12歳年下の少女に主導権を握られる男
その仕草が気持ち悪いと思わなければならないはずなのに、氷室は額から汗が流れ出ていることに気づく。
(緊張しているのか?)
桔梗は14歳とは思えないほど妖艶で、氷室に純粋な愛を向けてくる。
『氷室先生のことが好き』
そう告げてくる桔梗の言葉に嘘偽りなどないようだが、氷室にはその言葉を受け入れられない理由があった。
(美月と交際していなければ、受け入れるとでも言うのか。年端も行かない少女の気持ちを?)
小さな子どもに恋愛感情を抱くなど、病気としか思えない。
社会的に許されることではないだろう。
美月がもし行方不明になることなく今も氷室の隣で笑っていたら。
立派な浮気として成立する。
それは、美月が居なくなっても変わらない事実だ。
(美月は、別れの言葉を告げることなく姿を消した)
彼女がいなくなってからまだ半年しか経っていない。
自然消滅と呼ぶには早すぎるだろう。
そもそも、美月と交際していなかったとしても、氷室は桔梗の思いを受け入れることなど許されないはずだ。
「……年相応の恋をしろ」
「年相応の恋って?遠回しに告白を断っているなら、氷室先生はとても不誠実ね。はっきり言えばいい。美月先生とまだ交際しているつもりだから、私のことは好きになれないと」
「はっきり告げた所で、お前は俺を諦めるのか」
「それは、氷室先生の態度次第かな……」
(人の気も知らないで、言いたい放題言いやがって)
氷室は未成年の子どもに慕われ、火遊びに夢中になるほど暇まではない。
この場で桔梗の告白を断った所で大声で泣かれたら、美月の件を満足に調べきれず、大事になる。
氷室は桔梗の気持ちに答えるつもりはなかったが、大っぴらに否定する立場にはなかった。
「私たちは運命の赤い糸で結ばれているもの。氷室先生がどんなに私を拒んでも、いつかは必ず添い遂げる運命なの」
桔梗は氷室の立場をよく理解した上で迫ってきている、最低で最悪の女だ。
それは運命の赤い糸がどうのこうのと、にわかに信じがたい眉唾話を理由にして氷室へ迫ってくる辺り明らかだった。
このまま大人になるのならば、将来が不安で仕方ない。
一回りも年上の男──彼女持ちを好きになる女は、愛する男を自らのものにするまで止まらないだろう。
そうした女は、いざ彼女から男を奪い自分のものにすれば、興味がなくなったように男を捨てる。
羨ましいだけなのだ。
桔梗もきっと、美月の彼氏である氷室を奪い取りたいだけで、桔梗の彼氏になった氷室になど興味はない。
いつか氷室を好きになったことが間違いだったと後悔するなら、手頃な年相応な少年に恋をするべきだと告げた氷室に桔梗は深く考え込むような仕草をしている。
「俺はお前を──」
「氷室先生は、私にもう一つ聞きたいことがあるよね」
俺はお前を好きになることはない。
氷室がはっきりと口にしようとした所で、桔梗からストップが掛かった。
このまま桔梗の思いを断ち切るようなことがあれば、「あの子」の話はしないと遠回しに脅してきているのだ。
どこまで行っても、手も足も出ず桔梗のペースだった。
年端も行かない少女の手のひらで踊らされていることに怒りを感じながら、氷室はぐっと言葉を飲み込んだ。
(美月はいつも言っていた。ピンチはチャンスと考えればいい)
追い込まれた時こそ、起死回生の一手を放つ絶好の機会だ。
美月に教えてもらった氷室は、桔梗に悟られぬように。
感情を押し殺しながら、彼女の残したある人名を口にした。
「お前の言うあの子は、あまかどさゆきだな」
「──すごいね、氷室先生。もうあの子に辿り着いたんだ」
桔梗は笑顔で氷室の言葉を肯定した。
美月の残した言葉は正しかったのだ。
氷室はほっと一息つく間もなく、桔梗に問いかける。
「天門院長の娘か」
「そうだよ。さーちゃんは、私のお友達」
「この病院内にいるのか」
「うん。限られた人しか知らないみたい。さーちゃんは病院の人たちに幽霊と呼ばれている。まだ生きているのに」
「……何故お前はその女を知っている」
