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病院の屋上で人の迷惑顧みず歌う少女

「お兄様!」


 氷室が業務中に、鈴瑚から連絡が掛かってくることはなかった。

 急患やらなんやらのせいで、本来ならば17時に一度帰宅するはずが、20時まで診察をしていた。

 一時間後には当直のバイトがあるので、鈴瑚と話をしたらすぐにでも別の病院に向かわなけれればならない。

 普段であれば自宅にまず戻らない時間だが、鈴瑚に頼み事をした手前戻らずには居られなかったのだ。

 氷室は玄関先で出迎えた妹の肩を掴み、大声で美月の無事を確認する。


「美月は!?」

「美月お姉様はいませんでした!わたくしに病院の階段を隈なく上り下りするように命じて、お兄様は何がしたかかったのですか?わたくしは無駄に体力を消耗してしまったのですよ!」


 恐ろしい形相で氷室が肩を掴んだことに眉を顰めても、鈴瑚は声を荒らげ痛がることはなく怒っている。

 その様子を見た氷室は、力なく鈴瑚の肩から手を離した。


「いない……」

「お兄様!ちゃんと説明して頂きますからね!」

「本当に、隅から隅まで。すべての階段を探したのか……」

「わたくしを疑うなんて!お兄様ったら酷いです!」


 鈴瑚は怒っているが、氷室は妹を慰める気にもならない。

 鈴瑚が美月の姿を発見できなかったならば。

 氷室が聞いた美月のものとは異なる靴音は、彼女を突き落とした犯人である可能性が高かった。


「血痕は」

「……血、ですか?」

「そうだ。どこかの踊り場に血痕(けっこん)がある。美月が階段から突き落とされたなら──」

「突き落と、された……?美月お姉様が……?」


 美月を突き落とした犯人が、彼女を連れ去ったのかもしれない。

 そうとしか考えられないと、思考を巡らせた氷室は口を滑らせてしまった。

 鈴瑚の前でその話をすれば、錯乱するとわかっていたのに。

 何日も徹夜を繰り返していた氷室は、頭が回っていなかった。

 頭を抱えた氷室は深いため息をつくと玄関ポーチに腰掛け、怒鳴りつけてくる鈴瑚の言葉にか細い声で返答を返す。


「お兄様!突き落とされたって、どういうことですか!美月お姉様は、どこにいるんです!」

「……分からないから、お前に様子を見てこいと命じた」

「わからない!?わからないで済まされるわけないでしょう!階段から美月お姉様が落ちて、どこにも見当たらなかったなら!お姉様に何かがあったのは明白です!」

「……わかっている」

「わかっているならどうして行動しないのですか!?」

「俺はこれから仕事なんだよ……」

「美月お姉様の命よりも、仕事が大事なのですか!?」


(そんなわけないだろ……)


 仕事か美月の命。


 どちらが大切かと言われたら、氷室は後者を選ぶ。

 本来であれば今すぐに病院へ連絡する所だが、直前の電話がそれを拒んだ。


(下手を打てば、鈴瑚の命までもが危険に及ぶ)


 鈴瑚は氷室程ではないが、自分が大切にしていたものを破壊された時の怒りは相当なものだ。

 自らの異常としか思えないIT技術を駆使し、違法な手段すら問わず徹底的に調べ上げ、地獄の果てまで追いかけ回していた姿を見れば、誰だって敵に回してはいけない人間であると感じる。

