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飲む必要のない薬

『Imitation Queen5期生、愛知桔梗です。よろしくお願いします!』


 愛知桔梗が5期生としてお披露目された翌日。

 ナースステーションでは、小さな声で看護師達が噂話に興じていた。


「Imitation Queenの5期生、愛知桔梗って……あの愛知さん?」

「そうみたいよ」

「入院しているのにアイドル活動なんてどうやって……」

「ほら、特別室の……」

「ああ……そろそろよね……」


 ナースステーションで噂話に夢中の看護師達は、どうやら特別室に天門の娘が入院していることを知っているらしい。

 そろそろの意味は、桔梗から臓器移植を実行する件だろう。

 氷室は物陰に身を隠し、看護師の噂話に耳を傾けた。


「そうなのよ。目処が立ったから……ってことじゃない?双子の弟と入れ替わって……」

「でもそれって、私達が暴露したら問題になるわよね」

「問題になるのは弟さんが嘘をついていた場合だけでしょう?私達にはどっちがどっちだかわからないじゃない」

「本当にそっくりだものね、あの二人」

「すごく警戒しているみたいで、身体に触れようとすると拒否してくる辺り……お察しよね」

「特別室の件がなければね……」


 看護師達はしきりに「特別室の件がなければ」と繰り返す。

 彼女たちにそれとなく特別室の件について、お伺いを立てれば状況を把握できるはずなのだが……。


(研修医の俺よりも、あいつらは院長の言うことを聞くだろう)


 氷室が「特別室の件を聞いてきた」と報告されては面倒だ。

 口が固く、信頼できる人間であるかどうかを確認してから話を聞くべきだろう。


「何を考えている!」


 氷室は午後の外来診療を行うため、ナースステーションから診療室へ向かう途中で男の怒鳴り声を聞いた。


 何事かと足を止めて確認すれば、桔梗と白衣の男が対峙している。

 白衣の男は、年端も行かない少女を責め立てていた。


「アイドルデビューだと!?貴様、自分がどういう立場かわかっているのか!?」

「秘密を共有する仲間ですよね」

「ならば何故、大人しくしていない……!」

「私が大人しくしていたら。用済みになった私を、始末する気だったでしょう?」

「な……」


 足を止めれば誰もが聞ける、階段の踊り場で話すようなことではない。

 美月といい、桔梗といい。

 どうしてこう女性は階段付近で重大な話をしようとするのだろう。

 少しは身の危険を(かんが)みてくれと、氷室は思わずにはいられなかった。


「気づいていないとでも思ったのですか?私があの子のために口では言えないことに協力して、あの子が助かり、ああ良かった、これで開放されると思っていたと言われるのは心外です」

「そ、そんなわけ無いだろう!」

「そんなわけあるから、私はずっと夢だったアイドルになろうと決めました。愛知桔梗は世間からしてみれば、天門総合病院の患者ではなく、Imitation Queenの5期生」


 桔梗は続けて、「自分は社会的に見れば存在するはずのない幽霊だ」と男に宣言する。

 随分と思い切ったことをするものだ。

 氷室は頭を抱えたくて仕方なかった。


「私ときーちゃんを間違えていたと、早めに発表するべきだと思いますよ」

「性別の違う双子だぞ!?間違えるわけがない!手術が必要な子どもは愛知吉更ではなく、愛知桔梗だ!」


 人の行き交う場所で堂々と。


 院長自ら「病院に入院しているのが愛知桔梗である」と名指しで叫ぶのは悪手以外の何者でもないはずなのだが──。

 すでに院長は、正常な判断ができないほどに追い込まれているのだろう。

 怒りで我を忘れた院長は、大声で桔梗を怒鳴りつける。


「いいんですか。私が愛知桔梗だと大声で認めても。この話を聞いた誰かが週刊誌に情報を売れば、芋づる式に秘密が白日(はくじつ)の下に(さら)されてしまうのに」

「いいわけあるか!この病院で一番偉いのはこの私だぞ!?」

「私ときーちゃんがいないと、あの子は助かりません。あなたが、私ときーちゃんの安全を保証してくれないから……。私はアイドルとして活動することになったのだと、反省してください」

「貴様……!」

「反省が見られないようなら、秘密を週刊誌に売り込みます。世間は、総合病院の院長と国民的アイドルの声。どちらを信じるでしょうね」


 院長に恐れを抱くことなく脅し始めた桔梗は、とても14歳とは思えない。

 独特な空気を纏っていることに気づいたのか、院長もたじろぐ程に妖艶な笑みを浮かべている。


(勝ったつもりでいるのなら、危険だな……)


