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新天地へ(前半別視点)

 廃墟で抱き合う成人男性と少女の姿を、スマートフォンの小さな画面を通して見ていた看護師は、ヘッドセットマイクに小さな声を乗せる。


「本当に、これでよかったのですか……?」


 看護師の耳につけたイヤホンからは、妖艶(ようえん)な成人女性の声が聞こえた。

 幼い少女と成人男性のラブシーンを見てもあっけらかんとしているその声は、とてもダメージを受けているようには聞こえない。

 看護師が話している相手との会話を聞けば、一体何を心配しているのかと思うだろう。

 それほどに、女性の声は明るかった。


「わ、わたしは……。こ、こんなの。あ、あんまり……だと思います……っ。例の件がなければ、あなたは」


 看護師の言葉に、女性は看護師がそれ以上二の句を紡げないような言葉を呟いた。

 他人の幸せを、他人の物差しで決めるべきではない。

 それは看護師もよく理解していた。

 幸せに生活している人にだって、見えない所で不幸な生活を強いられていることだってある。

 人生の正解など、だれにもわからないのだ。


 ──それでも。


 看護師は、通話相手の女性が選択肢を間違えていると声を大にして伝え続けたい。

 彼女は知っているからだ。

 通話し相手の女性がどれほど彼を愛し、どれほどの彼のものになることを夢見て日々生活していたのかを。


「あのような言葉を受けて……!あなたの思いを忘れ、次の女に走るような人ではありません!」


 看護師の絶叫に、電話越しの女性は『お手並み拝見と行きましょうか』と茶化して電話を切った。


「本当に、このままでいいんですか……。今ならまだ、間に合うのに……」


 ヘッドセットを耳から外し、鞄の中に入れた看護師は荷物を纏めて病院を後にする。

 もう二度と、この病院に足を踏み入れることはないからだ。


「……後で後悔しても、知りませんからね。美月(みづき)さん」


 看護師の呟く声は、誰にも聞かれることなく虚空に消えた。


 *


『天門総合病院で10年間違法な臓器売買が行われていたとして、病院関係者の約8割、そして指定暴力団名名無組の関係者が逮捕され、病院は大混乱に陥っています』


 院長が逮捕された当日から、報道陣達はお祭り騒ぎだった。

 連日正門、裏門問わず報道関係者が押しかけひっちゃかめっちゃか。

 氷室が思っている以上に悪事へ関与が疑われる医療関係者が山ほど任意同行を受け、急ピッチで重篤(じゅうとく)な入院患者から順番に、移行先の病院を探していると聞く。


「この病院は……大罪こそ犯しましたが、父のものです。一人でも多くの入院患者を救うためにも、わたしの指示に従ってください」


 病院の中枢(ちゅうすう)(にな)う病院関係者がごっそりと逮捕されたり、事情を聞かれているせいでまともに機能できなくなった病院側の司令塔を買って出たのは、院長の娘である天門紗雪だった。

 18歳とはとても思えない彼女は、大人顔負けの堂々たる指示を事件に関わりのない医師や看護師に行い、瞬く間に病院の混乱を解消させる。

 事件に関わりのない医師や看護師達はすっかり天門紗雪を盲信(もうしん)し「次期院長に」など祭り上げようとしているようだが、臓器移植をしない限り彼女がこの世界で生き続けるのは難しい。


