末恐ろしい子どもと、心強い味方
当直の医師は、懐中電灯片手に人気のない病院を巡回する義務がある。
上下関係のしっかりとした病院では、医者が仮眠を取るため。
こうした誰でもできる仕事は立場が弱い看護師に押し付けがちなのだが……。
自身が下っ端である自覚があることや、消灯時間が過ぎた後の病院は嫌いではないこともあり、氷室は率先して巡回をしていた。
「…………」
音を立てないように懐中電灯を照らしながら廊下を歩いていた氷室は、少しだけ開かれた談話室から、微かな光が漏れていることに気づく。
休憩中の看護師だろうか?
氷室は警戒しながら、ガラガラと極力音を立てないよう注意深く引き戸を開けた。
「……白雪氷室、先生……ですね……」
胸元を覆い隠すほど、艷やかで美しい黒髪。
伏し目がちで、ガラス玉のような瞳。
全身黒で統一した衣服に身を包んだ少女が、氷室の名を淡々と呼ぶ。
氷室を見上げる少女と視線を合わせると、彼女は小さく会釈をしてから名乗った。
「はじめまして。あまかどさゆきと申します」
「どんな字を書く」
「名字は天の門、名前は糸へんに少ないで紗、天気の雪マークです」
「お前が、桔梗の言っていたあの子だな」
「キョウちゃんが、いつもお世話になっております……」
随分と線が細く影が薄い少女だ。
室内のライトに照らされて足元がしっかりと見える為幽霊ではないとわかるが、暗闇で見たら幽霊と見違えてしまうかもしれない。
かき消えそうなほどか細い声に耳を澄ませ、氷室は看護師と鉢合わせないように後手で引き戸を閉めた氷室は、改めて紗雪を見下した。
「お互い、時間がないようですので……。わたしがどうしても先生に伝えたいことを……聞いてくださいますか」
「構わない」
「ありがとう、ございます……」
氷室から質問したいことは山程あるが、紗雪は氷室からの質問に答える気はないらしい。
彼女はぽつり、ぽつりとか細い声で言葉を紡ぐ。
「美月先生のことは……残念、でした……」
美月がすでに死んでいるような言い方だ。
氷室は眉を顰めたが、暗い顔をした紗雪に「どうしても氷室に伝えたいことを告げる」ことを了承した以上、口出しなどできない。
黙って聞くしかないのだ。
何があっても。
「美月先生は……わたしとキョウちゃんを、助けようとしてくださいました……。美月先生が消え、大人の協力を得られなくなったわたし達は、わたし達だけで、どうにか……。目的を達成せねばなりません……」
「お前と愛知桔梗の目的は」
「わたしの目的は……。このまま、生涯を終えることです……。臓器提供を待ちわびている他の人を押しのけてまで……。わたしは生きたくありません……」
「お前が生きたいと願ったわけではないのか」
「わたしがお父様にお願いしたことはありません。あの人は……勝手なのです……。わたしが死ねば、跡取りがいなくなる……。あの人はどうしても、血の繋がった子どもに……この病院を継がせたがっているのです……」
紗雪の言葉を聞く所によると、彼女は一人娘。
兄弟はおらず、母親もすでに同じ病気で亡くなっているそうだ。
血の繋がった妹や弟を生み出すことが叶わない今だからこそ、余計に紗雪への期待が高まっているのだろう。
そして天門紗雪は、父親の重圧に耐えきれなかったのか、自身のそう長くはない病に侵された身体に思うことがあるのか――生きることをあきらめていた。
「違法な手段を用いて生き残った所で……わたしの人生に自由はありません……。お父様の言う通りに女医となり、経験を積み……天門総合病院の院長となる以外の道は……わたしには存在しないのですから……」
「死んだ方がマシだって?」
「……わたしは、すでに死んでいるようなものです……。キョウちゃんの手術が成功するにしろ、失敗するにしろ……。わたしのせいで……片手では数えきれないほどの少年少女が亡くなりました……。わたしは、死を持って償うべきなのです……」
贖罪のつもりで死を選ぶならば、生きるべきだ。
美月ならば間違いなくそう紗雪に告げ、彼女が死にたいと思う気持ちを払拭することだろう。
(俺にできるのか?美月と同じように、この女へ希望を見出してやることが……)
美月に憧れ、背中を追いかけ続けていた氷室は、美月のようになりたいと願っても全く同じ存在になることはできなかった。
(俺は美月にはなれない)
美月と全く同じように振舞えないからこそ。
氷室は美月とはまた違う形で、彼女と同じように紗雪の希望を導き出してやる必要があった。
「この話、あいつにはしたのか」
