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彼女の行方と、大好きな人の手

 美月のスマートフォンは階段から落ちた後。


 何者かに破壊されたような音が聞こえたきり、どんなに電話をかけ直しても繋がらなくなってしまった。


『お掛けになった電話番号は、現在使われていないか、電源が入っておりません。番号をお確かめの上、通話してください』


 無機質な女性のアナウンス音が聞こえていたはずのスマートフォンは、いつの日にか『プルル、プルル、プルル』と電話を呼び出す音に変化した。


 電話が繋がることなどないとわかっているのに。


 氷室は万が一の奇跡を夢見て、荒れた心を癒やすためだけに、何度も繋がらない美月のスマートフォンに電話を掛けて続けていた。


「お兄様?どうしましたの!?」


 氷室が顔面蒼白な状態で夜遅くに帰宅したからだろう。


 出迎えた鈴瑚は、大声で何があったのかと問いかける。


(言えるわけ無いだろ。お前とそう変わりのない女に恋愛感情を抱いているかもしれないと、一瞬でも考えたなんて)


 どんなに心が弱っていたとしても、言っていいことや悪いことの区別くらいはつけられる。


 氷室は鈴瑚の問いかけに答えず、リビングのソファに寝転ぶと目を閉じた。


「お兄様!手を洗って、着替えてください!美月お姉様の件で、なにか進展があったのですか!?わたくしにきちんと報告してください!」


 進展など一切していないと口にするのも憚られ、氷室は喚く鈴瑚の言葉など耳に入れることなく──深い眠りについた。


 **


「氷室先生」


 貴重な休みを1時間だけ桔梗のために使うはずが、彼女が国民的アイドルグループのオーディションに合格したせいで、半日近く貴重な休みを奪われてしまった。


 氷室は笑顔で声を掛けてきた桔梗を怨めしそうに見つめるが、彼女は当然のように氷室の腕に纏わりつき引っ張ると、必死に背伸びをして耳元で囁こうとする。


「約束通り、あの子と美月先生のこと。教えてあげる」


 人が行き交う廊下のど真ん中で話すような内容ではない。


 氷室は桔梗の病室に身体を滑り込ませると、素早く後手でドアを閉めた。


 嫌でも桔梗と密着する体勢になったことで、氷室の腕にすっぽりと収まった氷室は口元を綻ばせて鈴の音が鳴るような声を上げる。


「氷室先生。選ばせてあげる。どちらから、先に聞きたい?」


 あの子についてか、美月について。


 どちらを選んでいいかと聞かれたら、当然美月の安否を最優先に考える。


 ただ、氷室の口から美月の名を出すわけには行かなかった。


 いくら密室と言えども、誰がどこで話を聞いているかなど、わかったものではないのだから。


「じゃあ、まずは美月先生の方からだね。私、あの子と一緒に誰かと電話している美月先生が階段から突き落とされて、連れて行かれる所を見たの」


 氷室がじっと黙り込み、拳を握り締めたことに気づいたのだろう。


 桔梗は明るい声でとんでもない証言をした。


 思わず桔梗の顔を見つめれば、何がおかしいのだろうか。


 口元を緩めたまま、言葉を紡ぐ桔梗の姿が目に映る。


「顔を見たのか」

「見たよ。会話に夢中になっていた美月先生の背中を突き飛ばした後、携帯を足で踏み潰していた。階段からすごい勢いで転がり落ちて行ったから……焦っていたみたい」


 何故見殺しにするような真似をしたのだと怒鳴りつけてやりたかったが、ぐっと我慢した。


 相手は年端も行かない子どもだ。


 何故通報しなかった、大人に助けを求めなかったと怒鳴りつけることはいつでもできる。


「脈を確かめてから、美月先生のこと抱き上げて連れて行ったよ。私とあの子は、破壊されたディスプレイの破片を拾い集めて、血痕を拭き取った」


 そもそも、天門総合病院に勤務する医師の中で信頼できる医者が誰かなど、氷室ですら判断がつかないのだ。


 桔梗に、美月を連れ去った大人が信頼できる人間かどうかの判断をつけられるはずもない。


(こいつを責めた所で、美月が返ってくるわけではないのなら)


 怒鳴りつけて桔梗を萎縮(いしゅく)させ、得られるはずの情報を無に帰すわけには行かないだろう。


「先生、怒ったでしょ……。酷い女だ、どうして美月先生を助けなかったんだって顔」

「──お前の行動は正しかった」

「正しい?私とあの子は、証拠隠滅したのに」

「あいつを抱き上げて連れていけるなら、相手は成人男性だ。子ども達2人で、どこまで対抗できる。下手に飛び出して行けば、お前の命も危うかったはずだ。お前は自分の命を守るために最善の手段を取った。責めるべきではない」

「それは建前でしょ。本音は?」

「くたばれ」

「ふふ。死んでくれってことだよね?酷いなあ。美月先生が生き残る為だったら、か弱い女の子が死んでもいいのね」


 か弱い女の子は、氷室に自らの秘密を暴露しようものなら、小動物のように怯えて見て見ぬふりをしたことに怯えるはずだ。


 桔梗は強がっているように見えるだけかもしれないが、そのような素振りなど一切見せることなく、余裕そうな表情を崩さなかった。


「氷室先生、私のことが嫌い?肝臓がんで死ねばいいと思っている?移植手術なんて失敗しろ、成功たとしても、口封じに殺されてしまえって……」

「あいつはどこだ」

「……わからない。私は、美月先生が階段から突き落とされて、スーツの男に連れ去られた所を見ただけ。そこから先は確認などできないよ。病院でのことなら、あの子はなんでも知っているけれど……病院外の出来事はわからないの」

「くそ……っ」


 桔梗の秘密と言う割には、大した情報が得られなかったことに苛立った氷室は思わず舌打ちした。


 氷室が何故苛立っているかをよく理解しているはずの桔梗は、不思議そうに彼を見上げる。


 その仕草が、余計に氷室を苛立たせた。


「スーツ姿の男……っ。特徴は……!」

「手の甲に入れ墨みたいなのがあったよ。ナス、みたいな……」

「ナス?」

「そうだよ。こんな感じで、細長くて、丸っこい……」

「……!」


 桔梗は氷室の手を取ると、指で印象に残っていた男の入れ墨を描き始める。


 髪とペンを使っているのではなく指文字なので、指の動きを鮮明に覚えて書き記さなければなんの証拠にもなりはしない。


 氷室は慌ててスマートフォンを手に取りお絵描きアプリを画面に映し出そうとしたが、桔梗は手の動きを止めなかった。


 どうやら、証拠として残すつもりはないらしい。


 氷室は仕方なく左手でスマートフォンを握り、親指で器用に桔梗の動きを真似てお絵描きアプリ上に入れ墨を再現していく。


「私が手の甲に、指で書き終わってから書き記せばよかったのに。線、ガタガタだよ」

「利き腕ではないからな。仕方ないだろ」

「大体合っていればいいのかな……。氷室先生。ドキドキした?」

「……どこに胸をときめかせる要素がある」

「小さな手で、こうして手と手を触れ合わせるの。私はドキドキしたけどなあ……。大好きで、大切な、氷室先生の手……」


 桔梗は氷室の手を自身の頬まで持ってくると、愛おしそうに頬ずりした。

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