1人の生体ドナーか、5人の命が助かる脳死ドナーか。
「お兄様が天門総合病院の闇を探っていると看護師の女性を通して暴力団関係者に情報を流されたら、大騒ぎになります!」
「那須宮の動向は注意深く監視しておく」
「お兄様の見えない所で、こそこそと情報を流されてしまったらどうする気なのですか!?お兄様、これはとても重要な案件です!その自覚を、もっとしっかりとお持ちください!」
「わかっている。最悪の場合は、もう少し脅すしかないな……」
ボイスレコーダーを那須宮に握らせた時点で、氷室もかなり強く脅したつもりだが。
彼女は氷室が「暴力団関係者の兄を持っていると病院内で知らないはずの研修医」と認識しているはずだ。
那須宮の兄が暴力団関係者であることは看護師の間では公然の秘密となっているようだ。
氷室に直接話をしてこないあたり、あまり大っぴらにはしたくない話なのだろう。
(那須宮は天門総合病院をやめたら、働く場所がないと思い込んでいるようだった。就職先を確保してやるから俺の指示に従えと言えば、簡単に寝返るだろう)
氷室が那須宮についてもっとよく調べておけば、わざわざ接触する回数を増やさなくても済んだことだ。
氷室は那須宮がすり寄ってきた際、その返答を曖昧にしたことを若干後悔していた。
「他の音声は?」
「ありますけど……」
「聞かせてくれ」
鈴瑚は氷室を怒り足りないようだったが、録音データは山ほどあるのだ。
言い争っている暇があるくらいならば、音声データを聞くべきだろう。
一刻も早く疲れた身体を癒やしたい氷室は、那須宮に預けたボイスレコーダーへ録音された音声に、重大な証拠が隠されていないかを確かめる為に鈴瑚を促す。
鈴瑚は戸惑いがちにスマートフォンを操作して、音声を流し始めた。
『研修医に茶々を入れられたようだな』
『も、申し訳ございません……』
『まぁいい。あの男が口出してきたことにより、たった1人の犠牲で5人が助かったのだ。これは喜ばしいことだ』
『はい……!流石は院長先生です……!絶対に救われるはずのない複数人の命を、たった一人の犠牲により救ってみせたのですから……!』
絶対に救われることのない複数人の命。
それは、臓器移植の優先順位が恐ろしく低い人間のことを示しているのだろう。
1108号室に入院していた患者の臓器が、天門総合病院に入院している臓器移植の優先順位が恐ろしく低い人間に移植されたことを確かめる。
その為には、1108号室の患者が亡くなった直後──手術室に運ばれた患者が誰であるかを確かめれば済むことだ。
簡単に病院関係者が口を割るとは思わないが、医院長のやり方に不満を持たない人間がいないわけもない。
美月はたった一人で立ち向かい、証拠を集める最中に行方不明になってしまった。
彼女に味方するような病院関係者はいなかったようだが──氷室の方が優勢だと分かれば、院長に反旗を翻すものも出てくるだろう。
ここからが正念場だ。
『紗雪の手術日を早める』
『実験はもうよろしいのですか?』
『反社の連中には十分過ぎるほど金を渡した。紗雪の件を外部に漏らすようなことはしないだろう』
『承知致しました。実験用に集めたモルモット達は如何いたしましょう』
『紗雪が健康な身体を手に入れたその時は──順番に始末しろとのお達しだ。私の関与する所ではない。私は、紗雪さえ助かればどうでもいい』
氷室が注意深くボイスレコーダーの音声を聞き続けていると、殺害予告のような音声が耳に飛び込んでくる。
女の声が誰であるかは不明だが、少なくとも男の方が院長であることは間違いないだろう。
無用心もいい所だ。
こうして盗聴されることを一切考慮していない不用心さに、氷室は何とも言えない顔で音声データを聞く羽目になった。
『紗雪の手術は……誰にも邪魔させない……』
『研修医が口出ししてくるようなことがあれば、いかがいたしますか』