 氷室が強く言えば本来は(とど)まる理性こそ持ち合わせているが、今回ばかりは鈴瑚を(とど)まらせるのは難しいかもしれない。


「お兄様が行動しないのなら、わたくしが美月お姉様の行方を探ります!」

「やめろ」


 言わんこっちゃない。

 深いため息をついた氷室は、静かな怒りを携えて鈴瑚を睨みつけた。

 氷室はもうすぐ26歳。研修医として前期研修期間をもうすぐ終えようとしている氷室は、とにかく自由に使える時間がない。

 妹を駒として都合よく扱うことは今に始まったことではないが、氷室はけして鈴瑚に主導権を握らせることはなかった。

 鈴瑚はまだ高校生だ。

 氷室が大人として主導権を握っていなければ、命がいくつあっても足りない。


「お前は俺の言うことだけ聞いていればいい」

「ですが……!」

「大人しく俺に従ってさえいれば、美月の情報はすべてお前と共有してやる。下手打つと死ぬぞ」

「命を落とす……?一体、美月お姉様はどんな事件に巻き込まれているんですか!?」


 それが分かれば苦労はしない。


 現段階では、天門総合病院で違法な臓器売買が行われている証拠を美月が掴んだことしか、氷室は把握していなかった。


「いいか、鈴瑚。勝手に行動するなよ。死ぬからな」


 氷室が重苦しい口を開き鈴瑚に念を押せば、ただ事ではないと感じたのだろう。

 どうにか鈴瑚を納得させた氷室は、忙しい研修医としての生活に身を投じた。



 忙しい研修医としての生活を送る氷室は、貴重な休みを利用して美月と情報共有をする為に使っていたとある私有地に顔を出した。

 3年ぶりに鈴瑚の名義で登録されている私有地へ顔を出した氷室は、天門総合病院についての調査資料がホワイトボード一杯に貼り付けられていることを確認すると、深いため息をつく。


「馬鹿野郎……。こんだけ派手にやったら、狙われるに決まってんだろうが……」


 ──空島美月(そらじまみづき)は、自身が勤務している病院の暗部(あんぶ)を調べ上げた資料を氷室に残し──天門総合病院の階段から落ちた後、忽然と姿を消した。


 *


 空島美月が勤務している天門総合病院から忽然と姿を消してから約半年。

 前期研修医を終えた白雪氷室(しらゆきひむろ)は、彼女が勤務していた天門総合病院の小児科医で後期研修医として働くことになった。

 美月のいない生活は、半年経ってもなれない。

 手持ち無沙汰な時、油断しているとすぐに繋がるはずのない美月のスマートフォンに電話を掛けてしまう。

 氷室は少しでもその回数が少なくなるようにと、ストレス解消の為に煙草を吸うようになった。

 煙草の先端にライターで火をつけ、煙を吐き出すと気持ちがスゥッと落ち着いてくる。


『身体に悪いから酒と煙草だけはやめて』


 美月に言われてからずっと、氷室は酒や煙草に手を出すことはなかった。

 美月が今も隣にいれば、こうして煙草を口に咥えて堂々とサボるようなことはしなかっただろう。

 氷室は前期研修を終えたばかりの後期研修医。専門医となる為にはあと3年、下積みが必要となる。

 美月が悪事を詳らかにしようとしていた、闇が巣食うこの病院で問題を起こさず、3年間も真面目に研修など受けられるはずがない。


(美月がやり遂げられかった分だけ派手に暴れて、片田舎で開業医になればいいんだろ……)


