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別れの手紙

 二の句を紡げない桔梗の代わりに。

 声を上げたのは、成り行きを見守っていた焔華だ。

 彼女は眉を釣り上げ、氷室を非難した。


「ちょっと。チビにその態度はないんじゃないの?あんたは大人なんだから、子どもが傷つかないようもっとスマートに断りなさいよ」

「騒ぎを聞きつけた報道関係者が押しかけてくる。お前らも見つかる前に戻れ」

「ちょっと!呼びつけたのはあんたでしょ!?どこに行くのよ!?」

「急いで行かなければならない所がある」

「はぁ……?タクシー拾うのだって時間掛かるでしょうが!」


 総合病院にはタクシーの停留所こそあるが、原則送迎を頼まなければ捕まえられない。

 最低でも、20分から30分程度は掛かるだろう。

 氷室は真正面からタクシーを拾うつもりはない。

 走りながら流しのタクシーを拾えれば万々歳(ばんばんざい)

 拾えなければ駅まで走り、タクシーを拾うつもりだった。


「焔華さん。私も先生と行く」

「着いてくるな」

「嫌。絶対一緒にいる。先生が焦っているなら、美月先生のことでしょ。将来の伴侶として、美月先生が生きているか死んでいるかを確認した先生の姿を側で見守るのも、私の仕事」


 桔梗は氷室の腕に(すが)りつき、離されないように爪を立てた。

 腕に食い込んだ爪の痛みが、氷室を少しだけ冷静にさせる。


「……車、出してもらえるか」

「乗りかかった船だから、最後まで付き合うわ。吉更は?置き去りにしておいても問題ないわけ?」

「麻酔の効果が切れるまでは動かせない。吉更と天門紗雪は警察と信頼のおける看護師に任せておけばいいだろう」

「あ、そ。あんたがそれでいいなら、あたしは何も言わないけどね……。急ぐんでしょ?どこまで行きたいの?」


 氷室が行き先の住所を告げれば、地図アプリで場所を確認した焔華は「なんでそんな田舎に行きたがっているのよ……」と若干引いていた。

 千葉の片田舎に位置するその場所は、高速で飛ばしても片道1時間は掛かるだろう。

 腕を回して準備運動をした焔華は、桔梗と氷室が車に乗り込んだことを確認すると勢いよく車を飛ばした。


「焔華さんってなんでもできるよね。車の運転もそうだけど、面倒見がよくて……強いしかわいい。私も早く焔華さんみたいな大人の女性になりたいな」

「あたしみたいな大人になると、婚期逃すわよ」

「焔華さんにはきーちゃんがいるもの。そんなに遅くならずに結婚できるよ、きっと」

「あんたらとあたしに、いくつ年の差があると思っているのよ……」


 車内では、焔華と桔梗がガールズトークを繰り広げている。

 氷室は2人の雑談を聞き流しながら、美月と再会した時にどんな言葉を掛けるかを考えていた。


(会いたかった……今までどこに行っていたんだ……愛している……)


 どれもこれもピンと来ず、氷室は首を傾げる。

 美月と氷室の再会に相応(ふさわ)しい言葉など、あるのだろうか?

 答えのない自問自答を繰り返していた氷室は、隣に座る桔梗が心配そうに顔を覗き込んでいることに気づく。


「先生。美月先生に何かあったとしても、私は先生の側にいる」


 氷室が欲しいのは桔梗ではない。

 桔梗は氷室に、少しでも自分へ意識を向けて欲しい一心で声を掛けているのだろうが──逆効果だ。

 氷室は美月が生きていると信じている。

 悲しい結末など、訪れるはずもない。


(美月は俺に、助けに来てくれてありがとうと言うに決まっている)


 氷室が桔梗へ、言葉を返すことはなかった。

 焔華の運転する車が目的地前に停車すると、すぐにシートベルトを外して車を降りるとその建物へ走り出す。

 おとり捜査により逮捕された暴力団員の証言(いわ)く、美月は今にも崩れ落ちそうな廃墟(はいきょ)にいるらしい。

 窓ガラスは割れ、劣悪(れつあく)な環境に美月が監禁されていたのかと思うだけでも(はらわた)が煮えくり返る。


「先生、置いて行かないで」


 廃墟の様子に尻込みをしていた氷室の元へ、桔梗がやってきた。

 桔梗は氷室の腕に纏わりつくと、勝手に脇の下から手を入れて氷室に密着して来る。

 美月が見たら浮気を疑われ、修羅場になる場面だ。

 氷室は桔梗を突き飛ばしたかったが、国民的アイドルに怪我をさせれば焔華がうるさい。

 路駐(ろちゅう)で罰則を受けるのは嫌なのか、気を利かせているのか。

 焔華は車から降りてこなかった。

 氷室は桔梗を渋々腕にまとわりつかせながら、内部をくまなく探していく。

 コンビニで購入したと思われる真新しい菓子パンやサンドイッチの包み紙などが捨てられている辺り、この場で誰かが生活してたのは間違いないようだが──どこを探しても、人の気配など見当たらない。