「私はさーちゃんのお友達だから。院長があの子をどんな悪行に手を染めても助けたいと思うように、あの子にも目的があるの。私はその目的を叶えるために存在している」
あの子の友達だと名乗る桔梗が何を考えているかなど、氷室にはよく分からなかった。
桔梗は死にたくないからアイドルオーディションを受け、国民的アイドルImitation Queenのメンバーに内定している。
だが、あの子を助けるために。
桔梗は違法な手段を用いて臓器を提供しなければならない。
臓器を提供した瞬間、桔梗の人生は潰える。
アイドルとしても、愛知桔梗としても終わりだ。
違法な臓器売買に関わった人間として、一生後ろ指を刺されて生きていくしかないのだから。
「お前は、死にたくないんだろ」
「死にたいと願う人間は、よほど辛い経験をしてきたか、誰かに構ってほしい人だけ。私は必ず生き残る。どんな手段を使っても」
「……その手段が俺への色仕掛けか」
「ふふ。色仕掛けだって。氷室先生、いやらしい」
「俺を変態扱いするな」
「私はちょっぴりスキンシップが激しいくらいのつもりだったのに。先生が言ったのよ。色仕掛けだって」
言葉尻を捉えた桔梗は、くすくすと微笑む。
その仕草はすでに成熟しており、女に飢えている男であれば、何かの手違いで手を出してしまいそうなほど魅力的だ。
アイドルとして活動したならば、すぐさま大人気アイドルとして上り詰めるだろう。
氷室は女に困ってはいないので、間違いなど起きようもないが。
「私のこと魅力的だと言ってくれるのに、恋愛感情を抱いてくれないなんて酷い。氷室先生と私は、運命の赤い糸で繋がっているのに」
「どうやって生き残るつもりだ」
「私のことを好きになってくれない氷室先生に、私とあの子が考えている計画をすべて話すわけにはいかないかな」
「……交換条件か」
「氷室先生、私と浮気して」
何度誘われても、氷室が桔梗の手を取ることはない。
たとえ氷室が桔梗の手を取ることがないせいで、彼女が死に至るようなことになったとしても。
(……美月が同じ立場なら、一時的に俺を裏切ることは厭わないんだろう)
美月は、目の前で困っている人がいたならば氷室を裏切るだろう。
ショックを受けた氷室を前にして他の男へ愛を囁き、すべて終わった後に「驚かせてごめんね」と謝罪する。
氷室は美月のように器用な真似など、到底できそうになかった。
たとえ氷室の拙い演技によって桔梗が助かるとしても。
美月が戻ってくると信じている氷室は、たとえ演技であると言われても。
桔梗の彼氏として並び立つことはしない。
いや、どんなにしようと思ってもできないのだ。
「断る」
「私を好きになってとは言わないよ。演技でもいいの。恋人ごっこをしてくれたら、私とあの子の作戦を教えてあげる」
「たとえ演技でも、あいつを裏切ることはしない」
「──美月先生が死んでいたら、二度と会えないのに?生きていたとしても、美月先生はすでに心変わりしているかもしれないよ」
「俺が生涯愛する女は、あいつだけだ」
美月を裏切り桔梗の手を取った所で、氷室にメリットはない。
あの子と桔梗の計画とやらを彼女の口から聞かなくたって、どうとでもなるだろう。
たとえ演技だとしても。
桔梗の恋人になることはできないが、彼女を死なせるのは夢見が悪い。
桔梗の命を救うためにも。
氷室が鈴瑚と協力して、病院の悪事を秘密裏に暴けばいいだけの話だ。
「……私が大人になった時。氷室先生が私のことを愛してくれたら──嘘つきになるよ」
「ありえない」
「99%ありえなくても。1%の奇跡を運命の赤い糸が手繰り寄せてくれるのよ。その時は──私をたくさん愛して、なんでも言うことを聞いてね」
桔梗の奴隷になるとわかっていて、美月から桔梗へ心変わりして思いを伝えるなどありえない。
(1%の奇跡を手繰り寄せる未来など、永遠に訪れるわけがない)
彼女の言う「あの子」が、天門院長の娘であることさえ分かればこれ以上話す必要はない。
氷室は自身の選択が間違いであるはずなどないと無理矢理思い込むと、桔梗の言葉を右から左へと受け流し、その場をあとにした。