『反社に任せておけばいいだろう。どうしてもこちら側で処理したいならば、紗雪の手術を邪魔した女医のようになりたくなければと脅すのは構わん。好きにしろ』
『承知いたしました!』
身の危険しか感じない音声に、鈴瑚も険しい顔で氷室の様子を窺っている。
(あの女医……美月のことか……)
美月は桔梗の証言によると、手の甲に入れ墨が入ったスーツ姿の男に階段から突き落とされたのだと言う。
この音声と美月がいなくなった件を総合して考えると、「美月を邪魔に思った院長が暴力団関係者に始末しろと指示し、美月は階段から突き落とされて連れ去られた」ことになる。
この状況で、美月が生きていると考える方がおかしいだろう。
氷室以上にショックを受けていそうな鈴瑚に、氷室は安心させるように根拠のない言葉を送る。
「大丈夫だ」
「大丈夫って……!暴力団関係者に連れ去られてしまったのかもしれないんですよ!?美月お姉様がわたしたちに笑いかけてくださる可能性は、限りなく低い……っ」
「美月なら、暴力団関係者相手でも自分の命を守るために物怖じせずにやりたい放題するだろ」
「でも……っ」
「俺たちは俺たちのできることをする。まずは1108号室で亡くなった患者の親を言いくるめて、警察に通報させるぞ」
「事件にするのですか……?」
「そうだ。院長の目的が達成されてしまえば、日本中を巻き込んで大きな騒ぎになる。被害を最小限に留めるためにも、医院長の目的は絶対に阻止しなければならない」
鈴瑚はスマートフォンのメモ帳画面を開き、指折り数えて氷室に院長の目的を入力し始める。
氷室はスマートフォンの画面を覗き込みながら、鈴瑚と院長の目的を擦り合わせた。
「医院長の目的は、紗雪と呼ばれた女の子を助けること、臓器提供の優先順位が低い人々へ優先的に臓器提供を行うこと。それから、実験体と呼ばれる子どもたちを始末することでしょうか……」
「そうだな。何よりも優先するのは、娘の紗雪を助けることだ。すでにドナーの確保をしてある。今の所は生体ドナーの予定だが、レシピエント扱いになりかねない」
「それも、違法な手段……ですよね……?」
「そうだ。天門紗雪の生体ドナー候補は、愛知桔梗と双子の弟、愛知吉更」
「愛知桔梗って、最近アイドルデビューをした……?14歳の女の子、ですよね。それって……」
「そうだ。愛知桔梗は両親が臓器提供をする代わりに前金を受け取ったと供述している。裏取りはできていないが、これが事実ならば大きなスキャンダルになるぞ」
国民的アイドルが臓器売買に加担していると知られたら、アイドル活動どころの話ではない。
ソロ活動中のアイドルならともかく、桔梗は長い歴史を紡いできたImitation Queenのメンバーだ。
事実が露呈すれば、加入して早々先輩たちの顔に泥を塗ったと、生涯後ろ指を差されて生きてくことになるだろう。
『先生、私と浮気をしませんか』
氷室に浮気を持ちかけてきた桔梗のことは、はっきり言って苦手だ。
できる限り関わりたくないが、氷室が関わるのをやめれば、桔梗の未来は奈落の底。
二度と光のある場所には戻れなくなるかもしれない。
「美月の生死がどうであれ、俺は院長に必ず罰を受けさせる。天門紗雪の移植手術が行われる前に、あの病院の闇を暴く」
「……お兄様……」
「これからもっと忙しくなるぞ」
「わたしは信じています。美月お姉様が生きて、わたしたちに笑いかけてくださると。再び美月お姉様がわたしと顔を合わせた時、わたしがお兄様と事件を解決に導いたことを、褒めてもらうために。わたしは全力を尽くします」
「ああ」
天門紗雪の移植手術まで残り僅かな時間で、どこまで医院長を追い詰めることのできる証拠が揃うかは分からない。
それでも氷室は歩み続けなければならない。
事件を解決に導き、愛知姉弟の未来を守り──美月を取り戻すために──。




