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火:不審な男

「あ、あのう……。ずっと聞きたかったのですが……」


 火曜日の昼休憩。

 氷室と食卓を囲んでいた那須宮は、遠慮がちに氷室の顔を覗き込む。

 那須宮が人の顔色を窺うように話し始めるのはいつものことだ。

 さして気にした様子もなく、氷室は続きを促した。


「美月先生……休憩室にいます、よね……?どうしてわたしと、いつもお昼……一緒に食べてくださるんですか……?」

「一人は寂しいだろ」

「ひえっ。な、慣れています、から……。その。美月先生は……し、白雪先生の交際相手、ですよね……?」

「別れてはいないからな。そうなるだろう」

「え、えと。交際している彼女がいらっしゃるのに、他の女と二人きりなのは、色々問題が……」

「安心しろ。俺はお前を女だと思っていない」


 氷室は女ならば絶対に言われたくない言葉を、堂々と那須宮に告げた。

 恋愛対象外と、女とは思えない。

 どちらが女性を傷つけることなく話をできるかと言えば、当然後者だろう。

 氷室が恋愛対象外だと那須宮に向けて言わなかったのは、ワンチャンを狙って迫られても困るからだ。


(自意識過剰にも程がある)


 那須宮から好きだと、面と向かって言われたなら全く問題ない会話だとしても。

 可能性があるかどうかすらも不明な状態で牽制されても、不快な気分になるだけだろう。


「それは、そ、そうですよ、ね……?わ、わたしは、白雪先生をサポートする看護師ですし……あはは……」


 罵倒されてもおかしくない。酷い言葉を那須宮へ向けたはずなのに。

 彼女は普段通りの苦笑いを浮かべると、氷室から視線を外して窓の外を見つめた。


「氷室先生の奥様に相応しいのは、美月先生と、桔梗ちゃんだけです。わたしを好きになってくれる人など、世界中のどこを探したって、いませんから……」


 世界中のどこを探したとしてもとは、大きく出たものだ。日本全国、生きとし生けるもの全てに問いかけた結果見つけられずに諦めるならどうしようもないと諦めるのも頷けるが……。

 世界は広い。世界中を探せば、那須宮のことを好きになってくれる人が現れないと悲しむことにはならないだろう。

 生まれてから死ぬまでに、どうやって世界中の生きとし生けるもの全てと対面するかさえクリアできれば、の話だが。


「恋人が欲しいのか」

「そ、そりゃあ……ほ、欲しいですよ?わ、わたしだって……。人並みの幸せには憧れます」

「婚活から始めたらどうだ」

「こ、婚活ですか?え、えっと……出会い系って奴ですよね……」


 婚活と言えば聞こえはいいが、出会い系と呼ぶと途端に聞こえが悪くなる。

 那須宮に出会い系サイトへ登録させ、実際に男と出会ったら。

 悪い男に騙されて見るも無惨な姿になりそうだ。


(那須宮が使いものにならなくなるのは困るな……)


 那須宮が使い物にならなくなれば、氷室は新たな看護師と共に仕事をしなければならなくなる。

 出会いが生まれたとしても自分を好きになって貰えないと頑なに信じ込む自尊心のない女が、男と関係を発展させるにはある程度彼女の事情を理解した男と関係を紡ぐ必要があるだろう。


「美月に紹介してもらえよ」

「み、美月先生にですか?それは、ちょっと……」


 美月は那須宮を、恋のライバルと称していたくらいだ。

 紹介を受ける気にはならないのだろう。

 那須宮の好きな男が誰であるかを聞くなら今のタイミングが一番だったが、氷室はやぶ蛇になるような話題を提供するほど、那須宮の恋愛事情に興味を持てなかった。


「そうやって尻込みしているから出会いがないんだろ」

「ひゃあ。か、変わらなければいけないことくらい、自分でもよく理解しています……!で、でも。生き方を変えるのは、とても難しくて……」

「気負いすぎだ」

「へ……」

「肩の力を抜いて、もっと気楽に生きろ。たったそれだけで、人生変わるぞ」


 氷室は自身の経験を思い出しながら、那須宮に告げた。

 桔梗へ心を許した以上、すでに美月へ縋り付くことができない氷室と違い、那須宮はこれからも美月と変わらず交流を保てるはずだ。

 美月が氷室に打ち明けた「恋のライバル」の件が、うまいこと双方納得行く結果として落ち着いた場合のみに限られるだろうが。

 那須宮は遠慮しているからこそ、一歩前へ踏み出せないのだ。


(使えるものは、思う存分使えばいい)


