※ 後手に回る
モブの死ネタ注意(残酷描写なし)
『お兄様!突然音声データだけを送り付けて来ないでください!』
氷室が院内学級に通う患者へ薬を飲ませるなと言った件は、普段通り外来診療をしてる間にも院長の耳へ伝わっているはずだろう。
何があってもおかしくない状況で、自分一人だけが証拠を抱え込むことだけは避けなければならない。
氷室は外来診療後すぐに研修医室へと向かい、私物のノートパソコンを使って音声データを鈴瑚へと送信していた。
「保管しておいてくれ」
『これはお兄様と、誰の会話なのですか!?』
トイレ休憩と偽りロッカールームからスマートフォンを取り出し鈴瑚へ連絡を取れば、鈴瑚はうるさく騒ぎ立ててくる。
自由に動ける時間は限られているのだ。
いちいち鈴瑚の話を聞いている暇などない氷室は用件だけ告げるとさっさと通話を遮断し、外出準備を始めた。
手早く外出準備を終えた氷室は外部の研修へ向かう為に研修医室を飛び出すが、先程無理矢理薬を飲まされた少年の無事を確認しようと、少年との約束通り病室へ顔を出した時のことだ。
(……?)
病室はもぬけの殻だった。
個室の病室には大量の私物があったはずなのに、私物はどこにも見当たらない。
氷室が外来診療をしている間に、一体何があったのだろう。
「白雪先生が余計なことをするからですよ」
氷室が血相を変えてナースステーションに飛び込んできたことに気づいた看護師が、恨みがましい視線を送ってきた。
その言葉だけである程度想像はつくが、氷室はあの少年がどうなったのかを聞く必要がある。
「1108号室の……」
「──1108の夫婦です!どういうことですか!あんなに元気だったのに!息子が亡くなったって……!」
氷室が入院患者の少年に薬を飲ませるかどうかついて言い争った看護師に問い質そうとすれば、その少年の夫婦が衝撃的な言葉を叫んだことに気づく。
氷室は、茫然とその場に佇む。
(……死んだ?)
まさかの展開に、氷室はどんな顔をして姿を見せた少年の両親を見ればいいのか分からなかった。
うまく状況を飲み込めない氷室は、少年が亡くなった原因が「本来服用しなければならない薬を飲まなかったこと」であると、医療ミスの疑いを掛けられるかもしれない可能性に戦慄した。
(やられた……)
氷室は少年の健康診断結果と共に、飲ませる必要のない薬を嫌がる患者に無理矢理飲ませた音声データを証拠として提出するつもりだったが、こうもスピーディに物事が進むと藪蛇になりかねない。
少年が余命いくばくもない病に侵されていた可能性も否めないが、彼は通常の入院患者ではなく、臓器売買に関わる疑いのある院内学級に通う生徒だった。
表向き肝臓がんと診断されているものの健康上問題ない桔梗が在籍しており、美月が残してくれたカルテのコピーにも少年の健康状態は良好そのもの。
持病等の注意事項は一切記載がなかったはずだ。
突然死などありえない。
病院側が氷室に、情報を与えたくないと行動に移さない限りは。
(病院側は、口封じのために殺したのか?臓器売買のために殺したのならば、保護者の同意を得る必要があるはずだ)
あの院内学級に通う生徒達は、臓器提供者となるために集められている疑いがある。
桔梗は生体ドナーだと言っていたが、最終的には死体となることを恐れていた。
恐れていたことが現実になった時、子どもたちはどのような反応をするのだろう。
「主治医より別室で詳しいお話を……」
「納得するような説明をして頂けるんですよね!?」
「もちろんです。院長自ら、ご説明致します」
「わかりました……お願いします……」
氷室はどうにかして保護者の同意を得る現場に同席したかったが、これから外部研修が入っている。
「白雪先生、これから外部研修ですよね。行かなくていいんですか」
「……ああ……」
すっぽかすわけにはいかないが、外部研修など今の精神状態で受けたてもまともに身が入るわけもない。
「那須宮」
「ひゃい!?」
氷室が重い足を引きずるようにして、病院を後にしようとした時だった。
丁度いい所に、一人で出歩いている病院内での扱いが最下位の看護師──那須宮の姿を捉える。
彼女の腕を強引に引っ張り、非常階段へ誘導した氷室は声を潜めて那須宮に語りかける。
「1108号室の件、聞いたか」
「あ、はい……窺いました、けど……」
「最悪の場合、医療ミス扱いで吊し上げを受けるかもしれない。覚悟しておけ」
「ひぇえ!?い、嫌です。私、何もしていません!」
那須宮はオーバーリアクション気味にブンブンと首を振って「病院を辞めたくないです!」と大声で叫んだ。
氷室が事実を明らかにすれば、どちらにせよこの病院は立ち行かなくなる。
(こんな病院でも、大事な居場所だと思う人間もいるんだな)
この病院で重宝するべきは、率先して悪事を働く看護師ではなく那須宮のような「何が何でもこの病院で働きたいと思っている」人材だろう。
氷室は那須宮のポケットに、録音終了後自動で音声データがインターネット環境を通じて送信されるボイスレコーダーを忍ばせた。
「なにか聞かれたら、お前が見た通りのことを言えばいい」
「私が証言したら、白雪先生は……っ」
「事実を述べろ。けして嘘だけはつくな」
「白雪先生……」
氷室は何か言いたそうにしている那須宮を非常階段に放置すると、急いで外部研修場へと向かう。
今頃鈴瑚は、氷室の声ではない声が聞こえることに困惑しながらも、あれこれやっている頃のはずだ。
(天門の娘……1108号室の少年……俺の扱い……これからどう動くべきか……。考えることは山積みだ)
思った以上にフットワークが軽い病院側の行動に驚きを隠せない氷室は、研修が終了次第当直勤務をする予定だったが、予定を替えざる負えないかもしれない。
外部研修場に到着した氷室は、外部研修の講義を話半分に聞きながら、ありとあらゆる対策を練り始める。
(那須宮に忍ばせた盗聴器から、どこまで情報を拾えるかにもよるな……)
氷室がリアルタイムで盗聴をしていれば、現場を押さえられた時に言い逃れできない。
那須宮の同意を得ずにボイスレコーダーを作動させている時点で、氷室も犯罪行為に手を染めているのは間違いないのだが──氷室は悪を暴くためならば、多少の犯罪行為に手を染めることは厭わなかった。
(美月は曲がったことが大嫌いだった。盗聴器なんか使わずに、己の身一つで現場を抑えようとした結果が、あの悲劇だ)
たとえこの行いが犯罪行為であったとしても。
安全に悪を暴くため、使えるものは使う。
これもリスク回避の一環だ。
病院の闇を暴こうとした美月が行方不明になり、桔梗が院長の娘へ肝臓を移植する生体ドナーであると発覚し――桔梗の手を借りて院長の娘と会おうとした所で、1108号室の患者が命を落とした。
1108号室の患者が氷室へ「美月に薬を飲むなと言われたと告げた」から殺害されたのか、「臓器売買を行うため予定通り殺害された」のかをはっきりさせる必要がある。
(どちらにしろ、未来ある若者を病院は殺して回っているんだ。許されることではない)
たとえ氷室が、美月と患者の会話を詳しく聞きたいと少年に迫ったことが原因で、命を落とすことになったとしても。
氷室はその罪を背負い、前を向いて生きていかなければならない。
氷室が前を向いて歩みを進めなければ。
少年が命を落とした意味がなく、行方不明になった美月に怒られてしまうから──。




