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味方の看護師

『氷室。私の代わりに悪事を暴いて』


(わかっている)


 氷室は何度も美月が最後に残した言葉を反芻(はんすう)すると、気合を入れる。

 氷室のせいで、身近な人間が死んだのだとしても。医者に人の生き死にはつきものだ。

 そのうち、なにも感じなくなる。

 医者とはそうした生き物なのだ。


(人の気持ちがわからない医者こそ、大成(たいせい)しやすいというが……)


 ならば、氷室は。

 病院の闇を黙認し、真面目に経験を積んでいけば──氷室はそれなりの地位に上り詰めるだろう。

 どこの世界でも、正直者が馬鹿を見る。

 純粋で、穢れを知らないものほど、悪事に手を染めなければ権力や金を得られないものに淘汰(とうた)されてしまう。

 この世界を生き抜くためには、何事も程々がいい。

 氷室は常々、そう思って生きてきた。

 人助けをするのは気分。

 自分の命が危険に晒されているとわかっている現場にはまず近づかない。

 結局、人間は誰しも自分の身が一番可愛いのだ。

 氷室が天門総合病院の闇を暴こうと動くのは、彼女の願いでもあり──美月の行方を諸悪の根源から聞き出し、裁きを受けさせる為だ。

 美月の命が危機に晒されていなければ、氷室は後期研修医としてこの病院で勤務することはなかっただろう。


「よかったですね」


 外部研修を終えて病院に戻った氷室は、1108号室の患者に無理矢理薬を飲ませようとしてた看護師に声を掛けられた。

 何が良かったんだと眉を(しか)めれば、看護師は氷室に告げる。


「院長は、あなたに罰を求めないそうよ」

「罰を受けるような行いに心当たりはない」

「はっ、どーだか。研修医でも、プライドの高い医者なだけはあるわね。自分の行いこそが一番正しいと思っている。私達看護師の判断が正しい時だってあるのに」


 飲ませる必要のない薬を飲ませたことが、看護師として正しい判断だと言うのならば。

 氷室も医者として黙ってはいられない。

 下手な騒ぎを起こせば天門総合病院の悪事を暴く前に自身の身が危ないと、寸での所で踏みとどまった氷室は唇を噛み締める。


 売り言葉に買い言葉、


 待てども暮らせど喧嘩を仕掛けてこない氷室の態度が気に食わなかったのだろう。

 看護師は畳み掛けるように氷室を批難した。


「これで本当に満足なの?あなたのせいで小さな男の子が死んだ。貴方が余計なことをしなければ、生体移植で済んだのに。あの子はレシピエントとして、身体を切り刻まれてバラバラに臓器提供を希望する患者の元に運ばれて行った……!」


 未成年の生体移植は法律で禁じられているが、脳死ドナーは保護者の同意が得られさえすれば15歳未満でも提供は可能だ。

 1108号室の少年は8歳。死因が脳死であれば、法律的には問題ない。

 この場で少年の死因について報告するよう命じた所で、警戒されるだけだろう。

 氷室は少年の死因ではなく、「もしも生きていたとしたら」と口走った件に関して聞き返すことにした。


「……未成年は、生体ドナーになれないはずだが」

「この病院には、この病院のルールがあるの!暗黙の了解が山程ね!今回は見逃されたけれど、次はないわよ」


 看護師は口を滑らせたことに気づいたのだろう。

 早口で氷室に念を押すと、その場を去って行った。


(微妙な所だな……)


「未成年は生体ドナーになれない」と告げた氷室に対し、「病院のルールや暗黙の了解が山ほどある」と看護師は煙を巻いている。


 これが自供と取れるかどうかは怪しい。


 氷室が警察官であれば、激昂(げきこう)してきた相手の怒りからうまく供述を引き出していけるのだが──氷室は残念ながら医者だ。

 最後の人押しは、本業に任せるとしよう。


 氷室は研修医室へ戻ると、私物のパソコンを操作し録音データを鈴瑚の元へと送信する。

 先程無言でメールを送信した所文句を言われたので、今度はきちんと本文を書き込んだ。


『自供らしき音声を手に入れた。最後の詰めは本職に任せる。保存しておけ』


 鈴瑚からの返信を待たずメールの受信ボックスを閉じた氷室は研修室の机に向かい、話半分に聞いていた外部研修の資料をじっくりと確認し直そうとした。


「し、白雪先生!しょ、少々よろしいでしょうか!」


 研修医室に飛び込んできて、氷室以外の人間がいないことを確認し声を潜めたのは私服姿の那須宮だった。

 彼女は勤務を終えてこれから帰る途中だったようで、ゴソゴソとカバンから長方形の細長く真っ白なものを取り出す。


「あ、あの!これっ。白雪先生の、ですか……?わたし、見覚えがなくて……」

「どうして俺のだと思った」

「白雪先生とお話をした後から……。ポケットが重くなったので……。これ、ボイスレコーダー、ですよね……?」

「そうだ。使い方はわかるか」

「中央のボタンを押すだけ……?」


 氷室は一度那須宮からボイスレコーダーを受け取ると、中央のボタンを押した。

 彼女のポケットにボイスレコーダーを忍ばせた時から録音状態を維持していたので、録音状態を保っていたのは約5時間ほどだろうか。

 氷室が中央のボタンを押せば、電源ランプが点滅する。


「録音と録音終了は同じボタンだ。録音終了後、インターネット回線を通して俺のスマートフォンへと送信される。身を守るために使え」

「身を守る?」

「ボタンの点滅中は新たな音声を録音できない。使いどきには気をつけろよ」

「使いどき?あの、(おっしゃ)っている意味がよく……」

「巻き添え、くらいたくないんだろ」

「そ、それはもちろん!」


 那須宮はボイスレコーダーを差し出した氷室の手をじっと見つめているだけだったが、彼女は氷室の巻き添えを食らって病院をやめたくない。

 何が何でも病院をやめたくない彼女は、氷室の手からボイスレコーダーを奪い取るよう手に取った。

 那須宮を共犯者として仕立て上げることに成功した氷室は、しっ、しっと彼女を追い払うように右手をドアの方向へと振る。


「こ、これ……。ほ、本当に……。だ、大丈夫なんですか……?わたし、先輩たちとかなり際どい会話をしていて……」

「お前が普段通りの行動を心掛けていれば罪に問われることはない。問題が露呈(ろてい)したとしてもだ。安心して業務に(はげ)め」

「わ、わたしが病院……クビになったら……。責任、取ってくださいね……」


 病院の悪事を暴いた後。

 氷室は天門総合病院で働き続けるつもりはなかった。

 美月が無事であろうとなかろうと。

 この先どう生きていくかは、ある程度決めている。


(こいつは毎月まとまった金額の給料さえ得られたら、文句はないのか……)


 那須宮さえ了承すれば、氷室が同僚として再び病院で肩を並べて治療にあたることもあるだろう。

 氷室は小さく頷くと、那須宮を追い払い、外部研修の際に受け取った資料を見直し始めた。

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