 自分に自信が持てず、誰かに助けを求められなかったからこそ。

 美月が手を差し伸べてきた手を握り返せば、那須宮が幸せになれないなんてことにはならないだろう。


「美月を信じろ」

「でも、わたしは……っ」

「それと」

「ひ、ひゃい」

「俺が美月ではなく、那須宮と食事を取る理由は冗談だ」

「えっ!?」


 那須宮は氷室へ大声を上げると、驚きを露わにした。

 今まで真面目に話をしていた時間は一体何だったのかと言いたそうな那須宮の表情を見た氷室は、してやったりと珍しく歯を見せて笑う。


「美月と2人きりになると、桔梗がうるさいからな」

「で、でも。桔梗ちゃんが監視しているわけではないですよね……?」


 氷室が桔梗へ美月とのやり取りを伝えたいと思い、耳につけたイヤリングの録音機能を作動しなければ、本来は桔梗に伝わることはない。


(録音機能付きのイヤリングを持つのが、俺だけではないのが問題だ)


 休憩室で美月とのんきに話をしようものなら、紗雪がイヤリングの録音機能を作動させていれば桔梗に会話が筒抜けてしまう。

 紗雪の前では、桔梗に聞かれて困るような話はしないよう心掛けていた。


(俺はどんなに気をつけていたとしても、あいつが録音機能を作動させていれば筒抜けだからな……)


 マズイ流れになった時、強引に話題を変えようとすれば美月に怪しまれる。

 美月は紗雪と氷室の耳につけられたイヤリングが全く同じものであり、録音機能が搭載されたものであると気づいていないのだ。

 聞かれて困るような話題を出されないよう、必要以上に美月と関わらないよう気をつけるのは、間違った行動ではないだろう。


「色々あるんだよ」

「い、色々、ですか」

「そう。色々だ」

「い、色々あるんだったら、仕方ないですね。色々あるんだったら……っ」


 那須宮は気まずくなったのか、コソコソと診療室を出て行ってしまった。


(からかいすぎたか)


 氷室は反省しながら、気分を変えるために診療室の窓を開ける。

 心地のいい風に拭かれ気持ちを落ち着けた氷室は、燻る心を落ち着けるために胸ポケットから煙草を取り出し、ライターで火をつけると口に咥えた。

 息を外に向かって吐き出せば、風に流れて白い煙が右側へと流れていく。


(……なんだ……?)


 じっと自身の吐き出した煙を眺めていれば、氷室は右側から流れてきた別の煙と合流していることに気づいた。

 受付の事務、美月、那須宮の女性陣は煙草を吸わない。

 がんと診断されている紗雪は起き上がるのもままならない状況だ。

 煙草など吸わないだろう。


(患者の連れか?)


 午前の診療終了時間から、午後の診療開始までは2時間ほど時間がある。

 1時間病院の外で待っているならともかく、2時間も受付を通すことなく外で煙草を吸いながら体調不良の子どもを連れ、外で煙草を吸う親がいるとは到底思えなかった。


(美月のボディガードか、天門紗雪を狙っている追手か……)


 氷室は録音機能付きのイヤリングに触れると、念の為録音を開始した状態でスリッパが汚れるのも気に留めず、診療室の開け放った窓を飛び越える。

 氷室が立った状態で腰ほどの高さにある窓から難なくアルファルトの上へと降り立った氷室は、足音を立てないように気をつけながら煙が流れていく方向へゆっくりと足取りを進めた。


「なー。オレ、いつまでこうしてればいいわけ?」

「わ、わたしではなくて、美月先生に聞いてください!」

「あー、早く帰って姐さん。抱きしめてぇ……」


 氷室が煙の流れてくる方向を目指し歩みを進めれば。

 裏口付近でくたびれたスーツを着た男を視界に捉えた。

 男の隣には那須宮がいて、姐さんなる人物に思いを馳せている。


(那須宮の名前は深い緑と書いて深緑だったはずだ。ニックネームで呼ぶなら、それなりに親しい仲なのか……)


 氷室は見ないふりをしてその場を立ち去るか迷った。

 那須宮が親しそうに話をしているならば、敵ではないことが明らかだ。

 わざわざ話しかける必要はない。


(那須宮か美月に聞けばいいだろ)


 氷室は見ないふりをして、来た道を戻り窓から診療室に戻った。


(汚し損だったな)


 裏面が汚れてしまったスリッパを脱ぎ、革靴に履き替えた氷室は、両手でスリッパを持ったまま待合室へ向かった。

 休憩室と診察室にはない、テレビを見ながらスリッパの裏面を清掃しようとしたからだ。

 待合室のソファに座った氷室はニュース番組にチャンネルを合わせると、ウエットティッシュ片手に裏面を清掃する。


『悪魔の子を救う会、会長の天門紗雪さんが行方不明になってから1週間以上経過しましたが、未だに何の情報も得られないことから、会員として名を連ねる人々からは不安の声が上がっています』