 人手不足の限界集落ならば、たとえどんなに腕が劣っている医者であろうとも引く手あまただろう。

 医師免許さえ持っていれば、自分一人が生きていくことくらいはできる。

 問題を起こして重鎮に喧嘩を売れば、まず有名な病院や都会の病院からは村八分にされるだろうが──氷室は都会の病院にどうしても勤めていたいわけではなかった。

 あとは美月が、どんな結婚生活を思い浮かべるかすり合わせるだけだ。


『女だから』


 何かと舐められていた美月は強かった。

 権力を持つ医者にも屈することなく、間違った行いを正そうと必死になって走り回る。

 氷室と美月、どちらの敵が多いのかと聞かれたならば、圧倒的に美月の方が敵は多かった。

 片田舎に氷室が引っ込んだ所で、反対するようなことは言わないだろう。


「この恋は、焔のように……。美しく輝く理想郷。捧げるわ、この身焦がして。花火のように弾けて消えるまで──」


 屋上で煙草を吹かしていた氷室は、美しい歌声を耳にした。

 総合病院の屋上で巡業でもしているのか。

 その少女の歌声は、どこかで聞き覚えのあるカラオケ音源と共に病院の敷地に(とどろ)いている。


「いつの頃からか 覚えていないけれど……。隣にいる君の姿 当たり前になっていた」


 煙草の火を携帯吸い殻に押し当て消火した氷室は、歌声に誘われるように、歌声を響かせる女の元へゆっくりと歩み始める。

 コツコツと氷室が歩く度に、硬いアスファルトが音を立てる。

 歌に集中しているのか、まっすぐ前だけを見つめて歌う彼女は氷室のことなど気にした様子がなった。


「いずれ 離れる時が来る……。離れがたくなる前に……。もう一度だけでいい 名前を呼んで」


 歌う女は、小さな少女だった。

 氷室の妹、鈴瑚と同じくらいの年齢だろうか。

 顔たちが整った、意志の強そうな瞳が印象的なエアリーショートボブの少女は、入院着の身を包んでいた。

 顔だけ見れば身体に悪い所があるようには思えない容姿をしているが、入院着に身を包んでいるならば間違いなく病人だ。

 今は健康そうに見えても、いずれ不健康になるような理由がなければ、入院着など着ていない。


「この恋は、焔のように……。夢にまで見た幻想郷(げんそうきょう)。縋り付くわ、この身もがれても。もう二度と君を離さない……」


 少女が歌う歌は、恋の歌だった。

 恋人の安否が分からぬまま、半年近く日常生活を続けている氷室にとっては聞いているだけで胸が苦しい。


「こ──」


 白衣を靡かせ、氷室がじっと少女を見つめていることに気づいたのだろう。

 大きく息を吸って一音だけ言葉にした少女は歌うことをやめたせいで、カラオケ音源だけが屋上に響き渡っている。

 長い沈黙を破ったのは少女の方だった。

 少女は、スマートフォンを操作してカラオケ音源の演奏を停止すると氷室に向けて呪文のような言葉を紡ぐ。


Fire(ファイアー)works(ワークス) break up(ブレイクアップ)

「花火と破局?」

「……意味は知らない。英語は苦手だから」

「じゃあなんで俺に言うんだよ……」


 美月のことを思い出して苛立つ氷室がボソリと本音を口にすれば、少女はぼんやりと氷室を見つめる。

 歌っている様子は表情豊かであったが、歌い終わった彼女の表情は心ここにあらずと言った様子で感情の起伏が乏しいようにも見える。

 病人ならこんなもんかと気にせず、氷室は彼女の言葉を待つ。


Imitation(イミテーション) Queen(クイーン)神奈川(かながわ)焔華(ほのか)が、初めてセンターになって歌った曲名」

「それが俺と関係あるのか?」

「私が今、歌った曲名でもある……」


 氷室は曲名を教えてほしいなど一言も言っていなかったのだが。

 独特な雰囲気と間の取り方で話す少女とどう会話をすればいいのかわからない氷室は、さっさと会話を終える為に彼女をじっと見つめていた理由を口にする。


「屋上で歌う許可は取ったのか」

「……許可を得る必要があるとは思えない。この場所は入院患者が気晴(きば)らしに使う場所。誰もいなければ、何をしてもいいはず」

「いいわけないだろ。今まで何も言われなかったのか」

「言われなかった」


 天門総合病院には闇がある。


 諸悪の根源である人物についても、美月が残した資料によって把握していた氷室は、彼の耳に入れば少女の身に危険が及ぶと理解していた。

 美月が病院の闇を暴いて襲われた可能性が高い以上、病院に不都合なことを派手にすればこの少女もタダでは済まないはずなのだが……。

 彼女は誰かに文句を言われることなく、今まで何度も大音量でカラオケ音源流しながら屋上で歌っているらしい。


(例の件でなければ、何をしてもお(とが)めなしなのか……)


 謎は深まるばかりだ。

 氷室は少女のことを要注意人物として認定した。

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