どんなに苦しいことがあっても、成功が約束された女
「白雪先生!来客だそうです!至急ナースステーションに来るようにと!」
ナースステーションになど顔を出している暇はない。
氷室は現在外来診療中だ。
午後の診療は始まったばかりで、診察を待つ患者は山ほどいる。
この患者たちを放置して、来客対応などできるわけもない。
寝言を言っている暇があれば手を動かせとばかりに、氷室は那須宮の申し出を拒否した。
「待たせておけ」
「それが……白雪先生を呼び出しているのはImitation Queenの神奈川焔華さんみたいで……」
「国民的アイドルだから、患者を待たせていい理由になるのか」
「ひええっ。そ、それは、そうですけど……。あの、神奈川焔華さんですよ!?怒ると怖いって噂の……」
「知らん。とにかく、外来診療中は無理だ。夜に出直せと言っておけ」
「わ、わたしが言うんですか……!?先輩、すごく怒りますよ!?」
「患者を怒らせる方がよほど恐ろしく、病院の運営に関わることだ。無駄話している場合じゃないだろ。さっさと捌くぞ」
「ひぇえ……っ!」
那須宮とはシフトが週2程度で重なる。
氷室は淡々と指示を出すので、何を考えているのかわからないと看護師から不評なのだ。
自分が一番下っ端の自覚がある那須宮は時折奇声を上げ怯えながらも、氷室に嫌がらせのようなことをしてくるようなタイプではないので仕事がしやすい。
氷室と看護師の先輩、そして国民的アイドルから恨まれる役を無理矢理押し付けられた那須宮は青ざめながらも、診療室に新たな患者を呼び込む。
渋々内線電話を手に取った辺り、直接面と向かって国民的アイドルや看護師の先輩とは戦う気になれないようだ。
「那須宮です……っ。白雪先生は外来診療中で、手が離せないみた……っ。ぴゃあ……っ」
那須宮は必死に内線電話へ氷室が席を外せないことを伝えた。
両耳を塞いで悲鳴を上げている辺り、先輩の看護師に「無理矢理引っ張ってでも連れてこい」と凄まれたのだろう。
(代わりの小児科医が、外来を見てくれるなら行くけどな……。代わりなんて用意できないだろ)
氷室は研修医。
医師不足の病院で、最後の砦とも言うべき医師だ。
氷室が都合のつかなくなった医師の穴埋めをすることはあっても、氷室の穴を埋めてくれる医者など存在しない。
氷室がいなくなればその穴は誰にも埋めることなどできず、ぽっかり空いたまま放置されるのだ。
美月が突如として行方不明になった時もそうだった。
病院側は穴埋めをしようとなど一切考えなかったので、氷室が研修医として働きたいと手を上げたらすぐにでも働いてくれと歓迎されたほどだ。
美月の穴を埋める努力を病院側がしていたなら、氷室はこうも簡単に病院へ潜入などできなかった。
氷室が頑なに外来室から職務を全うするまで、一歩も出ていかない姿勢をみせれば、加越の先輩と神奈川焔華は諦めたらしい。
那須宮は申し訳無さそうに氷室のシフトを神奈川焔華に漏洩してしまったと謝罪をしてきたが、氷室の勤務終了時刻が判明した所で、どこまで予定通りに業務をこなせるかは怪しいものだ。
研修医が予定通りのシフトをこなし、定時退社できると思う方が間違いである。
「あ、氷室先生。聞いたよ。焔華さんを待たせているって」
外来診療を終えた氷室が不自然にならないよう、気を配りながら桔梗の病室へと顔を出せば、笑顔の桔梗が出迎えてくれた。
今日は吉更と入れ替わっていないらしい。
両手を叩いて氷室の訪問を喜ぶ桔梗は、楽しそうに吉更の話をする。
「きーちゃん、家出したって聞いたよ。私の荷物も持って、今どこで暮らしていると思う?」
「……さあ。俺よりも信頼できる大人がいると言っていたな……」
「うん。私が一番信頼している大人が氷室先生であるように、きーちゃんにも大切な人ができたんだって。察しのいい氷室先生なら、誰だかわかるよね」
吉更が頼る大人が誰なのか。
ある程度の想像はつくが、氷室にとっては関係ないことだ。
生きてさえいれば、誰に縋ろうがどうでもいい。
「氷室先生。もう、無視しないで」
「弟が誰に頼ろうがどうでもいい」
「私と氷室先生にも関係あることよ。将来、氷室先生ときーちゃんは親戚になるんだもの」
「……まだそんなことを言っているのか……」
氷室が何食わぬ顔で無言を貫けば、桔梗は氷室の頬をツンツンと叩いて答えを促した。
頬を突かれた程度で、桔梗の思い通りどうでもいいことを「気になる」と聞き返す気にもならない。
桔梗の爆弾発言を聞いた氷室は、あきれ顔で桔梗の主張を聞いていた。
「私と浮気したら、氷室先生は私のことを好きで堪らなくなるの。美月先生なんて、すぐに忘れてしまうほどに」
「──占い師のお告げでも受けたか」