 ニュース番組では天門紗雪が忽然と行方不明になったことを大々的に報道している。

 流石は父親が前代未聞の事件を興した天門総合病院の院長なだけある。

 ニュース番組では、天門紗雪が行方不明になったのをいいことに、悪魔の子全体を批判するような内容ばかりが報じられていた。


『彼女がいなければどうしたらいいのかわからないと悪魔の子達が不安になる中、悪魔の子達をターゲットとした連続殺人事件も起きており、不安を払拭する為にも一刻も早い発見が望まれています』

『一刻も早い発見と言ったってねぇ……。早く死んでほしいと願っている人の方が多いと思いますよ?何せ、日本始まって以来の大量殺人鬼ですから』


 ニュース原稿を読み上げるキャスターに食って掛かったのは、コメンテーターの男性だ。

 有名な社会学者であるとテロップには表示されている。

 あまりテレビを見ない氷室は、それが有名な社会学者であると称されても、いまいちピンとこなかった。


『殺人鬼と称するのは、少し違うような気もしますが……』

『快楽殺人鬼ではなくとも、10年で100人。毎月100人健康な人間から臓器を摘出するため殺害し、違法な手術をしていたわけでしょ?殺人鬼と呼ばれることは、何らおかしくない』

『しかし、』


 社会学者は、公共の電波で発信するべきではない言葉をペラペラと語り出す。


『悪魔の子なんて全員死ねばいいんですよ。みんなそう思っているでしょ?死ぬはずのなかった人間から臓器を無理やり奪い取り、命を繋いでいるんだから』

『あの、それは』


 司会進行のアナウンサーが口を挟もうと四苦八苦しているが、社会学者は止まらない。

 一気にスタジオの空気が凍り、短いBGMが聞こえたかと思えばすぐにでCMへ入ってしまった。

(天門紗雪の行方不明事件から、悪魔の子連続殺人事件を繋げて報道するつもりだったんだろうが……)


 番組は社会学者を一体何の為に呼びせたのだろうか。

 生放送で、ああした攻撃的な発言をする人間を出演させるべきではないだろう。

 スリッパの汚れをウエットティッシュで拭き取った氷室は、革靴を脱いでスリッパに履き替えるとスマートフォンを取り出した。


『身に危険が迫っているわけじゃないなら、音声流して来ないでくれませんか』


 インターネットブラウザを立ち上げようとした氷室は、新着メールが届いていることに気づいた。

 送信先は吉更で、身に危険が迫っていないならばイヤリングの録音機能を解除しろと書かれている。


(入れっぱなしだったな)


 氷室はイヤリングに触れ、音声録音機能を解除した。

 何かあった時に桔梗を心配させてしまうくらいならばと音声録音機能を開始させたが、吉更にも配慮するべきだったと氷室は反省する。


(桔梗が一日中暇していても、吉更は仕事中だ)


 スケートボードのインストラクターをしているなら、緊急時でなければ耳元から聞こえてくる音声が耳障りで仕方ない可能性をもっと考慮するべきだった。


『すまない』


 氷室は一言吉更へメールを送信すると、SNSで先程のニュース番組を見た感想について調べ始めた。


『さすが社会学者!よく言った!』

『あれから何年経っていると思っているの?ありえないんだけど』

『ほんと。マジでないわ』

『何様のつもりなわけ?』

『言っていいことと悪いことわかんねぇのかよ……』


 巷の反応は社会学者に対する批判の方が多いものの、悪魔の子に心無い言葉を掛ける人間が全く見受けられないほどではない。

 社会学者を批判する人間が7割ならば、悪魔の子に対する批判が3割だろうか。

 該当のニュース番組をリアルタイムで主張しSNSに書き込んでいる人間だけのカウントだ。

 世間の総意であると決めつけるのはよくない。


(これからは、積極的に世論の声を聞く必要があるな……)


 氷室は暇つぶしにテレビを視聴することはあっても、ニュース番組を見たいと決めてわざわざテレビの電源を入れるほどの熱量がないのは今も昔も変わっていなかった。

 紗雪を助けると決めたのならば。

 悪魔の子として社会的に迫害される人々の移植手術を可能にするため、新たに設立された法律を撤廃させなければならない。

 一般人の氷室が法律を撤廃させるためにできることは限られている。


(泣き言など、言っている暇はない)


 泣き言を言う暇があるならば、行動あるのみだ。

 氷室はいつでも動き出せるように、暇な時間を利用して情報収集を始めようと決めた。

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