 桔梗はアイドルデビューを果たしたことで簡単には自分の命が奪われることはないと安心しているようだが、そう簡単に話が終わるわけがないだろう。

 むしろこうして面と向かって脅しをかけたことによって、命の危険が高まったようにも思える。


「入院患者の分際で、私を脅すのか……!」

「私ときーちゃんの身体は健康そのものですから。私と他の入院患者を一緒にしてもらっては困ります」

「ぐ……!」

「いつまでも、私とあの子があなたの思い通りに動くと思わないでくださいね」


 桔梗が、美月と同じような無謀さを持ち合わせていると思わなかった氷室は驚いた。

 宣戦布告のようなことを諸悪(しょあく)根源(こんげん)に堂々と口にするのだ。

 怖いもの知らずにも程がある。

 肝が座っていると言えば聞こえはいいかもしれないが──。


「調子に乗っていられるのも今のうちだ……。アイドル?社会の目?私はどのような汚名を着せられようとも、必ず助けると誓った」

「貴方はまるで私に冤罪を着せられたような発言をしますが、貴方がやっていることは犯罪ですよ」

「だからなんだ?正当法では助からない命を、不当な手段で助けて何が悪い!この世界には、善悪では語れない行いもあるのだ!貴様だって、自分が死ぬわけではないからこそ、私に協力しているのだろう!?私は彼女の命を繋ぐために必要な貴様の命を、危険に晒すつもりはない!」


 桔梗本人は首の皮一枚繋がったつもりでいるようだが、彼女は男を怒らせている。

 このまま逆上した男が首を絞めてきたり、階段から突き落としてもおかしくはない。

 桔梗はまったく怖がる様子なく、険しい顔で男を睨みつける度胸を見せた。


「最大限の敬意を払うつもりなら、なぜ私を病院に閉じ込めるのですか。私を監視しておかないと、面倒なことになるからですよね」

「面倒など……!」

「貴方は私を意味もなく病院に閉じこめるべきではなかった。あの子を助けたい。その気持ちは私も同じですが──私ときーちゃんの安全が保証されることは、手術を受ける大前提」


 桔梗は「予定通り手術を行うか、マスコミを恐れて手術を取り止めるかは男の判断に任せる」と院長へ告げた。

 その場で「私の言う通りにしろ」と言わない辺り、目上の人間として認識していることは確かなようだ。

 院長がバカにされたと怒り狂うのも無理はない。


「私の判断だと!?今更取り止めるわけがないだろう!手術は予定通り行う!貴様がアイドル活動をしていようが、私と会話している貴様が双子の弟でも関係ない!これは決定事項だ!」

「そうですか。わかりました」


 氷室に交換条件を持ちかけてきた際の姿を知らない男は、ますます激高する。

 その男の姿を見て淡々と了承の言葉を告げる桔梗は、男の耳元で口を動かす。


……あ……(私のアイドル活動)を……(を認めてくださり、)あ…………す(ありがとうございます)


 氷室からは、どんな言葉を囁いているかまでは分からない。


 彼女は背を向けて去って行った。

 様子を窺っていた氷室は壁に背を向け、耳へピッチを当てると通話をしているふりをしたままもしもの時に備えたが──。

 桔梗と院長は、氷室の存在に気づくことはなかった。


(手術は予定通り行う……)


 手術が予定通り行われた後に氷室が悪事を詳らかにすれば、桔梗が違法な生体ドナーとして裁かれてしまう。

 氷室が悪事を(つまび)らかにするならば、桔梗が生体ドナーとして手術を終える前に証拠を集め裏を取り、警察官と共に事実を突きつける必要がある。


(残された時間は、あまり長くない)


 なりふり構っていられない状況になれば、舌の根も乾かぬうちに桔梗と恋人ごっこをすることになるだろう。

 それだけは避けたい氷室は、病院で信頼できる関係者を味方につける必要があった。


(めんどくせえ……)


 氷室は人付き合いが得意ではない。

 ぶっきらぼうでめんどくさがりな氷室は、名前に「氷」の名が入っているように、「氷のように冷たい男」と学生時代は囁かれたものだ。

 その氷を溶かし、温厚にしたのは美月だった。

 美月は氷室を月のように優しく見守り、時には尻込みする氷室の背中を蹴飛ばすほどのパワフルさを見せている。

 そのギャップに惹かれた氷室は、美月の背中を追いかけ目標とした結果。

 今では当たり障りのない日常会話は、相手に不快感を与えることなく繰り広げられていた。


「し、し、白雪……先生……っ!」


 氷室が壁に背を向けて過去に思いを馳せていれば、全速力で廊下を走る看護師に声をかけられる。

 彼女は走るのがあまり得意でないらしく、肩で息をしている。


「や、やっと……見つけた……!ふ、ふらふら、しないで、ください……!看護師長が……怒って、います……!」

「ああ」


 どうやら、氷室を監視している看護師長に言われて氷室を探しに来たらしい。

 相手が氷室でなければ「看護師が医者のやることに口出しするな」と怒鳴りつける所だ。

 氷室は看護師を敵に回す必要がないので、怒鳴りつけるようなことはしないが……。

 氷室は看護師を伴い、外来診察室へ向けて歩く。

 氷室を呼びに来た看護師は、天門総合病院で働く看護師の中で一番立場が弱い。

 医療関係者としての経験は氷室と同程度なせいか。

 年功序列の病院内では、いいように小間使いとして扱われている。


(長いものに巻かれるタイプでなければ、こちら側に引き入れたいが──)


