桔梗の婚活講座
氷室から何を告げられたのか、全く理解ができなかった紗雪は固まっている。
「こい、かつ……」
『さーちゃん。婚活だよ!』
「……とん、かつ……。油ものは、ちょっと……」
『結婚活動!省略して、婚活!』
「けっ、こん……」
まるでニワトリが、コケコッコーと鳴くように。
不思議なイントネーションで結婚を口にした紗雪は、5分ほどフリーズしていた。
『男女が恋をして、愛を確かめ合って結婚するのが自由恋愛。売れ残った男女がお互いのメリットを吟味して、一緒にやっていこうと決めて結婚するのが婚活よ』
何を言われたか全く理解が及ばないと態度で示していた紗雪は、桔梗に結婚とは何たるかを説明され、やっと実感が湧いてきたようだ。
(やけに詳しいな)
紗雪に説明する桔梗の内容は、かなり生々しい。
まるで実際に体験したのかと思わんばかりの内容に、美月も疑問を感じたようだ。
「あら、桔梗ちゃん。まるで実際に体験したのような発言ね」
『婚活中の役を貰って、台本を読み込む前にたくさん勉強したの!勘違いしちゃダメだからね、氷室先生。愛知桔梗としては、男漁りなどする必要がない。私は氷室先生一筋だもの!』
「ブレないわねえ」
桔梗は現役の芸能人だ。
わざわざ婚活などしなくとも、自由恋愛でいくらでも男を引っ張って来られるだろう。
美月が肩を竦めて口出しをやめたことにより、桔梗はますますヒートアップしてく。
『婚活の場合は、初対面から仮交際を経て真剣交際に進み、三か月で結婚するのが一般的みたい。結婚相談所を使うなら、入会金20万円。成婚したら50万円支払うのが決まりなんだって』
必要な金額までも赤裸々に語り始めた桔梗からの説明を受け、何がなんだか分からなかった紗雪も、ここまで熱心に桔梗から話を聞けば実感が湧いてきたのだろう。
みるみるうちに顔を真っ赤にして、ぷるぷると震え始めた。
(那須宮みたいだな……)
那須宮は顔を真っ赤して大慌てする時、奇声を上げて大騒ぎしていた。
絵文字で表すならば、右往左往のマークだろうか。
一方、紗雪はちょこまかと目を白黒させては、絵文字で表すならば大量の汗を飛ばしている。
(人が焦った所を見比べて、一体何になる……)
氷室と紗雪は本来であればかなりセンシティブな内容を話しているはずなのに、美月と桔梗、そして何かと話を大きくする那須宮のお陰で、恐ろしく明るい雰囲気のまま着々と話が進んでいる。
(女三人寄れば姦しいとよく言うが……)
紗雪が健康な身体を持って生まれていたならば、もっと大騒ぎになっていたのかと考えるだけでも頭が痛い。
どんよりとした暗い気持ちで今後のことを話すことがなくなり、ある意味は正解なのかは人によって意見が分かれる所だろう。
(まぁ、悪くはないか)
氷室にはあまり集団で騒いだ経験がなかったので、周りが女性だらけだとしても、かなり新鮮で貴重な体験ではあった。
(仲間内で騒ぐ機会を、若い頃に経験しておけば……もっと違う人生を歩んでいたんだろうか……)
氷室はどこか遠い目をしながら、女性陣の話を聞く。
「お、お金の話は……どの相談所を使うかにもよりますよね……?」
「あら深緑。興味があるの?」
「ひえっ。さ、紗雪ちゃんが一人だと不安なら、わ、わたしも一緒に……あう。何を言わせるんですか……!」
「あたしは言わせてないわよ?深緑が勝手に夢を膨らませ始めたんじゃない」
「ゆ、夢じゃないですよぅ……!」
『那須宮さん、婚活メインじゃないんだよ。これは、さーちゃんが臓器移植を受けるために必要なことなの』
「わたし、が……。でも、わたしは……」
