天門総合病院臓器売買事件の終わり
「は……っ。また貴様か……」
「それが誰だか理解しているはずだ」
「生体ドナーは双子。一度失敗したとしても、やり直しの利く貴重な検体だからな。練習をしてから本番に挑むのは当然のことだろう」
「練習だと言うのならば、なぜこの場にお前の娘を連れてきた」
「野蛮な人間が、私の娘を連れ去らないようにするためだ」
この言葉を言葉通りに受け取り、言い逃れができるなど……まさか本気で思ってなどいないだろう。
おとり作戦に感づいた院長は、自分が捕まる前に移植手術を終えようとしたのだ。
移植手術を終えるには、早くとも半日以上の時間が掛かる。
手術室は病院関係者の持つIDカードを翳さなければ開かない。
病院関係者に裏切り者がいなければ、院長は今頃娘の移植手術を終えていたのだ。
冷静を装っているが、院長は何故氷室が裏切ったのかと不思議でたまらないのだろう。
氷室が美月の血縁者ならば容易に想像できるだろうが、氷室が面と向かって院長に話をしない限り、裏切りの理由などわかるはずがない。
「病院関係者は全員、お前の言うことを聞くイエスマンであるはずなのに、とでも言いたそうな顔だな」
「この病院をより良い病院にする為には、多少の反乱分子も必要だよ」
「多少の反乱分子に目を瞑るつもりならば、何故空島美月を始末した」
待ち望んでいた言葉を引き出した氷室は、院長の前で初めて美月の名前を出した。
美月の名前を聞いた院長は、氷室を物珍しいものを見るような目で見つめている。
関係性を思案しているのだろう。
「……はて、なんのことだか」
「とぼけるな……!小児科医の空島美月は、この病院で違法な臓器売買が行われていることに気づき、暴力団の男に階段から突き落とされたまま、行方不明になった!お前が美月を始末するように指示したんだろう!」
「空島……ああ、確か、そんな名前の女医が小児科医にいたような気もしないでもない……。貴様とどんな関係がある」
「俺は美月の交際相手だ……!」
氷室は低い声で唸った。警察官の藤井が口を挟む暇すらない。
凄まれた院長は顔色を変えることなく、納得したようにメスを金属製のトレイへ置いた。
カラン、と。
金属同士がぶつかり合う音がする。
「交際相手……ふむ……交際相手、か……。それは想像していなかった。貴様の目的は復讐か」
「美月の無事を確かめる。それが俺の目的だ!」
「くだらんな……」
他人からしてみれば「くだらない」の一言で片付けられることかもしれない。
夫婦ならともかく、氷室と美月は交際していただけだ。
美月がいなくなったなら、また新しい彼女を探し出せばいいとでも思っているのだろう。
氷室はどうしても、美月でなくては駄目だった。
将来を約束した、唯一無二の伴侶。
それが氷室にとっての美月だ。
その思いは、簡単に他人へ理解されては困るもの。
氷室は今にも院長に殴りかかっていくのではないかと藤井が心配するほど、頭に血が登った状態で、院長の悪行を暴露し始めた。
「お前は娘の紗雪を助けるため、練習と称して10年近く健康な身体を持つ子どもたちを入院させては、院内学級に集めて監視し、暴力団と手を組んで違法な臓器売買をしてきた!」
手術室に集まる医師や看護師達の表情が険しくなった。
10年も悪行を続けていれば、「自分たちは安全」だと勘違いしていたのだろう。
悪行に加担していると露呈した以上、彼らが無罪を主張しても受け入れられるはずもない。
「そこにいるのは愛知吉更、14歳の少年だ!未成年の臓器移植は法律で禁じられている!」
「生体ドナーとしては、そうだ。死ねばその限りではないがな……」
「そう考えたお前は、死因を病死と偽って何十人もの子どもを殺害し、レシピエントとして有効活用したつもりになっているんだろう!?お前の悪行はけして許されることではない!なぜこんなことをした……!」
院長は氷室が激昂する理由に一切心当たりがないようだ。
彼は犯罪を犯した理由を淡々と述べる。
「肝臓がんに侵され、余命幾ばくもない娘を助けるために決まっているだろう」