「くそ……っ」


 嘘の情報を掴まされたのかと氷室が壁を叩いた時だった。

 氷室の腕にまとわりついていた桔梗が、リビングに置かれたテーブルの上に、なにかがあると指差したのは。


「先生、あれ……」


 氷室は古ぼけたテーブルの上に置かれた一枚の紙を確認する。

 そこには見覚えのある筆跡(ひっせき)で、50文字にも満たない短い文章が書かれていた。


(かたき)を取ってくれてありがとう。あたしのことは忘れて。幸せになってね』


 この字は間違いなく美月のものだ。


 美月がいなくなってすぐに書かれたものならば、雨風が吹き込むこの場所に置かれた紙が文字の読める状態で置かれているわけもない。

 つい最近書いたのか、(あらかじ)め書かせたものを氷室が来る直前に置いたのか――。

 美月が文字で氷室へメッセージを残したのならば、生きていたとしても氷室と再び顔を合わせるつもりなどはない意思表示なのだろう。


「……ぁ、あ……」


 氷室は手紙を手に取ると、土で汚れた床に力なく腰を下ろした。

 腕にまとわりついていた桔梗は衣装を汚すわけには行かないのか、咄嗟(とっさ)に手を離して氷室の様子を立ったまま窺っている。


「……先生……。美月先生に捨てられたとしても……私は、ずっと先生の味方だから……」


 氷室は桔梗の声を、必死に心の中で否定していた。

 捨てられた訳では無い。

 この手紙こそ、美月が生きている証拠だ。

 美月が氷室と会うことを拒否したのは、きっと暴力団員の差金なのだろう。


(美月は脅されている。そうだ、そうに決まっている……。書かされたんだ。こんなこと、美月が言うわけが)


 氷室が頭をフル回転させ、少しでも美月に否定された気持ちを消化しようとしている中で。

 桔梗は容赦なく、氷室の心を(えぐ)るような発言をしてくる。


「美月先生は、氷室先生のことなど好きじゃなかったの。この混乱に乗じて、男の人と駆け落ちでもしているんじゃないのかな」

「……そんなわけ、ないだろ……」

「……わからないよ。人には誰しも、裏の顔がある。私や、氷室先生。美月先生にだって──」

「お前……」

「桔梗だよ。美月先生ばかり、呼び捨てで呼ぶなんてずるい」


 自分の名前を呼んでほしいと懇願(こんがん)する、桔梗の名前を呼ぶつもりなど氷室にはなかった。

 今まで通り、これからも。

 関わることがあれば姉の方、弟の方と呼べばいいだけの話だ。

 氷室はぐっと唇を噛み締め、手紙を握り締める。


「馬鹿な氷室先生。私と浮気していれば、こんなに悲しむ必要、なかったのに」


 どうしようもなく辛い悲しみを経験したとき。

 人は、込み上がる思いを抑えることなどできやしないのだ。

 氷室は美月が残したと思われる手紙の内容が涙で濡れないように。

 白衣のポケットに小さく折り畳んでしまうと、溢れ出る涙を手で拭いながら静かに涙を流す。


「早く美月先生のことなど忘れて、私を好きになってよ……」


 悪魔は氷室を優しく抱きしめ、耳元で囁く。

 末恐ろしい少女だ。

 大人の弱みにつけ込み、自らのものにしようとするそのずる賢さは、相手が氷室でなければ遺憾(いかん)なく発揮され、今頃望み通りの男を手に入れていたことだろう。

 残念ながら、美月以外を愛する気のない氷室には、心を揺れ動かすような悪魔の囁きにはなり得ない。


「私が、美月先生のこと。忘れさせてあげる……」


 氷室はなにを囁かれようが桔梗に自ら手を出すようなことはしない。

 いくつ年の差があると思っているのだ。

 14歳と26歳が深い関係になれば、犯罪に問われかねない。

 桔梗は「愛し合っていることを証明できれば無罪」だと自分を正当化してくるのだろうが──氷室は、桔梗を愛することなどないのだ。


 今までも、これからも。


「私は先生のこと、大好きよ……」


 美月が生きているにしろ、死んでいるにしろ。


『あたしを忘れて、幸せになって』


 そう書かれた手紙を残して。

 もう二度と美月が氷室の前に姿を見せることのない事実を、受け止めきれない。

 氷室を慰めようと抱きつき、背中を撫でながら告白してくる桔梗を振り払えず──痺れを切らした焔華が様子を見に来るまで。

 氷室と桔梗は、長い間2人きりで抱きしめ合っていたのだった。

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