだが。

 ニコニコと笑顔の桔梗は、外見こそ吉更のふりをしている。


(騒ぎになったらどうするつもりだ)


 口調まで吉更のふりをするつもりはないらしい桔梗を冷ややかな瞳で見つめた氷室は、生きた心地のしない時間を過ごす。


「焔華さんから、5分前に楽屋へ戻れば、氷室先生のこと待っていてもいいと言ってもらえたの。氷室先生が10分前に来てくれて良かった。もう二度と、お話できないかもしれないと思ったから……」


 桔梗も肌で感じていたのだろう。

 天門総合病院に、氷室は美月の行方を探るためにやってきた。

 事件が解決すれば。

 氷室があの病院で働く理由もなければ、桔梗も入院する理由がない。

 二人は別々の道を歩き──二度と交わることなどないのだと。


「未成年の間は、無理に先生を求めようとはしない」

「……一生、俺を求めないでくれないか」

「それは無理。先生が美月先生を大好きなように、私も先生のことが大好きだから」


 桔梗は氷室が好きで、氷室は美月が好き。

 美月も氷室を愛していたはずだが──手紙一枚で関係を終えようとしているせいで、三角形は一方通行の線になってしまった。

 桔梗は美月が、氷室に残した手紙の文章を確認している。

 二人が交際しているから、横恋慕(よこれんぼ)などするなと強く言っても聞かないだろう。


「年相応の恋をしろ」

「嫌。私が大好きな人は氷室先生だけだもの。氷室先生以外の男は、恋愛対象ではない」

「お前な……」

「あとは氷室先生が、周りの目を気にせず私の手を取ればいいだけ。美月先生は、振ったつもりでいるでしょ。美月先生とは交際していないと現実を受け入れるか、美月先生に思いを残したまま私を浮気相手として認めるか……腹を(くく)ればいいだけ」


 桔梗はなんてことのないように言うが、そう簡単には行かないのだ。

 美月と過ごした思い出や気持ちを、簡単に切り替えられたならば。

 氷室は今頃他の女に手を出していただろう。

 簡単には気持ちを切り替えられないからこそ、恋は難しいのだ。


「大人の恋愛は、一筋縄ではいかないからな」

「──美月先生へ依存している気持ちを、愛だと勘違いしているくせに」


 桔梗は時折、本質を突くような発言をする。

 その発言は、早く大人になりたいと願うからこその発言なのだろうか。

 相手を選ばないと、指摘した人間に逆上され命を落としかねない危険なやり取りに、氷室は寿命が縮まった。


「私が20歳になったら、一緒に歩む将来。考えて欲しいの」

「アイドルは恋愛禁止だろ」

「……きちんとけじめはつけるもの」


 20歳になったらアイドルをやめるつもりなのか。

 氷室は桔梗の発言に驚きを隠せない。

 夢にまで見たアイドルになったはずなのに、氷室を手に入れるためにあっさりとアイドルをやめると桔梗が発言するとは思わなかったのだ。


(本気で俺のことが好きなのかよ、こいつ)


 氷室は学生時代、自身を将来的に高給取りになる可能性がある金の卵を生むメンドリだと認識していたが――それも過去の栄光だ。

 天門総合病院で働いた経歴を持つ氷室は、まず真っ当な病院で働けない。

 あの病院の違法な医療行為に手を染めた人間と、後ろ指を差されるからだ。

 高給取り以外なんの取り柄もない氷室は、桔梗が憧れ愛するような男ではない。


(早く諦めればいいものを……)


 桔梗の入れ込みようは異常だ。

 神に願った所で。

 桔梗が氷室を愛するのをやめるかどうかは、なんとも言えない所だった。


「先生、考えておいて。私との将来。どんな手段を使ってでも。私は20歳になったら、氷室先生を迎えに行く」


 氷室の目を見てしっかりと意志を告げた桔梗は、早くしないと焔華さんに怒られると慌ただしく関係者席を後にした。


「しろゆき先生」


 それから約3分程度経っただろうか。

 氷室のことを相変わらず間違った名字で呼ぶ双子の弟、吉更が先程まで桔梗の座っていた席へ腰を下ろした。

 公演開始まで後2分もない状態で何を言うのかと思えば、吉更は氷室の手にペンライトを握らせ、耳元で囁いた。


「途中で帰ろうとしないでください。桔梗のやつ、今日は張り切っているんで」


 どうやら、公演が無事に終わり吉更へペンライトを返すまでは黙って座っていると伝えたかったらしい。

 氷室はペンライトを意味なく点灯させてからカラーリングの順番を確かめると、吉更に習い、紫色に変化させて膝の上に置いた。


『Imitation Queen ドームツアーよ!あんたら、最初から全力で飛ばしてい行けるわね!?』


 スピーカーから、神奈川焔華の馬鹿でかい声が聞こえてくる。

 その声に負けないように、会場内の観客席から、地鳴りのような声が聞こえた瞬間。

 会場内の照明は非常誘導灯以外消され、ペンライトの明かりが頼りの真っ暗な空間が出来上がる。

 まるで映画館にいるかのようだ。

 観客席は、真っ赤なペンライトの光で埋め尽くされた。


「1期生、最年長!」


 ステージ上部に取り付けられた巨大モニターに、映像が映し出される。

 グループ名のImitation Queenを皮切りに、ローマ字表記で次々映像に合わせてメンバーが紹介されていけば、観客達が大声でコールアンドレスポンスを始めた。


『年齢(いじ)んのやめなさいよ!』

「ノースキャンダル、プロデューサー!焔のように神奈川焔華!おー、おー、おおーおー!」


 1期生の名がコールされると、姿こそ見えないがマイクを通した焔華の怒鳴り声が聞こえる。

 氷室はImitation Queenの成り立ちを知らないが、長い歴史の中で新規加入や卒業を繰り返しているからだろうか。

 加入順に次々とメンバーの名前が表示されるたびに、観客が地鳴りのような声をあげる。

 関係者席からコールが聞こえてくることはほとんどなく、静かに観覧している人間の方が多くて安心するが、アリーナにでも座ることになれば気分が悪くなりそうだと思った。


「4期生」

『はーい!』

「スポットライトが当たれば凄いんです!鏡写しに最強アイドル!ドジっ子かわいい宇都宮(うつのみや)鏡花(きょうか)


 1期がコールされた際は焔華しか呼ばれていなかったが、本来であれば在籍している人数分の返事が聞こえるらしい。

 2期生と3期生は2人ずつ、4期生が呼ばれた直後。

 5期生の桔梗が、マイクに向かって力いっぱい叫んだ。


「5期生」

『ラストー!』

「ニューフェイスっ。最年少!愛するみたいに包み込む、我らが天使愛知桔梗!」


 両親に悪魔と称されていたはずの桔梗が、ファンから天使と称されている姿を是非とも氷室は愛知夫妻に見せてやりたかった。

 愛知夫妻が冷たくあしらっていた娘は、ファンから天使と称されて愛されている。

 これはとても素晴らしいことだ。

 この空間で輝くことを、氷室を追い求める余り自ら捨てようとするなど考えられない。

 ステージで輝く桔梗の姿を瞳に映し出した氷室は、その時が来たらどう桔梗を引き止めるべきかを全力で考えなければならなくなってしまった。


「乗り越えるしかない この道を……」


 ステージ上に、7人のアイドルが集合する。


 スポットライトがステージの中央に集まるアイドルたちを映し出し――本格的に、ライブが始まった。

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