「……はい……。美月先生は、違法な手段を使わなくても……わたしが生きていける方法を……探し出してくださると言いました……。そのせいで……美月先生は……」
美月は実現不可能なことを、実現可能にする天才だ。
美月が違法な手段を使うことなく生きていけると宣言したならば、紗雪が死に至る必要などない。
未来を諦める必要などないのだ。
「……夢はないのか」
「……ありません……」
「なんでもいい。与えられた以外の道を歩めるとしたら。お前はどんな人生を歩んでいきたいんだ」
「……そう、ですね……。わたしは、キョウちゃんや、サラくんのようになりたいです……」
紗雪は愛知姉弟のようになりたい、と言う。
あの二人に憧れるような要素など、どこにもないはずなのだが――紗雪にとって、愛知姉弟は唯一の友人であるらしい。
「Imitation Queenのメンバーとして……アイドルになったキョウちゃんは……毎日、楽しそうです……」
年の離れた年下の友人たちがのびのびと人生を謳歌している姿を見れば、憧れるのは当然だろう。
「……わたしがいなくなれば……サラくんの力を借りなくても……キョウちゃんは、ずっと……アイドルとして、ステージの上で輝き続けられるのに……」
紗雪は申し訳無さそうに気持ちを吐露する。
桔梗がImitation Queenの5期生としてアイドルデビューをしてから、金曜のゴールデンタイムに生放送をしている歌番組を皮切りに、バラエティ、無料ライブ、新聞、ニュース番組と彼女の話題を聞かない日はないほど様々な媒体に桔梗は姿を見せていた。
あれだけ大々的に推されていれば、羨ましくもなるだろう。
愛知桔梗の人生は、成功が約束されている。
ただし、紗雪へ臓器提供をするために生体ドナーとなり、前金として大金を両親が事前に受け取っていること。
男女の双子が入れ替わり愛知桔梗として活動していることが明らかにならなければ、の条件つきではあるが。
「白雪先生は……美月先生と同じように……キョウちゃんとサラくんを……助けて頂けますか……」
美月が行方不明になることがなくても、桔梗はアイドルとして活動をしていたのだろうか。
未来ある若者を見れば、美月はきっと手を差し伸べたはずだ。
(天門紗雪が助けを求めるのは、愛知姉弟の件だけなのか)
愛知姉弟のようになりたいと紗雪が言うのなら、なればいい。
氷室は紗雪の背中を押してやることにした。
「条件がある」
「……力になれるようなことがあれば……」
「愛知姉弟の秘密を守るためには、当事者の証言が必要不可欠だ。この病院で起きた、ありとあらゆる悪行の数々を嘘偽りなく証言できるまでは、命を繋ぐと誓えるか」
「……ああ……。そう、ですよね……。この病院の悪行をすべて把握しているのは、わたしとお父様だけ……。お父様を法で裁くには、証人が必要です……」
「そうだ。お前がこの病院の悪事をすべて把握しているならば、死なれては困る。俺が証拠集めに奮闘していると、あちら側に情報を横流しされるのも……」
紗雪は「その心配は無用」だと言った。
この病院に勤務する医療関係者の中で、院長側の人間でないのは美月や氷室、そして看護師の那須宮だけであるようだ。
院長に情報を漏らすつもりならば、そもそも愛知姉弟と協力して不法な臓器売買から逃れようとはしない。
紗雪の言葉はもっともだが、全面的に信じるかどうかはまた別の話だ。
氷室は紗雪を睨みつけながらも、彼女の申し出を断るようなことはせずに約束した。
「わかった。こちらも数ヶ月以内にある程度証拠を集めて院長に問いただす。お前との連絡はどう取ればいい」
「キョウちゃんに、お話をしてくだされば……わたしにも、伝わるようになっています……」
紗雪の耳につけられたイヤリングが、キラリと光った。
彼女の耳つけられたイヤリングは、左右でモチーフが異なる。
右耳は紫桔梗の花弁、右耳は雪の結晶を象ったものだ。
氷室はこのイヤリングに見覚えがあった。
「……愛知桔梗と同じイヤリングをつけているのか」
「片方ずつ……キョウちゃんと交換しました……。何かあった時、お互いの危険がわかるようにしようね、と……」
紗雪は当然のように、イヤリングに盗聴機能があることをぼかして伝えてくる。
末恐ろしい未成年の少女たちだ。
将来は国民的アイドルなどではなく、スパイになるべきだろう。
心強い味方と手を組んだ氷室は、紗雪の身に危険が及ばぬよう。
注意深く桔梗へ紗雪の様子を探るよう、伝えると決めた。