 今はまだ、その時ではないだろう。


 もっと、彼女の性格を見極めなければ行動に移せないと氷室が考えながら廊下を歩いていたときだった。


「いやーだー!」

「薬を飲まなきゃ、退院できないよ!」


 小児科病棟のある一室から、無理矢理入院患者に薬を飲ませようと格闘する看護師の声が聞こえてくる。

 あの入院患者は、院内学級に通う7人の中にいた少年だ。


「美月先生は、薬なんか飲む必要ないって言ってた!僕たちは健康なんだ!薬を飲んだら、逆に具合が悪くなる!」

「そんなわけないでしょう!いなくなった人の言うことよりも、私の言うことを聞きなさい!」

「いやだ!美月先生……っ!」


 患者は泣き喚きながら美月に助けを求めた。

 その言葉を聞いた氷室は、美月が残した言葉を思い出す。


『私にもしものことがあったら。氷室が闇を暴いて』


 氷室には美月との約束がある。

 この際、病院関係者に不審がられようとも構わなかった。

 嫌がる子どもに不必要な薬を飲ませる場面を見て、上層部に目をつけられるのが怖くて見て見ぬふりをする医者など、医者になる資格がない。


「し、白雪先生!いい加減にしてください!外来診療が始まる時間ですよ!遅れたら患者さん達からクレームが……!」

「すぐに終わる」

「白雪先生……っ!」


 看護師は氷室の腕を掴んで病室に氷室が乗り込んでくのを防ごうとしたが、看護師の言いなりになるような男ではない。

 外来診療開始時刻まであと5分。

 診察室までの道のりは、早歩きでも3分はかかるだろう。


(看護師で助かった)


 いくら研修医と言えども、看護師相手ならば氷室の方が立場は上だ。

 医者からの指示を無視して看護師が無理矢理薬を飲ませることはない。

 この看護師に指示した医者が後から文句を言ってくる可能性が高いが──これは後々証拠にもなる。

 氷室は勢いよく言い争う病室に飛び込んでき、看護師に声をかけた。


「何を飲ませようとしている」

「……白雪先生?この時間は外来の担当じゃ……」

「そうだ。俺は忙しい。簡潔(かんけつ)に答えろ。患者の証言は事実か?」

「そんなわけないでしょう!これは飲まなければならない薬です!」

「ならば、なんの薬を飲ませようとしているか俺に言えるはずだな」


 パッケージはすでに破棄しているのか、看護師が手にしているのは抜き身の白い錠剤だ。

 ある程度想像はつくが、その薬の効果を彼女が口に出さなければ証拠にはなり得ない。

 看護師はぐっと唇を噛み締め、待てども暮せども薬の効果を氷室に告げることはなかった。


「後ろめたいことがあるから言えないんだな」

「ち、違います!この薬を飲ませないと、私が院長に怒られるんですから!」

「白雪の指示だと言えばいい。こいつが患者に不必要な薬を飲ませないよう見張っていろ」

「し、白雪先生!外来は!?」

「すっぽかすような真似はしない」


 氷室を呼びに来たいかにも気が弱そうな看護師に見張りを頼めば、このまま氷室が外来診療をすっぽかすのではと問いかけられる。

 氷室が外来診療をすっぽかせば、代わりとなる医者など存在しないのだ。

 診療開始時刻ギリギリになってしまうかもしれないが、間に合わせる努力はするつもりだった。


「白雪先生……僕……この薬、飲まなくていいの……?」

「ああ。大丈夫だ。誰かに言われたことがあるんだな?」

「うん!僕、美月先生に言われたんだ。薬なんて飲む必要ない、飲んだら退院できなくなるって。だから僕、絶対薬を飲んだりしないんだ!」


 少年が不安そうに見上げてくるので、氷室が優しい言葉を掛けてやれば。

 患者は美月に言われたことを笑顔で語ってくれる。

 もっと詳しく話を聞きたかったが、氷室には時間がない。


「また後で、様子を見に来る」

「うん。ありがとう、白雪先生!僕、待っているから!」


 氷室は少年と別れ──人が見ていない場所では全速力で白衣を翻し、外来診療室へ向かった。

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