 移植手術が成功し、紗雪が医者とならない限りは。


 天門総合病院を継いだ所で、前代未聞(ぜんだいみもん)の事件が起きた現場であることは何十年経っても風化することはないだろう。

 10年間に及び、病院の院長が臓器移植を必要としている患者を助けるために。

 健康な身体を持つ少年少女を切り刻んでいたのだ。

 よくて無期懲役、死刑ですらも(あがな)える罪だとは到底思えない。

 これから長い時間を掛けて、前代未聞の事件が前例として語り継がれるまで──この事件は様々な場所で、議論が繰り返されるのだろう。


「お兄様!この手紙は確かにお姉様の文字かもしれませんが、まさか諦めるなどとは言いませんよね!?」


 氷室は妹の鈴瑚(りんご)に、事の顛末(てんまつ)を話した。

 さすがに桔梗と抱き合ったことまでは話していないが──鈴瑚は美月からの手紙を氷室から奪うと、パンパン叩いて兄の目を覚まさせようとしてくる。


「諦めるわけないだろ。美月が死のうが、俺と会うことを拒絶していたとしても。俺はあいつを愛し続ける」

「……わたくしはお兄様が一途な人間だと信じています。美月お姉様の恋心を捨て去ったその時は、わたくしとお姉様への裏切りと(とら)えます。いいですね」

「ああ……」


 妹の鈴瑚を裏切ると後が怖い。

 氷室が生返事で力なく返事をすれば、鈴瑚はこれからのことを聞いて来た。


「勢いで辞表、叩きつけてきたと聞きました。どうするのですか、これから」

「お前は俺がいなくたって暮らせるよな」

「当然です。私も、もう少しで花の女子大学生ですよ。子ども扱いしないでください」

「恩師の所に行く。あの病院で勤めていたと経歴が残っている時点で、まともな病院からは雇って貰えないだろう。引越し先が決まったら連絡する」

「お兄様。逃げるように実家を出なくたっていいではありませんか」

「追われているんだよ」

「暴力団にですか。恐ろしい場所に妹を一人残して行かないでください!迷惑です!」


 氷室の相手は、暴力団関係者よりも厄介な相手だ。

 国民的アイドルの愛知桔梗は、どんな手を使ってでも氷室と距離を縮めようとしてくるだろう。

 実家の住所など、どこから漏れてもおかしくはない。

 氷室はさっさと、恩師の元へ向かうことにした。


「やあ、氷室くん。元気だったかい」


 氷室の恩師は、人手不足が囁かれる沖縄の郊外(こうがい)で開業医をしていた。

 小さな内科を専門とする診療所は夫婦経営で、医者と看護師、事務員がそれぞれ1人ずつしかいない。

 小さな診療所で働くのを嫌がる人間は多いが、氷室は病院の規模にこだわりなどない。

 人一人が生活できる程度の金銭さえ得られたら、それだけで満足だった。


「し、白雪先生……!海は、きれい、ですけど……!すっごく田舎じゃないですかあ……!」


 氷室が引っ越しを終え、病院をやめた1ヶ月後。

 氷室は看護師の那須宮へ連絡し、仕事場に困っている彼女を沖縄に呼び出した。


「働けるだけありがたいと思え」

「そんなぁ……っ!」


 都会の生活に慣れすぎている那須宮は、娯楽らしい娯楽といえばマリンスポーツを楽しむことくらいしかない田舎暮らしに適応できるか不安そうだ。

 見た目からしてあまり派手な生活をしているようには見えない那須宮は、きっと問題なくこの診療所での暮らしに適応(てきおう)することだろう。


「いつ病院、辞めたんだ」

「院長が逮捕されたことが報道されてすぐ、でしょうか……。わたしの場合は兄が逮捕されたことが大々的に報道されると、面倒なことになるので……」

「ああ……名字が同じ暴力団員が逮捕されていたな……」


 那須宮の兄らしき人物は、院長と関連付けられ、顔写真付きで全国に犯罪者として顔を晒されていた。

 放送された顔写真からは似ている部分が見当たらなかったが、兄と同一視されたくない那須宮は、メイクで印象を変えているらしい。


「わ、わたし……っ。素顔は目元がキツくて、あんまり可愛くないんですよ……っ。い、今だって、見られる顔ではないですけど……っ」


 那須宮はどこにでもいる普通の女性だ。

 可もなく不可もなくと言ったような容姿で、(ども)るようなことがなければ、あまり印象にも残らない。

 あまり人と会話するのが得意ではないせいで、悪目立ちしているだけなのだ。


「顔なんかどうでもいいだろ」


 100人中100人が異形(いぎょう)の化け物と称する(みにく)い姿なら思うこともあるだろうが、那須宮の顔たちが整っている。

 顔達が整っているかどうかなど、氷室にとっては同じ職場で仕事をする上で、どうでも良かった。

 氷室の言葉を受けた那須宮は、ぽっと頬を赤らめるとあわあわと恥ずかしそうに目を白黒させる。


「し、白雪先生って……たらし、ですか……?」

「知るかよ」


 これ以上那須宮と話をしていると面倒なことになると考えた氷室は、ぶっきらぼうに話を切り上げるとその場を去った。

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