「ふふふ。先生、占いなど信じているの?あのような子供騙し……。私達は信じたことなんて一度もないのに」
「……お前の両親は熱心なようだが」
「ああ、そっか。氷室先生、両親に会ったのね。うちの両親。気持ち悪いでしょう」
運命の赤い糸は信じても占いは信じないと。
口にする桔梗の矛盾点を指摘するよりも、気になることがあった氷室がその件に関して指摘をすれば、桔梗は笑顔で両親を「気持ち悪い」と称した。
「私の家族は、きーちゃんだけなの。両親のことなんて、家族と思ったことは一度もない。両親だってそう。あの人たちに必要なのはきーちゃんだけ。私はいらない。悪魔だから」
愛知夫妻が桔梗を「悪魔」と呼び迫害するように。
桔梗も両親を親として認識していないようだった。
(似たもの親子と言えば聞こえはいいが…)
父親はともかく、母親にとって桔梗は腹を痛めて産んだ子どもだ。
実の子に対する仕打ちとは、到底思えなかった。
「自分たちが好きで作った子どもを悪魔呼ばわりする時、どんな気持ちなんだろう。私にはよくわからない。大人になれば、わかるのかな……」
その答えは、氷室も残念ながら持ち合わせてはいない。
氷室は独身だからだ。
もし美月が消えることなく婚姻して、子どもが生まれたとしても。
生まれた子どもを悪魔呼ばわりしようなど、考えるはずもない。
氷室には生涯、愛知夫妻と同じ気持ちになることはできないだろう。
「その気持ちを知ってどうする」
「抱きしめてあげたい。何も悪くないよ。いつか必要としてくれる……大切な人に……出会えるから。もう少しだけ頑張ってと声を掛けるの」
「過去の自分に、か」
「成功が約束された未来の私に、声を掛ける必要などない」
早口でそう言い放った桔梗は、はじめて出会った時のように感情が抜け落ち、能面のような顔をしていた。
また、この表情だ。桔梗がこうした表情になるのは珍しい。
少なくとも氷室の前では、いつもにこにこと年相応の笑顔を見せ、時にはドキッとするような大人びた表情をすることが多かった。
両親のことを考えると、こうした表情になるのだろうか?
(すごいこと言うな……)
未来が成功された私とは、言い得て妙だ。
桔梗は氷室が美月の意志を継ぎ、天門総合病院の悪事を暴こうと行動する姿を見ている。
彼女には氷室がこの病院の悪事を暴き、天門紗雪の移植手術が行われる前に院長へ罰を受けさせられると本気で信じているのだ。
Imitation Queen5期生として活動する桔梗は、アイドルとして生涯輝き続ける。
そう信じていなければ、未来が約束されているなどとは言わないだろう。
(死にたかったのにどうして邪魔するのと言われるよりはマシか……)
氷室は桔梗とこれ以上顔を合わせていて、もやぶ蛇になると思ったようだ。
桔梗の言葉に生返事を返した氷室は、彼女の病室を後にする。
そして――。
研修医室で雑務を片付け白衣を脱ぎ、病院を後にしようとした時、事件は起こる。
「ちょっとあんた!このあたしをいつまで待たせるつもりなの!?」
正々堂々と正門から出たのは間違いだった。
キャップを深く被り目元を隠した女が、ダルそうに歩く氷室の胸ぐら掴んで叫ぶ。
10cm近いヒールを履いた女は、よくよく確認すれば氷室とあまり身長が変わらない。
「……でけぇな」
「あんた、あたしと会うの二度目でしょ?今更身長が女らしくないとか言われても困るんだけど。喧嘩売ってんの?」
氷室はうんざりした様子で胸ぐらを掴む女──神奈川焔華と目を合わせる。
さすがは現役アイドルだ。
至近距離で顔をつき合わせれば、整った顔たちをしていることに気づく。
きつい目元と派手なメイクが近寄りがたい印象を与えるが──世間的に見れば悪くはない女なのだろう。
氷室は二人きりで密室に閉じ込められたとしても、焔華と間違いが起きる気などしないが。
「なんのようだ」
「双子のことよ。あんた、家を追い出されたあの子達を庇護することなく黙って見送ったんですって?双子はうちの大事な商品よ。何かあったらどうするつもり?責任、取ってくれるんでしょうね」
「一体何の責任だよ……」
責任など、氷室が取れるわけもない。
吉更が桔梗と入れ替わっている件は氷室と焔華、病院関係者の一部は把握していたが、数え切れないほどいるわけではなかった。
警察がじわじわと院長や暴力団関係者摘発に動き始めている以上、焔華の心配は一理ある。
(双子に危険が及ぶ可能性も考慮するべきだった)
反省はするが、責任を取って桔梗と婚姻しろと迫られても。
氷室は受け入れることなどできそうにない。
焔華は全面的に双子の味方なのだろうかと氷室が考えあぐねていれば、氷室の胸ぐらから手を離した焔華は、腰に手を当てると胸を張って氷室を指差した。