悪魔の子は一切の医療行為を禁じられている。
紗雪も移植手術を待ち望む当事者として、ドナーの条件は頭に入っているのだろう。
婚姻関係を結んだ男性との、夫婦間移植は合法だ。
7年近く前に制定された悪魔の子への医療行為を禁じた法律さえ改正できれば、紗雪は命を繋ぎ生き永らえる。
自分だけが生き延びるわけには行かないと後ろめたさを全身で表す紗雪を勇気づけるべく、氷室は胸の前で腕を組み、彼女へ言葉を紡いだ。
「結婚することだけが、女の幸せではない。愛する人から臓器を受け取り、生き永らえる機会があるならば、それに越したことはないだろう」
「わたしには……愛する人など……」
『これから作ればいいんだよ!さーちゃんを幸せにしてくれる、RH-の血液型を持っている人!』
氷室の言葉を後押しするように、桔梗が電話越しに紗雪へ訴えかけた。
紗雪は友人からの声を受けても、思い切りがつかないようで戸惑っている。
一度は運命を受け入れ、死のうとしていたくらいだ。
今にも死にそうな膠着状態で7年近く過ごし、今更好きな人を見つけて臓器を提供して貰う道を選び取れと言われても――困惑の方が大きいのだろう。
「氷室が想定する絶対条件は、それだけではなかったでしょう」
美月に促された氷室は、改めて紗雪の婚活を始める上で相手の条件を羅列した。
「血液型がAB型のRH-で、健康な成人かつ独身男性であること。臓器提供の意志があり、ドキュメンタリー番組への理解があることが俺の想定する最低条件だ」
『氷室先生!大事なことを忘れているよ!』
「なんだ、桔梗」
『さーちゃんを愛して、幸せにしてくれること!』
画面越しにキラキラと輝く笑顔を浮かべた桔梗は、砂雪が婚活を了承すると信じて疑っていないようだ。
画面越しに映る紗雪の表情は暗く、その様子を那須宮と見ていた美月もまた、浮かない表情を見せていた。
「一度制定された法律は……簡単には取り消されることは、ありません……。わたしに、臓器提供の意志がある……愛する人を見つけたとしても……わたしの命がそこまで持つかは……」
『さーちゃん』
画面越しに笑顔を浮かべていた桔梗は、笑顔を消すとまっすぐに紗雪と見つめ合う。
表情が抜け落ち、声のトーンを落とした桔梗は弟の吉更とよく似ている。
桔梗が時折見せる真顔を、氷室はあまり好きではなかった。
(泣き顔よりはマシだが……)
氷室は桔梗の表情を真正面から捉えないように配慮しながら、電話越しに聞こえる硬い声を聞き漏らさないように務めた。
『さーちゃんは、銃で撃たれてもこうして生き残ったんだよ』
「それ、は……美月先生が……」
『美月先生が助けてくれたからではないよ。さーちゃんが生きていたいと願ったから、生きてここにいるの』
「キョウちゃん……」
『生きることを諦めないで。さーちゃんが私にそう言ってくれたから、氷室先生に出会えたの。私はさーちゃんにも、大切な人に出会って欲しいよ』
桔梗の言葉は、紗雪の心に届いたようだ。
目を瞑った砂雪は、すぐに瞳を開いてまっすぐにカメラを見つめる。
「わたしも……大切な人に、出逢いたい……。生きることを、諦めたり、しないから……」
その瞳は透き通っており、憂いなどは見受けられない。
覚悟を秘めた瞳を見た桔梗は、太陽のように明るい笑顔を浮かべた。
『うん!約束だよ、さーちゃん!氷室先生と一緒に、芸能界の力を使ってサポートするから!』
「芸能界の、力……?」
砂雪は一体何の話だと首を傾げている。
(婚活しろとは言ったが、テレビ番組で広く公募するとは言っていなかったな……)
氷室は紗雪へ、当初計画していた内容を説明することにした。