院長は娘を助けるついでに、臓器提供待ちをしている患者たちを救う為。
率先して子どもたちを殺したのだとはっきり口にした。
罪の意識など微塵も感じさせないその語り口に、藤井でさえも眉を顰め絶句している。
「お前には人の心がないのか!?」
「貴様も病に侵された娘を持てば、私の気持ちがわかるはずだ。私は娘を助けたい。未成年の生体ドナーや、臓器売買は禁じられているだと。知ったことか。法律が間違っているだけだ」
院長は、困っている人を助けるために人を殺した自分こそが正しいと開き直った。
「この病院では私が法律だ」とでもいいたいのだろうが、世界は天門総合病院を中心に回っているわけではない。
悪事を企み実行した人間には、いつか必ず罰が与えられる。
罰を受ける日が、たまたま今日だっただけだ。
「金を積めば助かるとわかっているならば、娘に適合する臓器を逃すわけがないだろう。肝臓を1つ娘に渡した所で死ぬわけじゃない。貴様とあの女は騒ぎ過ぎだ」
「騒ぎ過ぎだと……!?」
死ななければ何をやってもいい。
その考えは人間として生きる上で、大変危険な考え方だ。
その行いが悪行であることを理解した上で「自分が悪人だと言われないようにうまくやる」など考えるのは、自ら「私は犯罪行為をしています」と自己紹介しているようなものだろう。
私利私欲の為に他人を加害し、悪びれもなくふんぞり返っている人間へ当然の報いを受けさせたい。
それは美月と氷室が常日頃から抱いている願いでもあった。
「私はこの病院の最高権力者だぞ。私に楯突いて、医者としてこの先やっていけると本気で思っているのかね」
「思っているわけねえだろうが!美月の安全さえ確認できれば、すぐにでもやめてやるよこんなクソ病院!美月はどこだ……!」
氷室は美月の件に関わった時点で、医者としてのキャリアは諦めていた。
天門総合病院で働いていた事実は、間違いなく汚点となる。
関わりのあるなしに関わらず、白い目で見られるのは間違いない。
それでも氷室は、美月の意志を継ぎ、彼女の行方を院長に吐かせるため秘密裏に行動してきたのだ。
医者として働けなくなったとしても、美月の無事が確認できさえすれば本望だった。
「私が知るわけないだろう」
「お前が美月を階段から突き落とすように指示したんだろ!?」
「あの女を始末するように指示したのは私だが、あれはあの女を始末しなかった」
「なんだと……!?」
「あの女の居場所は、あちらに聞くといい。私の管轄ではないからな」
院長は藤井を指差すと、素直に両手を前に突き出した。
大人しく捕まる気はあるらしい。
藤井はすぐに、何処かへ電話を掛け始める。
「空島美月の居場所を聞──もう聞いた?住所は──」
藤井の読み上げた住所を頭に叩き込んだ氷室は、IDカードを藤井に投げつけると急いで手術室を後にする。
美月の居場所がやっとわかったのだ。
そこにいる確証などなかったが、氷室の役目はすでに終わっている。
あとは警察が詳しい捜査をして、大々的に報道されるのを待てばいいだけだ。
じっとしてなど居られない。
「先生!きーちゃんとさーちゃんは……!?」
手術室の扉から氷室が姿を見せれば、勢いよく桔梗が飛びついてきた。
吉更の格好ではなく、アイドル衣装を隠す為にトレンチコートを上から羽織った状態なのには驚いたが…。
遠くで両手を腰に当て、険しい表情をしている焔華も似たような格好なので、おそらく撮影中だったのだろう。
氷室は少年に預けていたスマートフォンを受け取ると、桔梗を強引に引き剥がす。
今まで氷室は、どんなに嫌がっても桔梗を強引に突き飛ばしたり引き離すことなどなかったので、彼女は目を見開き驚いている。
「先生……?」
「弟と天門紗雪は無事だ。中にいる」
「よかった……っ!」
「俺は今、お前に構っている暇はない」
強引に引き剥がされた桔梗は吉更と紗雪が無事であると聞いて感極まり、もう一度抱きつこうとしたのだが……。
氷室の底冷えした鋭い視線と声に阻害され、足を止めた。




